第2期長男私立中学受験と深夜バイト〜もうだめかもしれない〜
第2期になり、一番の問題にぶち当たった。
それは長男の受験だった
長男は小2のころから
なぜかと言うと、うちの近所は今ではあまり見られないヤンキーが多くいる地区で「唯我独尊」と書かれた白い特攻服をきたお兄ちゃんがセブンの前で仲間と写真を撮っていたり、学校から金髪と銀髪の生徒が先生に追いかけられて逃げてくるとかを目の当たりにし、この学校には行きたくないとなってしまったからだ。
わたしはと言うとそう言う人たちに中学校の頃、憧れて集会に参加して見たいと血眼になって探したこともあり、公園にいる近所のヤンキーをみつけては一緒に話をしたりと結構、ヤンキーが大好きだったりするのに長男は苦手みたいでこのこ頃から勉強を頑張っていた。
勉強をしたいと受験をしたいと言うのにシングルマザーだからと言ってだめだと言うのはわたしのプライドが許さない。「やりたいならやりな。」と通信の勉強を2社に頼み2学年分の勉強を小1.2は一緒に解いていった。
小3で個別指導の塾に通ったり、よくわからないながら大手の塾にも通ったこともある。
小4になり、少人数制の私立受験用の塾に通い始め、少しお金はかかるもののなんとか通わせてはいた。
しかし、小5になり塾代が結構嵩むようになるなって思っていると彼は
と言われて、少しホッとしながら快諾し、朝勉がこのころからはじまった。
自慢じゃないがわたしの頭は勉強の脳ではない。
小5と言えどよくわかない。
中学受験だってしたことないし情報だってないからとにかく情報を集めた。
そして、朝5時起きで自分も解けないからと参考書を一緒に7時まで二時間問題集を解いていった。
休みなく毎日。
小2から勉強は一緒にやっていたけどだんだんと歳を追うごとに難しくなる。
中学校の私立受験はなぜか高校でやるような問題が出てきたり、中2程度のものなら結構、出てくる。
それについていくのが必死だった。
小6になっても朝勉は終わることなく今度は月一でテストを受けに行くようにした。
最初は現実味がなかった私立受験だったがちょうど2期を迎えようとする時に現実を知ることになる。
このお金を用意しなくてはいくら受験に合格しても通うことができない。
ましてや赤字を738万出して今、まさにお金がないのにどうすればいいんだろうか?!
ここが正に第2期に入って早くもぶち当たった壁である。
最後の最後まで
本当に受験するの?
って何度も聞いていた。
お金がないから受験しないでとは絶対に言えなかった。
なぜならわたしは我が子を全力で育てると決めて産んだ。離婚した時もさらに一層この子に不自由な思いは絶対にさせないと決めた。
お金がないからと言ってこの子の希望をわたしのせいで打ち砕いてもいいのか?!
答えは「否」絶対にあってはならない。
わたしの命に変えても絶対にこの子のやりたいことをやらせると決めていたから。
わたしはどうにもならない中、お金を必死に作り始めた。
その時に力となってくれたのがやっぱりママ。
ママは長男のために学資保険に入ってくれていたので中学校で30万満期になるから入学祝いに渡すねと言ってくれた。
本当に嬉しかった!!
いつだってわたしを助けてくれるママ、
昔から迷惑をかけっぱなしで30過ぎても迷惑をかけ続けている。
それでも、嫌な顔せずどーんと構えて力になってくれる。もう頭があがらないよ。
何度も何度もお礼を言って、30万はなんとか確保できた。
残り50万
自転車操業で毎日をなんとか乗り越えて、貯金なんてまるでないわたしに残り50万は本当に厳しかった。
まずは昔、大好きだったブランド品やダイヤモンドの宝飾品をすべて売り払うことでお金を多少集めることにした。
次に長男のために入っていた学資保険を途中解約し、キャッシングできる限りキャッシングしてなんとか50万を集めることができた。
これでなんとか入学金が払える!
見事長男は塾に行かずに私立中学校合格し、ギリギリ集めることができたお金で入学初期費用をすべて払うことができた。
そして、togetoge2期生はと言うとなんと4名もの入会者がおり、4人だった生徒がなんと倍の8人となり、とてもうれしいスタートを切ることができた。
新しく特別授業を固定でやることになり書道は毎月固定でしかもボランティアに近い額でものすごい先生がやってくれることになった。
今も尚、書道の先生としてtogetogeで頑張ってくれている。書道の先生に教える書道の先生でなんと留学経験もあり、英語も話せちゃう書道の先生なんだな。みーちゃんと言うんだけど実は小中高と通っていた学校の後輩なんだ。ひょんなことからうちにきてくれてうちの生徒が毎年必ず1人が学校の書写展に代表として選ばれているのはこのみーちゃんのお陰。
togetogeの自慢のひとつである!
基本、私ひとりと生徒8人で1日過ごす。時折、みーちゃんや金曜日はまーちゃんがいてくれたけど、そのほかの日は私しか先生はいない。だから、わたしが病気になると本当にまずいことになるなと思っていた時にママ友が
とボランティアとしてほぼ毎日のようにスタッフとして働きにきてくれた。
これはほんとうに嬉しかった。
わたしなんかのために何もないわたしに無償で貴重な時間をわたしに使ってくれるなんてほんとうに嬉しかった。わたしは今でも彼女に感謝している。
わたしは本当に恵まれている。
どんどんとわたしを支えてくれる仲間が増えていった。
4人が8人になるとやれることもたくさん増えてきたし、やらないといけないことも増えてきた。けど、先生は2名いる。ひとりに何かあってももうひとりいると思うとほんとうに心強かった。
夏になると更に入会者が増えて、生徒が12人となった。だんだんと生徒が増えてきたのが、まだ自転車操業なのは変わらなかった。
寝る前にいつも考える。
と毎日のようにお金の流れを頭で考えていた。どうにもならないかもと眠れない時だってある。
きっと。通常の人であればこの重圧に耐えきれず、倒産するか自殺するかしてしまうかもしれない。
けど、わたしは小さいころから不器用な生き方しかしていなかったから苦痛や辛いことなんていくらだってあったし、生きるのだって辛くて辛くて仕方なかったけど、それでも今まで生き抜いてこれたから。そして、守るものがあるからわたしはこの重圧に負けずに耐えることができたのだと思う。
しかし、どうにもならない時がきた。
このままではまずい。
とにかく、お金が必要だ!
そう思ったわたしは外に出てバイトをしてお金を稼いでこようと思った。
19歳の頃は日に三軒もバイトを掛け持ちする毎日を送っていた、夜に寝る時間なんて数時間。しかし、働くのが楽しかったから休憩の合間で睡眠をとったりしてお金を稼ぎまくった時期がある。
だから、わたしはバイトにでてお金を稼いでこようと
時には睡眠時間を削り、睡眠1-2時間の時もあった。
多くても3時間の睡眠で社長・先生・母親・アルバイトスタッフと何役もこなしていった。
辛かった
ほんとうに辛かった
当時の優しいスタッフよりよりが物凄く心配するくらいに。
19時に仕事が終わり、帰ってご飯を作り21時に深夜牛丼屋でバイト。6時に戻り、ご飯を作って、子どもを中学校と保育園に送り届けて会社へ。会社で9−12時位までは睡眠の時間だが社長業や業務の仕事もやらないといけない13時には生徒が戻ってくる。それまでにやるべきことはやっておかないといけない。
時折、寝ている時によりよりがやってくると静かに掃除機をかけてくれていたりした。
「もうそんな時間か!」と飛び起きるといつも心配そうにわたしを見ていた。
「大丈夫?無理してない?」わたしはこの言葉だけで頑張れた。わたしを心配してくれる人がいる。それだけで嬉しくって頑張れた。
第2期はあっという間に終了。社長でありただのバイトスタッフでもあった。
その結果…
赤字12万
生徒が増え売上があがった。
参加者が増えてイベントの売上も上がった。
人件費が減った。
この3点のお陰で赤字を12万で抑えることができた。
そして、キャッシュフローは自分の給料を未払いにし、バイトのお金で生活していたからなんとかなった。
今となっては何で外に働きにでたんだろう?っておもう。
せっかく自分の会社を作ったんだから、アイデアと企画でお金を生みだせばよかったのに。
けど、テンパっていたし、それだけ知識も経験もなかったからいまだからそうおもうけど、その時は外に出て働くって言う発想しかなかったんだな。
第2期を終えてわたしは気付いた。
いくらやりたい!やめたくない!と思っていても実質的にどうもがいてもお金が回らない。
このままバイトを続けていくことは不可能。
体力的にもかなり厳しかった。
有言実行
で生きてきたわたし。
高校卒業時期の時に
って担任に卒業おめでとうではなく、そう捨て台詞を吐かれたことを思い出した。
その時は…
はっ⁈力と権力でねじふせて思い通りに生きてやるよ!
と言い放ったが力と権力⁈社会に出ればまったく力などなく、権力などない。
よくそんなことが言えたなって思った。
高校時代はわたしに意見を言う人なんていなかったし、全て思い通りにことは運んでいた。
いつだってわたしが正しい!
そう思って生きてきた。
ただシングルマザーになり、就職先に困り、高卒・シングルマザー・3歳児子持ちではどこも雇ってなんかはくれない。
その時初めてわたしってちっぽけな存在なんだなって思った。
井の中の蛙初めて実感した。
次いで今回の出来事。
「やると決めてやれないこともあるのか」
と何度も辛くて泣いた。
どうしたらいい。
泣いたってなんも始まらない。
貯金はない、売るものもない、わたしには財産と呼べるものは何一つとしてない。
じゃーどうする。
考えても考えてお金は生まれない。
寝る前に必ずお金どうしようと考えるのがもう癖になっていた。
常に時間があるとお金の計算。
しかし、この時間だけはこの苦しい思いから解き放ってくれた。
子ども達や我が子がいる時はお金を考えずにいれた。
ただガムシャラにこどもたちを観察し、一緒に遊び、勉強し、いろんなことをした。
常に考え育んでいた。
だから、その時だけは苦しくもなく辛くもなく、ものすごく楽しかった!
きっと当時のマキの大変さはよりよりしか知らないだろう。
子どもたちや保護者の前、我が子の前では絶対に絶対にに苦しいとか辛いとか眠いとかって素振りは一切見せなかったから。
いつでも明るく元気で面白いマキちゃんだったからね。
けど、実はもがいてもがいて苦しくて。
自分がやると決めたことを全うできないかもしれないと絶望的で毎日睡眠不足で身体が重かったんだな。
そんなこんなで第3期突入。
togetoge3期生が15人以上でないともう潰すしかないって危機的状況。
一体どうなったのでしょうか。
続きは次回。
お楽しみにね。
最後まで読んでくれてどうもありがとうございました。
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