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水素社会入門 第3章 経済からみる水素社会

前回までの復習

第3次産業革命によりパソコンが普及したと同時に、工業化による汚染の影響で世論の環境問題に対する意識が高まりました。そこで、この時代は環境科学に関する研究が急成長した時期だったんですね。すると人類は地球が温暖化していることに気づき始めます。そこで世界各国は団結して地球温暖化に立ち向かうべく、IPCCという研究組織やCOPなどの世界会議を開催するようになります。一方、水素技術は地球温暖化を防ぐ新たなエネルギーとして期待が高まり、燃料電池自動車など一般の人が目にするような製品まで誕生するようになりました。

ここまでが前回の復習。

とびchan.作 水素年表

①1980年代の日本経済を振り返る

これまで、水素の歴史をエネルギーの視点や、環境問題の視点から見てきましたが、第3章では経済的な視点から、どのように水素産業が発展して行ったのか見ていこうと思います。まずは当時の経済事情から振り返りましょう。

時は少し遡って1980年代後半。2度のオイルショックによって世界経済が低迷していた時代。日本経済も戦後初のマイナス成長を記録します。しかしながらこの時期、日本は世界と比べても急速な経済回復を成し遂げます。

その要因となったのが輸出産業の成功です。
日本はその高い技術力から、自動車産業や、ICなどの電子部品の産業において世界でトップレベルに躍り出ます。当時の日本の躍進をハーバード大学社会学博士であるエズラ・ヴォーゲル氏は「Japan as NO.1」と評しました。

しかし、それによりアメリカに目をつけられた日本は、「プラザ合意」で有名な円高ドル安の交渉に応じる必要がありました。そして経済政策として銀行の金利を下げた日本は、みなさんもよくご存知、バブル経済に突入します。

プラザ合意

バブル経済は一見華やかな時代のようにも見えますが、当時の華やかさはいわば虚構。泡のように期待が膨らみ一時の快楽を味わいますが、いずれはみんな夢から覚めます。1991年バブルの崩壊です。

せっかく持ち直していた日本経済も更なる打撃を受け、経済成長率はマイナスに、雇用は不安定となり就職氷河期となります。この後10年間は経済成長が滞り「失われた10年」と呼ばれるようになります。

名目GDP及び同成長率の推移
引用:日本経済の変遷と今後の成長確保策としての支柱

②1990年代のアメリカ経済を振り返る

一方この頃、アメリカはコンピューターの発達に伴いIT関連産業が急激に加熱を始めます。
 1994年にはインターネットの本屋さんAmazon.comがジェフベゾス氏により設立、1995年にはマイクロソフト社のWindows95がリリース、1997年にはAppleにジョブズが復帰し新たな製品の開発が始まりIT産業への期待値が非常に高まりました。また、1998年から1999年にかけてウェブサイトが大量に立ち上がり、インターネットを通じた新たなサービスが誕生。そしてIT企業全体への投資が激化します。しかし、当時玉石混合だったIT業界ではAmazonなどの一部の優良企業以外は思ったように成長せず、期待が落ち込み、2000年になると急激にアメリカの株価が落ち込みます。これがITバブルです。

ウェブサイトの推移
引用:ITバブルの発生と崩壊

ITバブルによって経済が冷え込んだアメリカは、大胆な金融緩和により経済回復を測ります。代表的な金融緩和政策として銀行からの借入の金利を少なくし、またサブプライムローンという低所得者向けの住宅ローンによる住宅購入の後押しを行いました。これにより2000年からアメリカの住宅価格は高騰しまし、住宅を購入する人が増加、一時的にお金の流れが活発になりました。

あれ、でもこれって、少し前の日本と同じですよね。そうなんです。このバブルも崩壊します。2008年アメリカの住宅バブルは瞬く間に崩壊し、ローンの踏み倒しが起こりました。ローンを貸していたアメリカの多くの会社は倒産し、その中でもサブプライムローンの大量購入、販売を行っていたリーマン・ブラザーズホールディングスは66兆円という記録的な負債を抱え倒産することになりました。

③不況を打開する新たな経済政策「グリーン・ニューディール」

ここからいよいよ水素社会の話に入っていきます。
2008年リーマンショックを迎えたアメリカは今度こそ、この深刻な不況を脱却しようと新たな政策を打ち出します。その名も「グリーン・ニューディール政策」です。

みなさんニューディール政策は、もしかすると聞いたことがあるかもしれません。1930年代、かの有名なアメリカ元大統領フランクリン・ルーズベルト氏が、世界恐慌の脱却を目指し打ち立てた大規模な経済政策です。

米カリフォルニア州の河川の工事現場で撮影された市民保全部隊

ニューディール政策では、管理通貨制度の導入や、銀行と証券の分離など、さまざまな施策が行われましたが、その中でも経済回復への影響が大きかったと言われているのが大規模な公共事業の実施です。大規模な治水工事により新規雇用がうまれ、停滞していた経済が回り始めたのでした。

一方、今回バラクオバマ氏が選挙公約で打ち出した「グリーン・ニューディール政策」では、太陽光や風力などの再生可能エネルギーの開発や、それに伴うインフラ設備へ国が大規模な投資を行うことで、新規雇用の創設と地球温暖化の解決を同時に行うことが期待されました

アメリカを初め、韓国や中国、EU、イギリス、そして日本など、リーマンショックによるダメージを追っていたさまざまな国がこのグリーンニューディール政策を取り入れ、数年以内に大規模な投資を行う方針が次々と発表されました。

2009年日本では、日本版グリーンニューディールとも言える「緑の経済と社会の変革」という政策を環境省が打ち出し、2020年には2006年に比べ50兆円のグリーン市場規模の拡大、140万人の雇用の創出を試算しました。

緑の経済と社会の変革を発表

④日本における水素市場の広がり

この時期は日本において水素製品が誕生し始めた時期でもありました。
2009年パナソニックから、世界初の家庭用水素燃料電池「エネファーム」が販売され始めます。

パナソニックは1991年の松下電池工業の時代から固体高分子方水素燃料電池の研究開発を行なっており、いよいよ一般市場での販売が開始しました。
エネファームは都市ガスに含まれる水素から非常に高いエネルギー変換効率で熱と電気を生み出すことができる家庭用発電機で、2020年までの累計販売台数は、水素燃料電池製品としては異例の15万台を達成しています。

エネファーム

また、2014年トヨタは市販の水素燃料電池自動車(FCV)「MIRAI」を世界で初めて販売。続いて2016年にはホンダもFCV「CLARITY FUEL CELL」を販売開始しました。

トヨタ MIRAI


ホンダ CLARITY FUEL CELL

このように世界屈指の高い技術力から、世界に先駆けて水素燃料電池製品を誕生させた日本でしたが、実はなかなか水素市場の拡大には苦戦を強いられるようになります。その理由、そして、今後の日本の水素産業はどうなってゆくのか、第4章で見ていきましょう。

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