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映画『アバター:ウェイ・オブ・ウォーター』(Avatar: The Way of Water)

 ちぎりを交わして集団のボスと親子関係になる。同じグループの仲間とは兄弟関係になる。私が知る限りそんな風習を残しているのはヤクザだけだ。そのヤクザですら生存の危機にさらされている。

 家族という枠を超えた大きな集団に属することで生命の営みが行われる、それが定住社会の共同体のあり方だった。そこでは、家族同士は緩やかに混ざり合い、協同して共同体の利益の為に働き、子供たちは全員が共同体の兄弟として、次世代を担う貴重な存在としてはぐくまれた。つまり、集団こそが大切という考え方だ。
 それに対して、共同体ではなく家族こそ大切という考え方が現代の私たちの主流の考え方だろう。家族と共同体のどちらを重視するかは家族にとっても共同体にとっても悩ましい決断を強いることになる。

 集団では、外部からの侵入者には慎重になる。集団の一員になるには、審査に合格しなければならない。晴れて審査に合格すればそれだけで集団に馴染めるかというとそんなことはない。異物として弾こうとする圧力がどうしても発生する。そうしたぶつかり合いを経て少しずつ溶け込んでいくしかない。そこでは同じ兄弟として生きていくことが出来るかどうかが問われることになる。
 同じ共同体の民として認められるための重要な機会となりうるのは、外部の敵に対して共に命をして戦う経験だ。それは共同体だけではなく、家族であってもそうで、共同体や家族にとっての外敵が明確になればなるほど、結束は固くなる。

 この映画を観ながら思ったのは、3DCG映画の技術の発展のことだ。今どきCG(コンピュータ・グラフィックス)を使っていない映画は殆ど無いだろうが、アニメ調ではなく実写のように見せる映画で全編をCGで制作された映画は数少ないだろう。その中でも水とその環境を主たる舞台として制作されたこの規模の映画は過去に類を見ない。なぜなら、水の表現はそれだけ難しいからだ。澄んだブルーの水面をたたえる砂浜やサンゴ礁、夕陽を背景に水しぶきを上げて巨大生物が舞い上がる光景、その他多くのというか全てのシーンの再現にどれだけの技術と労力を注がれて創られた映画かを想像すると驚異としか言いようが無い。
 CGがCGらくしくなく、風景も登場人物(?)の肌質も生き物の生命力をも自然に表現している。3Dで提供される上質のCGによる架空の世界の体験は、観客である私たち自身がアバターとなって映画の中に没入することが出来るレベルに達した。まずそのことに感動した。

 前作でのテーマが共同体にあったとすれば、今作でのテーマは家族、親子、兄弟だと感じた。ここで言う家族、親子、兄弟はひとつの家族についてというよりも、より大きな集合体である共同体の中での家族のありかた、親子のありかた、そして共同体内での横の繋がりという意味での兄弟というあり方が描かれていると思う。それはそれこそヤクザの世界にしか残っていないような、今の私たちが忘れていた感覚だ。
 そして、その感覚の延長上には、惑星上の生命全てが同じ母の下に生きる兄弟であるという感性だ。アバターの中では「エイワ(eywa)」と呼ばれる女神は母なる自然とも重なっており、エイワと通づる素質を持つキャラクターがいたり(てんかんと診断されている)、ある種のまじないで治したり、エイワの木を通じて死者と会話が出来たりする。ここからは、すべての生命いのちが慈しみ合うことの大切さが語られているように思われる。

 生命や自然や家族を大切にすることがテーマであるのに、美を描くのみではなくいくさを描かざるを得ないのは、共同体には外敵が必要だからだろう。外敵がいて始めて団結出来るし協働出来るのが共同体だからだ。
 そして、絶対的な美を描くには、見せ方として相対的な何かを持ち出さなければ、どうしても退屈な美しい映像でしかなくなってしまのだろう。それがこの映画の前半部分で終わらなずに長くなってしまった理由であり、美のみの演出を退屈に感じさせないような疑似体験を提供するのには現状の映画というメディアでは困難なのだろう。

 人間の分身としての「アバター」が主役ではなくなったものの、原住民を襲ってくる文明人との戦いといった側面や、原住民にどう溶け込むかといった話は前作と変わらないじゃないかという見方もあるかもしれない。しかし、私の感じ方が製作者の意図と重なるのだとすれば、上述の通り今作でのテーマや襲ってくる文明人の位置づけは少々違っているはずだ。
 反捕鯨映画か、という指摘もあり、実際見ながらそう感じもしたが、クジラが海の王者と言われる生き物であることを考えると、必ずしも捕鯨と結びつけるのは当たらない可能性がある気がしている。この映画の前提は、全ての生物の生命は繋がっており皆同じように大切だという世界観だからだ。

 3D眼鏡がきつくて見終わった後にひどい頭痛に襲われたのだけは勘弁して欲しいと思ったが、ひとりのアバターとして映画の中に没入することの引き換えだとすれば致し方ないことなのかもしれない。

おわり

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