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「たまには休んだほうがいいよ」周囲の助言が性的従事者の女性たちに一切響かない理由『東京貧困女子。』

【レビュアー/工藤啓

現在日本には数千兆円にのぼる個人金融資産があり、その6割を60代以上が所有している。その格差のツケを払わされているのは、若者たちである。

風俗や売春の利用者の多くは「中高年」。格差のウケを子や孫の世代に背負わせておきながら、学費のために性的奉仕をする女子大生に呆れ説教をする。

彼女たちの置かれた状況など知る由もなく。

社会構造が子どもたちの貧困を生み出している

上記の言葉は『東京貧困女子。』が読み手に投げかけるテーマです。身体と心を売らなければならない女性をテーマに、多くの性的な描写があります。

人によっては性的な描写を楽しむために本書を読まれるかもしれません。しかしその一方で、本書は彼女たちの置かれている状況は、社会が作り出している構造から生み出されていることを、何度も、粘り強く伝えようとしています。

描かれる女性の事例は、自ら望んで身体を男性に切り売りしているのではないことを私たちに知らせてくれます。

他方、登場する男性は女性の事情背景を考えることなく、自分の子どもと同じ年齢の女性に対して、性的奉仕の後に、説教をしたり、身の上を心配しているような話をするわけです。服を着ながら。

「私はちゃんとお金を払っている」と言うかもしれません。しかし、私たち自身が彼女や若者たちが貧困状況に置かれる構造を生み出す当事者であることに自覚を持つ必要があるのではないでしょうか。

そうでなければ常にこのような事は、自己責任や自己決定という個人が作り出した問題に矮小化され、それが許容される社会のまま保存されてしまいます。

生まれた家庭に十分な経済力がない場合、どれほど学業で努力をしても「学費」という壁にあたります。奨学金という名前で呼ばれる「教育ローン」は、卒業後の人生を借金という縄で縛りつけます。

私は大学でも教えています。学生時代は講義など受けずにさまざまな社会勉強が大事。遊ぶのが重要。そういう印象や自己の経験を持っている人であれば、すぐに現在の大学生がどのような社会環境のもとで日常を過ごしているのか、彼らから教えてもらうべきです。

教育ローンのみならず、学費や生活費も自分で稼がなければならず、大学の講義が終われば生活を支えるために複数のアルバイトを掛け持ちしています。遊ぶために貯めるのではなく、学ぶために、睡眠時間を削って働いています。

学費や生活費は削ることができませんので、遊興費はもちろん、食費なども極力抑えます。

働くと学ぶを20歳前後で両立せざるを得ない子どもたちを生み出しているのは、私たちの社会です。

「自分は頑張った」という過去の武勇伝を前提とした助言は、何の解決にも貢献しないばかりか、ただのマウンティングです。

限られた「アルバイト」の時間も、時給1,000円程度で稼げる金額は知れています。しかも、コロナの影響でシフトが削られ、仕事を失った学生もいます。それでも請求書や学費の支払い期限は毎日近づいてきます。

本書に描かれる女性も、性的奉仕を望んでしません。むしろ、彼女自身がなぜこんな気持ち悪い男性、大人に身体を売らなければならないのか戸惑いながら、「お金」のためという理由に心を蝕まれていきます。

もっと頑張れば、もっと楽にお金が手に入る。疲れ切った心身に、学業にあてる時間や休息の時間を確保するための提案は、より過激な性的奉仕です。若さやサービスがお金に直結する。

社会構造から生み出された貧困の女性に差し伸べる手は、そのようなサービスを求め、お金を払える人間たちの汚れた手です。

役に立たない友だちの助言

友人やパートナーの表情が疲れていれば、私たちは声をかけます。「たまには休んだ方がいいよ」という言葉は、休むことが許されない友人の心を傷つけます。純粋無垢に「それくらいなら新しいのを買いなよ」という声に、買えない経済事情を隠しながら、そっとそのコミュニティから外れていく、善意の排除につながります。

そんなに頑張らなくていいと声をかけることは、頑張らなくてよい環境がなければ成立しません。むしろ、自分はそこまで頑張らなくても大丈夫であるという立場や環境を持っていることを自覚し、その前提の上で何ができるのか、どのような声をかけたらいいのかを考える必要があります。

ひとつの可能性は、同じような環境にあるもの同士のつながりです。本書でも、同じサークルの女性が、当事者の女性に、自分も性的奉仕をしているカミングアウトするシーンがあります。これは非常に重要な観点ではありますが、そこには同じ環境だから心を許せることばかりではない落とし穴がさらに描かれています。

苦しそうな友人を心配する気持ちはとても大切ですが、個々に異なる背景がわからない以上よい関わりができるかわかりません。そのような場合、よい関わり方があるとすれば「聴く」ということでしょう。

アドバイスをしたい気持ち、叱咤激励をかけたい気持ちをぐっと抑え、とにかく聞き役に徹する。これだけで一時的にせよ心が楽になり、孤独でないことを実感することにつながるかもしれません。

個人を叩いて終わりにしない

合法にせよ、非合法にせよ、本書で描かれる女性を買う男性一人ひとりをあぶりだし、社会的に制裁しても、物事は大きく変わりません。

個人を叩いて終わりにするのではなく、私たちは、『東京貧困女子。』を生み出す社会に対して声をあげ、構造に働きかけていく必要があります。

お母さんもそうだったのだから、無理して大学に進学する必要はない。教育ローンを組んでまで大学に行く理由はない。心身を傷つけてまでお金を稼がなくてもいい。

個人がある選択をするにあたっての壁やリスクが大きいとき、無理をする必要はないことを伝えたくなります。しかし、私たちはその壁やリスクがそもそもなぜ彼女らに立ちはだかっているのかを考え、声をあげていく。

そして個人の選択に対して壁やリスクそのものを取り除いていくこと(取り除くことによって生まれる別の弊害も含めて)に力を使っていきませんか。

すべての壁やリスクに関心や余力を振り向けることは難しくても、目の前の現実やメディアを通じて流れてくる「ある個人」のストーリーに対して、「何がその個人をそうさせているのか」という視点で想像力を働かせていきましょう。

本書で描かれる女性が自身の望む生活、人生を歩めるようになることを願って。


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