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戦争もバブルも知らない、昭和生まれ平成育ちに捧ぐ平成ノスタルジー漫画『岡崎に捧ぐ』

【レビュアー/本村もも】

こんにちは。突然ですが私は1988年生まれ、つまり昭和63年に生まれました。昭和64年生まれも存在する、最後の昭和生まれの学年です。

長い長い昭和の最後の年。私の世代が後期高齢者になる頃には、きっと「昭和生まれ」は恐ろしく長い時代を生きた人に聞こえるのだろうな、どうせなら平成に生まれたかったな、と思わないでもないのですが・・。

今日はそんな戦争もバブルも知らない、昭和に生まれ平成に育った世代に捧げる漫画、『岡崎に捧ぐ』をご紹介します。

平成ノスタルジーを味わう!

『岡崎に捧ぐ』は昭和生まれ平成育ちの山本さほ先生による、エッセイ漫画です。読み始めると懐かしさとあるあるネタで、自分の小学生時代に脳内タイムスリップする感覚を覚えます。

たまごっちが大ブームを巻き起こし、持っていない子は非国民のような目で見られたこと、少女漫画のりぼん・なかよし・ちゃお派閥、可愛いを通り越して食品サンプルレベルの消しゴム、プロフィール帳の「聞いて何になるの?」と思うなんでもランキング。

よく考えてみれば、小学生の時にポケモンが発売され、プレイステーションやニンテンドー64、セガサターンなどの新しいゲーム機器も次々生み出され、ゲームボーイもどんどん進化を遂げた。

ジャンプでは『ワンピース』『ハンターハンター』『NARUTO』の連載が始まり、アニメだってまだ平日の19時台にやっていた。そう考えるとサブカルの英才教育を受けている世代とも呼べるのかもしれない・・。

昭和生まれ平成育ち世代は、バブル崩壊後の不景気な時代に生まれています。

経済が盛り上がっている世の中の雰囲気は経験をしたことがなく、ゆとり教育をかじっていたりすることもあり、社会に出た時にはちょっとおとなしい、マイペースな世代のような扱いを受けた気がします。でも『岡崎に捧ぐ』を読むと、そんな世代だって子ども時代はちゃんと楽しいことで溢れていたことを思い出させてくれます。

大人だからわかること、子どもだからわかること

本作は子ども時代を大人目線で振り返っているため、子ども時代には「少し不思議だな」と思っていただけのことが、実はこうだったんじゃないかと考えさせられるエピソードも多々あります。

たとえばタイトルにもある岡崎さん。

彼女は主人公の小学校時代の一番の親友なのですが、岡崎さんのおうちは物やゴミで溢れかえり、お父さんは平日でもいつもパンツ一丁で家にいる。お母さんは常にワインを飲んでいて、茹でただけのマカロニにケチャップをかけたものが夕食に出てきて、どんなに夜遅くまでゲームをしていも怒られない。妹はいつも何かに怒っていて、ヒステリックに当たり散らしている。

大人目線で考えれば岡崎さんの家庭環境は、ネグレクトにあたる。でも子ども目線では、いつまででもゲームができて、お菓子ばかり食べても怒られない夢のような世界。

最初はそんな夢のような世界目当てで、「クラスで仲良くなりたい人ランキング」最下位の岡崎さんと遊ぶようになった主人公ですが、徐々に岡崎さんと遊ぶこと自体が楽しくなっていく。

ブルマを買うのをめんどくさがった岡崎さんのお母さんが、ただの黒いパンツを持たせても、文句も言わずパンツonパンツで体育に出ていた岡崎さん。友だちに「なんだか臭いよ」と言われて初めて、毎日お風呂に入ることを知った岡崎さん。

そんな岡崎さんがある日、主人公につたえた一言。

「でも私、山本さんと出会えて幸せなの。
私きっと、山本さんの人生の脇役として生まれてきたんだと思う」

おそらくクラスでも少し浮いでいたであろう岡崎さんも、親友ができたことで、毎日に光が射していく。そうして思わず出てきてしまった言葉だったのかもしれません。

そして数十年後のこの言葉へのアンサーが、本作のタイトル『岡崎に捧ぐ』。ちょっと胸が熱くなりますね。

大人の目線だったらもしかすると一線を引いてしまったかもしれないけれど、子どもだったからこそ主人公は岡崎さんという一人の人とちゃんと向き合うことができたのかもしれません。

本作には岡崎さんの他にも、「大人目線で考えてみれば・・」というキャラクターが登場します。そして自分の子ども時代を思い返してみると、似たような「少し不思議だな」ということがあったなと思い出されます。

大人になった今、自分がその子に何かできることはないかもしれません。でも私はそんな同級生に『岡崎に捧ぐ』が届いたらいいなと思いました。


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