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【本当にやりたいこと、本当になりたい自分は、自分一人だけじゃ中々届かない場所にある。】

こんばんは^ ^
理由は忘れてしまったのですが笑


今日はたまたまGmailで昔の自分が送ったメールを見返していたら、私が大学生だった頃の文章を見つけたので、
こちらにシェアしようと思います。

これは大学に入り、雅な踊りを踊るサークルの中で、1人だけ熱苦し過ぎるからと「修造」というあだ名をつけられた、とある空気が読めなかった青年が、自身を変えようと挑戦をしたお話です。

少し長くなりますが、
お時間許す方は、是非読んでみて下さい^ ^

では、どうぞ。
(以下、当時の原文をそのまま紹介します。)
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【KY隊隊長、川越崇大】


僕の名前は川越崇大。
小学生の頃から、ずっと「自己中心的だ」と言われて続けて育ってきた。大学に入ってもその傾向は変わらず、とにかく自分勝手に自分のやりたいことをやっては、周りに認めて貰いたがった。しかしサークルの求めているものと僕のやりたいことは違い、度々ぶつかっては、心が折れて最後までやり切ることが出来ず、信頼を失い続けていた。
 
これから語る物語は、そんなどうしようもない僕が、

「これをもし達成出来たら自分は絶対に変わることが出来る」というガン懸けをして歩き抜いた、心の葛藤の記録である。


 
一年の時はサークルでKY隊隊長と呼ばれていた程、空気の読めない人間だった。しかし僕は、そのサークルで認めて貰いたくて沢山のことに挑戦しては、失敗ばかり繰り返していた。そんな僕が変わるきっかけを貰ったのは、サークルを引退して半年ほどたった、大学四年の春であった・・・。


【百億分の一光年先に見えたもの
~あなたの背負うものはなんですか~】  

はい、こんにちは。修造です。 
もう、至るところ全て元気ですww 

そんな修造は、2011年6月18日~6月19日にかけて、「第49回本庄~早稲田100キロハイク」に参加して来ました。簡単に説明すると、早稲田の早慶戦、早稲田祭に並ぶ三大行事の一つで、毎年1000人を越える早稲田生がコスプレをして本庄~早稲田間の約100キロ(正確には120キロくらい)歩くイベントです。日ごろぬるま湯につかって生きている自分達に、100キロ歩くという目標のもとに、お互いの限界状態をあえて作り出すことで、本当に苦しい状況の中で自分がどう自分と戦い、仲間と支え合い、どう苦難を乗り越えていくかを実践の中で学ぶイベントで、三大行事の中で、最も早稲田精神に溢れるイベントであります。 

修造は一年の時にナルトのコスプレで参戦して、見事トップ集団でゴールしていたので、二年ぶり二回目になる今回は、ナルトのクオリティをかなり上げて、ウイッグを着用し、サンダルを履き、先輩のMAXから託された纏(約5キロ)まで持って参戦しました。こんな感じです。 

2008年度(大学一年時) 

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新撰組のコスプレの、東京花火の同期のヘルシーと。所沢体育館にて。 


からの 

2011年度(今回) 

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ガンツのコスプレの、東京花火の後輩のチャーリーと。開会式にて。 

今年は直前に右足を無人島に行く途中で捻挫していたので、正直出ようか迷っていたのですが、100ハイに参加する為に一日中ずっと並んで待ったので、参加することにしました。足痛いとか関係ないっしょ!! 

ナルトのコスプレのまま電車に乗り二時間、本庄について三松と会ったり、若さんと会ったり、ジャイアンと会ったりしてテンションあがる。開会式も終わり、いよいよスタート!! 


★第一区★ 

百ハイスタート!一区はとにかく、ぐんぐん進んだ。最初きえりんと一緒に歩くが、ペースが違ったので一人で歩く。捻挫?サンダル?余裕じゃん!!ってかなり早いペースで歩いて、どんどん人を抜かしていった。纏を持って歩いていたので、間違いなく一番目立っていたと思うww頭の中には、俺が一年の頃の「下駄なのに早いまさみん」が脳裏に強く焼き付いていて、絶対に負けたくないと思っていた。一区はほぼ先頭集団で休憩所につく。纏とコスプレのせいで、危うく何か賞を貰いそうになったww 


★第二区★  
   

雨が降り出す。纏にビニールをかぶせて、カッパを着てきえりんと意気揚々と出発するが、早々に失速。休んで少しは良くなったが、すぐに足が痛くなった。途中、下駄っぱーズのハルと一緒に歩いた。だんだん日も落ちて来る。雨も強くなる。足の痛さのために歩くスピードが極端に落ちていた修造は、次々に後続の参加者に抜かれ、やがてあたりは自分の懐中電灯の明かり以外なにも無くなった。上下の激しい真っ暗な道路に一人ぼっち。纏を持って、捻挫した足でサンダルで歩いていた。いや、足を前に引きづっていたという方がこの場合は正しいかもしれない。悔しかった。自分は歩くことさえままならず、足をどうにか前に出すことしかできなかったのだ。纏はいいとして、サンダルがヤバかった。靴底が薄過ぎて、痛みが半端ない。足の裏にたまってる血がほんとにヤバいくらい痛かった。運動靴の文明の利器としての凄さを痛感した。しかし、そんなことを思っていても、歩かなきゃ意味が無い。とにかく足を前に出すことだけを考えていたが、ほとんど進んでいるか進んでいないか分からないかくらいのスピードだった。めっちゃ悔しかった。サンダルで歩いていることが、捻挫した足で歩いていることが、5キロの纏を持って歩いていることが、誰にも評価してもらえないことが。

「俺だって、運動靴なら余裕で先頭集団なのに・・・」と何度思ったことか。同じ時間に同じ場所に立っていても、そこに至るまでの道のりや、もっと「背負うもの」を見て欲しいと思った。

でも、どんなに思っても、足が痛すぎる。歩けない。でも、諦めることは何故か不思議と頭には浮かばなかった。右足が捻挫していて、重い纏持って、歩きづらいサンダルで歩いて、「凄い」って言われたい。でもそいつは、「ゴールしなきゃ意味が無い」って思った。 

この時、「どんなに遅くても、完歩してやる」そう思った。 
でも一方で、大切な纏を預けてくれたMAXには「閉会式までにゴールする」と約束していたので、非常に申し訳なく思った。 

もともと一年の時に花火のみんなが助け合って百ハイを完歩した話を聞いて、百ハイの真髄は「限界状態での助け合い」だと知り、自分が普通にやると余裕になってしまって限界状態にならないからと今年は自分もみんなと助け合いたいと思って、自分に課したサンダルと纏。まさかそれのせいで自分のペースが遅くなり過ぎて誰とも苦しみを分かち合えないとは・・・完全に誤算だった。 

周りには誰もいない。真っ暗な闇の中に、一人ぼっち。 

完全に地獄だった。 

最初はまぁまぁ歩けたけど、 
雨と孤独と痛みで、 
心が完全に参ってしまっていた。 

ここに、その時にまさみんに送ろうとして送らなかったメールがある。 

「調子に乗ってサンダルにしたのがヤバかった。5キロくらいの纏持ってる上にサンダルで百ハイは鬼畜wwwかつてないキツさに本当に死にそうなう 閉会式どころか、完歩出来るかすらキツい」 

多少カッコつけようとしていたが、この時は本当にヤバかった。でもこの時も不思議と「リタイヤ」する気持ちは無く、「どんなに遅くても、とにかく歩ききる」気持ちだった。 

しかし、もう歩けない。と思う瞬間が遂にやって来た。まさか、自分がそんな状態になるとは、夢にも思っていなかった。足が止まる。また、時々百ハイの参加者に抜かれていく。一区で少し話したシェリルさんにも会った。みんな修造を抜く時に応援してくれたが、自分はマジで限界だった。 

そんな時、「助けて」と思った。 
もう自分じゃ何も出来ない。誰かの声が聞きたいと。 

花火の百ハイメーリスに「サンダルで足痛くて死にそう」みたいな内容を送ろうかと思ったが、カッコ悪いと思って辞めた。とにかく、めっちゃ仲のいい誰かに励まして欲しかった。ふと頭に浮かんだのは、まさみん、はーるー、めぐ 

真っ先にかけたのは、一年の頃一緒に歩いてくれたまさみんだった。 
・・・出ない。 

次に、きっと優しい言葉をくれるであろう、08年度の百ハイ経験者のはーるーにかけた・・・出ない。 

その次にかけた、一緒にメインコンテンツを作るめぐには繋がった。 
なんだかんだかっこつけようとしてしまい、本当に辛いことは言えなかった。 
でも、少し元気を貰った。 

また少しだけ進んで、修造はふと思った。 

そうだ、これは、この百ハイは、 

俺の人生そのものなんだ。 


修造はそう感じた。 
右足を捻挫した中で、サンダルで、纏を持って歩く。これはまさに俺の生き様だと、俺は確信した。右足の捻挫を言い訳にして、ここでサンダルを脱いで、纏を捨てて歩く。これが俺の今まで東京花火やキッカケで俺がして来たことだった。分かりやすく言うと、歩く道が人生、その道で見つけて拾って持って歩くものが、その人の成すことである、と修造は感じたのだった。つまり、自分が「やる」といって何かのプロジェクトに参加することは、ここでいう「何かを拾う」こと。そしてそのプロジェクトをやり続けることが、ここで言う「持ち続ける」こと。さらに、そのプロジェクトをやり遂げることがここでは、「その拾ったものを持ったままゴールすること」である。そのプロジェクトを途中で辞めることは、ここでは「拾ったものをゴールまで持ち続けられないで、途中で捨てる」ことである。 

俺は、普通の人なら拾わないであろう纏やサンダルを、誰に命令されるでもなく、「自ら」選択し、「拾った」のだ。これは、俺自身が他の人とは違うことをやりたがることと、非常に良く似ている。しかし、今までの俺は奇抜なものを拾ったとしても、「ゴール」まで運べずに途中で「捨てる」ことが多かった。ここでの「右足の捻挫」の様なものを言い訳にして。そのことによって、周りから信頼を失い、嫌われていた。 

普通の人は、余計なものは持たずに、とにかく誰から見ても分かりやすい「一番」を目指すだろう。しかし、俺は違う。人生はそんなに簡単に優劣をつけられるものではないと思うからだ。人は、優劣をつけたがる。自分の方が優れていると、数字や眼に見えるもの、例えば財産や金等によってその人を判断しようとする。それは見る人が、目に見えるものに頼り過ぎて生きて来たからだろう。自分が、目に見えないものを評価することに自信がないのだ。人の優劣などむしろつけるべきでは無く、つけるとしても自分自身の評価基準によるべきであると思った。いつまでも世間一般に言われている物差しで測っていては、自分の幸せですら、世間の物差しでしか測れなくなってしまう。

だから、俺は、俺自身が一番評価出来ることをしようと思った。それは、捻挫した足で纏を持って、サンダルで歩き切ることだ!

どんなに奇抜なものを拾ってみても、最後までそれを持って歩ききらなきゃ意味が無いんだ。だからこの百ハイは、俺にとって『自分が変わる絶好のチャンス』だと思った。こんなキツイ状況のなかで、自分が自ら選んだ纏とサンダルを持ち、捻挫もものともせずに百キロ歩ききることで、俺は、俺自身がこれまでの自分を乗り越えて自分が変われる気がした。 

また、歩き出した。何も考えられず、歩く。歩く。歩く。 
とにかく前に進んでいる限り、ゴールには近づいて行くのだから、時間を感じないようにしようと修造は考えた。そのためにはどうするか。時間が早く過ぎ去ってしまった経験で、自分が今ここで再現できるものを、記憶の中からひたすら探し続けた。 

あった。 

カラオケだ。そう、何を隠そう修造は、東京花火での「カラオケ大臣(自称)」を務めていたのだ。とにかくテンションの高い曲を歌いまくって、アドレナリンを出し、体感時間を短くしようとした。 

真っ暗な道のりの中、自分の懐中電灯の光だけを頼りに歩きながら、修造はひたすら、ただひたすらに歌い続けた。 

そしてついに、第二休憩所に着いた。修造は精根尽き果て、完全に死ぬ一歩手前みたいな状態だったが、花火の後輩のシャックとアナキンに会い、また、休憩所に入るあたりでも花火の沢山の後輩に会い、めっちゃ励まされた。みんな心配してくれていたのだ。「修造さーん」と声をかけて歩み寄ってくれたことだけで、本当に嬉しかったし、なにより、大好きな後輩達が本気で頑張っている姿を見れたことが、一番励ましになった。「アイツらがあんなに頑張ってるのに、負けられねぇ・・・!」そう思った。 

第二休憩所では夕飯が出た。飯を食ったらすぐに出ようと思っていたが、股ズレがヤバい。いっそノーパンで歩こうかと思ったが、逆に痛すぎたので断念した。とりあえず、パンツを絞ってみたら、案外いけそうだ。よし、行こう。 


★第三区★ 

第二休憩所を出発。最初は元気だったが、やはり体力はそんなに回復していず、すぐに底を尽きる。とりあえず、さっきと同じ様に、ひたすら歌い続けることにした。最初は全然動かなかった体だったが、三十分くらい歌っていると、体が不思議と動く様になって来た。即興で歌を作りながらだったり、好きな歌を歌ったりして歩いた。自分が小学生の頃を振り返り、時系列に思い出せる曲を次々と口ずさんだ。カントリーロードとか、Leady Steady Goとか、男女とか。そして、ある一曲を境に足が非常に軽くなった。その曲は、 

「宇宙戦艦ヤマト」 

であった。 
修造はこの時、この曲の歌詞に非常に感動したのであった。その箇所がここである。 

「必ずここへ 帰って来ると  
手を振る人に 笑顔で答え」 

そうだ、俺は早稲田に帰らなきゃいけないんだ。 
俺は、「ヤマト」なんだ。そう思った。 
早稲田に待っててくれる人がいる。 
早稲田に帰って、みんなに会うんだ!! 
そこに行かなきゃ、俺は誰にも自分の頑張りを伝えられないんだ。 
そこにたどり着いて初めて、俺は評価されるんだ。 
自分で、自分を越えられるんだと。 

それ以降、とにかく修造は「ヤマト」を歌い続けた。 
自分は帰らなきゃいけない。 
帰りを待つ仲間がいるし、何より、 
早稲田に辿りつかなければ、俺は今までの自分と何ら変わることが出来ない。 

絶対に、絶対に、帰るんだ!! 
早稲田へ!!!!!! 

歌い続けている中に、まさみんからの電話があった。 

体力は一向に0だったので、正直に 
「死にそうぜよ。サンダルなめてました。」 
と伝えた。そこでもまさみさんは流石やった。 

意味もなく「あと少し」とか言うのではなく、だいたいどこにいるのかを聞いてから、「それだったらあと○○くらいだから、きっとそのペースなら○○くらいには第三休憩所に着くと思うよ。なんだ、思ったより早いじゃん。閉会式に間に合う様に、頑張れよ。」と言ってくれた。 

もう大丈夫だった。自分の中で峠は越えていた。 
まさみんの的確なアドバイスが、さらに追い風になった。 

もうホントにとにかく歌い続けて、修造は三区をクリアした。 
“ NO MUSIC , NO LIFE ”はガチだなと実感した日だった。 

コンタクトを外し、ウイッグを外し、すぐに寝た。 
寝たのは夜の3時だった。たぶん、06:30くらいに起床かなと思って06:10にアラームをかけたら、まさかの05:50位に 

「起床ーーーーーーーーーーーーーーーーう!!!」 

という声が体育館に響き渡った。流石は早稲田精神高揚会、気分を高揚させてくれるぜ。 
とりあえず、3時間は寝れた。よし、と思い起きて、ひげをそり、コンタクトをつけて、コスプレを着る。今日は、二日目の為に用意した、ナルトの「仙人モード」だ。あわに仙人モードのメイクをしてもらい、赤い羽織を着て、仙人モード完成!気合充分!!!そして、いよいよ第四区のスタート。 


★第四区★ 

この日は三時間の睡眠で超回復していて、修造は四区でかなり元気だった。 

「こいつ、・・・動くぞ!!!」 

そう、この日は足が動いたのだった。途中でまた下駄っぱーズのハルに会い、同じくらいのペースだったので一緒に歩いた。少し元気がなさそうだったので、一緒にリンダリンダを歌ったりした。四区はずっとハルと一緒やった。しばらく歩くと、マジで足がヤバくなって、ホントに死にそうだった。足に血が溜まり過ぎてジンジンするし、両足の踵には直径6センチくらいの水膨れが出来ている。ハルと一緒に、ちょいちょい休みながら歩いた。やっとのことで休憩所の所沢体育館にたどり着いた。所沢キャンパスの学生に、ナルトのカカシ先生ネタの、“車輪眼からの「雷切り」”をされたので、「うわぁーーーーーーーーー」と喰らっておいたww 

体育館に着いた。 
実は、股ズレがひどくなり過ぎていて、もう歩けないと思っていた。 
そこに、修造が一年の時にジャイアンのコスプレで参加していて、同じオレンジだということで仲良くなったジャイアンがいた。どうやら彼は、今年は運営側のようだ。ジャイアンが、「ナルトお前、明らかに股ズレしてる歩き方じゃんかよ。大丈夫か?」と心配してくれた。修造は実際ヤバかったので、正直にどうしたらいいか聞いた。したら、ベテランのジャイアンによれば、「布を股に挟まばいい」らしい。騙されたと思ってやってみた。 

「痛くない!!!!!」 

こいつは革命的だった。いける!! 


★第五区★ 

五区がスタートした。アップダウンの激しい山道の砂利道を抜けて、果てしないサイクリングロードからの、遥かなる新青梅街道。始まる前から周りの参加者が、「五区はヤバい。ひたすら同じ景色が続く新青梅街道に絶望するらしい」と口ぐちに言っていた。そりゃそうだろう。と、修造は思った。きっとそれは、「後どれくらいか」を考えながら歩いているからだと思った。だから修造はとにかく残りの距離を考えるとやる気がなくなるので、その瞬間瞬間を頑張ることにした。 

砂利道は、中学高校の頃に毎年登った「大菩薩峠」のノリでガンガン攻めて、サイクリングロードは、時々侍のアニソンや花火のハスキーに会いながら、途中で道端の人にビワを貰ったりしながら、ひたすら「真っ赤な誓い」を鼻歌で無限リピートした。 

新青梅街道は、侍のカロリ、ライラ、なーんさん達と一緒に歩いた。途中、警察の人に元気よく挨拶したら、職質されて足止めを食らったwwウケたのが、20人くらいの少年サッカーのグループが向かいの信号で待っていて、俺が渡った時に20人全員とハイタッチした時だった。あれは元気貰った!しかししかし、新青梅街道の長いこと、長いこと。花火のまっさんと歩いたり、ハスキーと会ったり、チャーリーと会ったり、ヘルシーに会ったり、あわに会ったり、沢山の友人に会って励まされた。一回、通りを挟んで東京花火の5、6人で「一期一会の 夢花火 ここで歩かにゃ いかんちや 東京花火 せーの、どっかーん!」をやったのはいい思い出だ。男女を歌いまくってテンションを上げたり、東京花火の2009年度の「妖」のMCをひたすらしまくって、かろうじてテンションをキープしていた。とにかく行きかう人達に挨拶をしまくって、元気なように振舞っていた。 

だいぶ歩いて遂に一人になり、もう駄目だ、って時に、花火の後輩の宮川に会って、一緒に歩く。何度も何度も「あそこがゴールんなんじゃね?」って勝手に決めて、勝手にぬか喜びをしては落胆していた。そう、それこそ、砂漠でオアシスの蜃気楼を見る旅人の様に。が、本当にラストのラスト。学院出身の参加者の人が近くを歩いていて、「あの坂を登ればゴールだ」と言った。俺たちは、点滅していた信号をダッシュで渡り、遂に第五区をクリアした!!!なぜか東京花火の先輩のしろさんがいて、褒めてくれて、めっちゃ嬉しかった。かなり上の方の順位だったらしく、ここで2時間以上休むことが出来た。 

修造にとって、もはやここが殆どゴールだった。なぜなら、股ズレがいよいよひどくなり、どうしようもない状態になっていたからだ。布はもう汗を吸ってしまって使えない。とりあえず、ティッシュを敷き詰めてみた。痛い。無理だ。これじゃあ、残りの6区がいくら短いとはいえ、歩ききれない。そう思った。が、一か八か、ティッシュの位置を少しずらしてみた。・・・いける!!!そう思った修造は、ティシュの位置がずれないように、テーピングで腿の下を左右共にグルグル巻きにした。それこそ、ナルトが巻いているようにwwそして最後の第6区がスタートした。 


★第6区★ 

とにかく欲は無く、「完歩」することだけを考えていた。五区と同じ様に、挨拶をしまくり、歌を歌いまくっていた。そして6区の終盤、たまたま仲良くなった、グリークラブのブラックスワンのコスプレをしていた長島さんと一緒に歩いた。足が痛くてしんどくて、非常に辛かったが、彼のお陰で、新目白まで体力がもった。もう後少しだ!! 

気が付くと見覚えのある道になり、遂に高田馬場に着いた。

「馬場に着いたってばよーーーーー!!」

と、思わず大声で叫んだ。ここから、もうハイテンションが止まらなかった。ナルトとスワンの快進撃である。長島さんと、大声で校歌を歌いながら、纏をぶんぶん回しながら歩いた。二人とも声が非常にでかく、その声は建物の間に響き渡って木霊していたwwどんどん、どんどん、足が勝手に進む。さっきまで疲れていたのが嘘の様だった。百ハイの終わりが見えて来た。しかし時計を見ると、非常に早い。このまま行くと閉会式に間に合うどころか、45分以上余裕がある。あんなに辛かった百ハイも、終わりが見えて来ると、なんだか名残惜しい気持ちになった。 

そしてついに、グランド坂付近にたどり着いた。もうゴールはすぐそこである!!修造達は、走り出した。修造は、百ハイの前日にランニングをしようとしたが、足が痛くて走れなかったのに、今、この瞬間、走れていた。

「・・・足が、治った!!」

そう、百キロ歩き続けることによって、右足の捻挫の痛みが全くなくなっていたのだ。修造は、自慢の俊足と大声を生かし、大音量で校歌と紺碧を歌いながら走った。どんどん道行く人を抜いていく。大隈講堂に続く最後の曲がり角に立つ“銀だこ”を過ぎた。もうゴールは、目と鼻の先。走り過ぎと歌い過ぎで肺が苦しかったが、本当に、最後の最後だと思って、力を振り絞って、叫び、走った。大隈講堂前に着き、階段を登る。あとほんの30メートル。階段を登って目を上げると、大隈銅像に続く道の両脇に、ひしめくほどの早稲田生。沢山の学生が、

「ナルトーーー!!!あと少しだ!頑張れ!!」

って声をかけてくれた。嬉しかった。嬉しくて、ガチダッシュした。足がつりそうで心配だったが、そんなの関係ない。「ナルトー!」と呼ばれる声が聞こえる度に超テンションが上がり、一気に走り抜けて、大隈銅像の前でゴールした。ゴールした瞬間、MAXとごんと奥山さんにビール!?やらコーラやらをかけられた。めっちゃ嬉しかった。嬉しくて、MAXに報告した。閉会式までにかなり余裕のある時間に纏を持ってゴール出来たこと。右足捻挫で、しかもサンダルで歩き抜いたこと。MAXは素直に「すげぇ」って褒めてくれた。子供じみているかもしれないが纏をMAXから託された時から、MAXに褒めて貰いたかったから、この言葉をMAXから聞けたことが、本当に嬉しかった。 

本当に、本当に最高の百キロだった。 

今年、ダントツで一番の達成感だった。 

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ナルト、仙人モード。閉会式にて。 


★その先に見えたもの★ 

百億分の一光年歩いてみて、俺は本当に、自分を越えられたかは分からない。 
でも、この何度も何度も諦めそうになったけれど、最後まで歩ききった経験は、 
本当に最高の宝物やと思う。

 

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最後まで歩き切れたのは、俺一人の力じゃない。 
一緒に歩いてくれた仲間がいて、 
待っててくれた仲間がいて 
同じ場所にいなくても、思っていてくれる仲間がいた。 

そんなみんなのお陰で、 
俺は最高の感動と達成感と共に、 
この百キロという道のりを歩き切ることが出来た。 

みんな、本当にありがとう。 

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東京花火の仲間と、閉会式にて。 

この体験を通して、自分自身が評価されなかった悔しさから、同じ時、同じ場所を歩いている仲間でも、そこに至るまでの道のりや、そいつの背負っているものをもっと見て評価してあげられる様な、それを分かってあげられる様な人になりたいと思った。 

人はその人生で、自分の背負ったものの分だけ成長出来るとしたら、 

あなたは、何を背負いますか。 

修造(ナルト) 

【さぁ、宝探しに行こうじゃないか!!!
~自分の想いに本気になれ~】


 100ハイを終えて、自分の中で大きく変わったことがあった。それまではとにかく、「自分を見て欲しい」「自分を認めて欲しい」という想いが強くて、他人の努力や何かに懸ける想いに、自分自身が気付けていなかったし、気付こうとしていなかった。
 
しかしこの100キロを終えて、もしかしたら皆、俺が100ハイでひたすら一人で戦い続けていたみたいに、一人で戦っているんじゃないかって思えるようになった。
 
みんな、自分を認めて欲しいけど、認めて貰えなくて苦しんでいる人が沢山いるんじゃないかって思った。「他人が背負っているものを評価してあげられる人間になりたい」そう思った自分は、前のただ自己中心的な自分から少しづつ変わって行った様に思う。
 
 
 3年の3月くらいから入った学生団体では、夏休みに「大学生200人を集めて沖縄で7泊8日で合宿し、『よさこい×エイサー×ソーラン』の踊りを200人で作る」というイベントのリーダーの一人に選ばれた。200人にダンスを教えるのは大変だったし、内部での意識の違いから何度も衝突したり、当日のダンスの進行が思う様に進まず、何度も心が折れそうになった。そんな状況でも最後まで自分の心が折れずにやりきることが出来たのは、自分が本当に限界ギリギリの中で100キロ歩き切ったという自負と、このイベントを絶対に成功させて、自分が今まで迷惑しか懸けて来れなかったこの組織に、何が何でも恩返しをしたいという気持ちだった。その決意と、仲間との結束によって、そのイベントは大成功を収める。仲間への感謝を心から感じたイベントだった。
 
 
 そして今、僕は大学5年生である。単位が足りな過ぎて6年生が既に確定しているが、後悔はしていない。自分がやって来たことの一つ一つに、意味を見い出せているからだ。周りからどう見られるかを気にして、周りから評価されたいと願いながら過ごしていた大学3年間。そして、相手を評価出来る人間になりたいと願って過ごした約一年間。幸せだったのは、明らかに後者だった。
 
 人は、他人からの評価を気にしないでは生きれないと思う。それもそのはず、「自分」という存在は、他者との関係性の中で作られる部分が多いからだ。しかし、他者からの視線ばかりをを気にしていても、人はイキイキすることもない。だから俺は敢えて言う。


 
「自分の想いに本気になれ」と。


 
一旦他人の視線を無視して、純粋な自分の想いに本気になった時、その人の中で大きく変わることがあると思う。何が何でもやりたいこと、何が何でもそれを成功させなければならないと心から思った時、自分のやりたいことだけをやっていてもダメだと気付くはずだ。それは、

自分自身が本当にやりたいこと、自分自身が本当になりたい自分は、自分一人の力じゃ中々届かない場所にある。

自分一人でひたすら頑張っている時、自分を支えてくれる人に出会うかもしれない。チームの中でぶつかり合ったとしても、本気で達成したいことなら、自分のやりたいことを主張するより、チーム内の力を如何に最大限にしてその達成困難な目標を達成するか、そこに想いがシフトするからだ。そう気付いた時、人は他人を評価出来るようになると思うし、他人を評価出来る人になれることで、自分自身がとても成長出来るからだ。そしていつか、周りからも評価され、感謝される人間になれると思う。
 
 自分が変わりたいと願うなら、自分が本気でやりたいことに全力になって欲しいと思う。そこで出会う仲間たちは、きっと一生の宝物になるはずだから。
 


 さぁ、宝探しに行こうじゃないか!!!

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最後までお読み頂き、有り難う御座います^ ^

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早稲田大学OB

川越崇大

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