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SNSと表現の自由の制約

インターネットは本質的に自由な空間であるという共通認識があります。そしてそれを表現・言論の自由という形で体現できるアーキテクチャ(構築された環境)として、SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)があります。

TwitterやFacebook、Instagram、TikTok等が主なSNSとして知られています。

しかしフェイクニュース等への対策として、SNSのサービス提供者によって、ユーザーの表現の自由が制約されるという可能性が明らかになってきました。そしてそれに反感を持つ人々によって、似たようなサービスを提供しているSNSを利用するという事象が発生するようになりました。

今回はこれについて、アメリカ大統領選での動き、サイバースペース(インターネット)におけるアーキテクチャとしてのSNSについて触れた後、表現の自由の制約によって発生する思考の分断について自分の考えを書きたいと思います。

アメリカ大統領選

2020年のアメリカ大統領選にて、民主党のバイデン氏が共和党のトランプ大統領を破り、次期大統領として選出されました。

このアメリカ大統領選にて、TwitterやFacebookが公式発表とは異なる情報についてフェイクニュースの可能性を示す警告文の表示を行いました。これは2016年にSNSでのフェイクニュースが大統領選に大きな影響をもたらしたことを受けて、より多くの人が正確な情報に触れられるようにした対策となります。

この手法の賛否についてここでの議論はしませんが、これをきっかけに、警告を検閲と反感を持つ人々が、異なるSNSへの移行を模索するという動きが生まれました。また、SNSにおける表現の自由についての議論も生まれました。

特に、公式発表として大統領選に敗北したと報じられたトランプ大統領の支持者がトランプ大統領の投稿に警告が表示されることについて反感を持ち、TwitterやFacebookからParler(パーラー)、Gab(ギャブ)への移行が行われました。

アーキテクチャとしてのSNS

SNSを提供するサービス提供者による一連の対策は、表現の自由を制約するものなのでしょうか。

情報社会において、ソフトウェアプログラムなどのアーキテクチャが新たな規制手段として、個人の自由を制限する可能性を指摘したものとして、ローレンス・レッシグの『CODE―インターネットの合法・違法・プライバシー』という本があります。

ローレンス・レッシグは著書において、人間の行動を制約するものとして、法律、規範、市場、アーキテクチャの4つを挙げました。その中でアーキテクチャを「物理的・技術的条件によって行動を制約」する規制形態と捉えました。

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そして、サイバースペースにおける「アーキテクチャ」に相当する概念として、「サイバースペースのあり方を規定するソフトウェアとハードウェア」という形で定義しました。

ここでいう「サイバースペースのあり方」とは、「サイバースペースにおいて、人がどのように振る舞えるのか」ということを指しています。それは「人ができること」の範囲を規定すると同時に「制限されること」が何かを規定するということでもあります。つまり、「サイバースペースにおける個人の自由を構成する」と同時に「サイバースペースにおける個人の自由を制約する」ことを意味しています。

この考えに基づくと、アーキテクチャとしてのSNSは、表現の自由を構成する環境として、そのサービスを提供していると考えることができます。

そして、SNSのサービス提供者によって行われる警告表示やアカウント凍結のような行為は、個人の表現を検閲ないし抑止する行為として、アーキテクチャによる表現の自由の制約と考えることができます。

では、アーキテクチャとしてのSNSが表現の自由を制約するとき、どのような基準でそれを決めているのか。法令や利用規約と照らし合わせて、表現の自由を制約することになりますが、そこには解釈の余地があり、最終的な判断は各SNSのサービス提供者が決めることになります。

この「解釈の余地」という部分で、SNSにおける表現の自由の制約が決まることになるのですが、その内容によって人々の情報認知が大きく左右されることになるのではないかと考えます。

ゆるやかな制約でのフィルターバブル

SNSにおける現象の一つとして、フィルターバブルというものがあります。
ユーザーの様々なデータを使ったプロファイリングによって、ユーザーの関心・興味の高い傾向にある情報のみが提供され、その他の情報が遠ざけられることを指しています。AIやアルゴリズムによってフィルターされた好みの情報が、ユーザーを泡のように取り囲む状態からフィルターバブルと名付けられました。

フィルターバブルの特徴としては、同じ意見を持つ人々同士でコミュニティを築きやすく、自分の考えと対立する観点の情報に触れることが難しいことから、ユーザーの思考が凝り固まることが懸念されています。

しかし、ゆるやかな制約の下で表現の自由が維持されている場合、一つのSNS内のトレンドや一つの投稿に対してのコメント等を見ることによって多様な考えに触れる機会があります。

コミュニティ間での衝突が生じることもありますが、多様な考えに触れることを通して、フィルターバブルを破ることが可能になります。

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強い制約によるユーザーの分裂

では、表現の自由が強く制限されるとどのようになるのか。

表現の自由の制約は各SNSによって判断する余地があることから、SNS αでは制約されていた考えが、SNS βでは許容されるという事象が発生します。そしてその場合、SNS βでしか許容されない考えを持つ人はSNS βを利用することになります。

TwitterとParlerのような似たようなSNSのサービスである場合、その相互の行き来はあまり発生しないと想定されます。

そのため、多様な考えに触れるということは一つのSNS内と比べ、著しく低下することが考えられます。SNS αにいるユーザーは制約された考えに触れる機会が少なくなり、その考えに触れていれば抜け出せていた可能性のあるフィルターバブルから抜け出すということが難しくなります。

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表現の自由の制約が強くなると、異なる意見を知るためにコミュニティ間をまたぐようなソフトな移動ではなく、国境をまたぐようなハードルの高い移動が必要になるのではないでしょうか。

以上のことから、アーキテクチャによる表現の自由の制約はその強弱によって、人々の情報認知が大きく左右されることになるのではないかと考えます。

余談 制約の正当性

今回の事の発端となったTwitterやFacebook等のSNSのサービス提供者による警告について、アーキテクチャによる表現の自由の制約と考えることができると本文中に記載しました。

そもそも論として表現の自由の制約をSNSのサービス提供者が行う正当性があるのかということについて、コンテンツモデレーションという考えがあります。

コンテンツモデレーションとは、サービス提供者が自社のサービス上で発信されている内容について、法令や自社のガイドラインに反していないかを確認し、違反コンテンツを警告・排除する行為です。分かりやすい例としては児童ポルノや誹謗中傷等の人権を侵害するコンテンツの削除がこれに当たります。

違反コンテンツを警告・排除することによって、信頼できるサービス空間を構築することを目的としています。

TwitterやFacebookが選挙関連の情報で公式に発表された情報ではないものについて警告表示を行なったのは、まさにこのコンテンツモデレーションが行われたもので、信頼できるサービス空間を構築するために行われています。

ただし、コンテンツモデレーションという考えのもとでも行き過ぎた表現の自由の制約は認められていません。法令、利用規約に基づいた判断の上で、違反コンテンツを警告・排除することになります。



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