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トイレでゲリラ活動してたら神様に救われた話

文化祭とはクラスカーストの下層にある者にとって、居場所のなさを真に突きつけられる行事で。かんもく症で喋らない私はカーストの最下層だった。小学生でも最下層には容赦はない。

みんながお祭り騒ぎで楽しいひとときを過ごすとき、私は決まってトイレに潜伏していた。

学校行事では与えられた役割に没頭することで、時間をやり過ごし、居場所を確保していた。しかし、文化祭は役割を交代して皆に自由時間が与えられる。自由時間にぶらつくことができなくて、私は居場所の難民になる。

なので私は居場所を求めて、トイレに潜伏していた。トイレなら、誰とも喋らなくて良いのでトイレの潜伏は私にとって最高のソリューションだった。

トイレで私は一刻も早く祭りが終わることを心から願い、祭りの終了と同時に一目散に教室に向かい、撤収作業をする。楽しい祭の余韻を残すことなく、祭りに終止符を打つことを喜ぶ、祭りのゲリラ戦員がここに誕生する。

毎回このような過ごし方をしていたので、トイレにおけるゲリラ活動も年々進化を遂げ、学級文庫から本をこっそり持ち出して,トイレで文化的に時間を過ごし、ゲリラ活動に励むようになった。

私はこんな目に遭う文化祭という行事が嫌いで,文化祭の日が近づくと気分が沈んで足取りが重かった。

しかし小学校4年生の文化祭の前日、
転機が訪れる。

隣のクラスに辻さんという女の子がいた。私と正反対で彼女は明るくてハキハキしていて、スポーツ万能。男子からも女子からも、好かれる人気者。私にとってあこがれの遠い存在だった。

そんな辻さんがなんと私の机にやってきて、
「明日の文化祭一緒に回ろうよ」
と声をかけてきた。

クラス中が静まり返り、視線が私に集まった。
明らかに「あいつ誘ってどうすんの」て声がした。
心が壊れてしまいそうだった。

私は辻さんを見ることができない、声も出ない。
ただ固まっていた。それでも辻さんは構わず
「明日また迎えに来るから、一緒に回ろうね」
と言ってくれた。

次の日,辻さんは本当に私を迎えに来てくれた。

私と一緒に居て辻さんは楽しいのか,不安になる私の隣で辻さんは一人で喋り倒してた。めっちゃ喋って、1人で笑ってた。その優しさに応えたくて、私は精一杯の相づちを打った。

辻さんのベールに包まれて歩く廊下は怖くなかった。

入ってみたかったお化け屋敷、
欲しかった割り箸の鉄砲、
触ってみたかったスライム。
どれも辻さんのおかげで初めて文化祭を楽しんだ。

辻さんの行動は、ゲリラ戦員を武装解除した。

文化祭が終わって欲しくない、と初めて思った。
片付けに遅刻した。でも友達と一緒にいて遅刻するなんて、私はちょっと誇らしい気持ちになった。

この出来事は何十年経った今でも、いつでも私の心を温めてくれる。幼心に辻さんの優しさに痛く感動していた。

喋るようになってから、私の目標は辻さんだった。
強くて明るくて、困ってる誰かを照らす人。

彼女は私を救ってくれた神様だ。

あのとき言えなかったんだけど、
トイレから私を連れ出してくれてありがとう。

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