大学に入る意義って何だろう withコロナ時代の今、大学の価値について改めて自問自答してみる

今日、こんなツイートをしてみた。

そしてこんなツイートが返ってきた。

大学に入ることで得られる価値とは何か

大学や高校の意義は人により様々だろうけど、小中学校の義務教育を終えた後の”学校という場”、特に大学に関して言えばその価値は以下が挙げられると思う。

1.人・もの・体験との偶発的出会い

2.学者・研究者の部屋を好きな時にノックして話す権利

3.学歴とそれに伴いまともそうであるという錯覚資産の獲得

4.答えがないものを学ぶ時・答えらしきものを作るときの土台構築

5.海外の大学・研究機関に行ったり、一般には入れない場所への通行許可証

6.個人、企業レベルでは利用不可能な機材の使用権利

細かく書くともっと複数に分けられると思うけど、このツイートをもらってパッと頭の中に出たのはこのあたり。

コロナの時代で失われかけてるもの・このままでは失われた状態で教育を受ける人もいる項目が多々あるが・・・

自分としては大学は以前の水準に回復するまで本質的価値の大半が失われていると正直思っている。オンラインの場で上記の代用を行うことは至難。

実際にちらさんが大学に通って価値を感じた局面について思いつくままつらつらと書いてみる。書きなぐりなのでまとまりや順序構成が良くないかもしれないが、実体験も含めて書いてみる。

1.人・もの・体験との偶発的出会い

まず頭に浮かんだのはこれ。偶発的出会い。

大学に限らず、小・中・高すべてに共通するが特に大学では、他との”意図しない出会い”に圧倒的な価値がある。

・たまたま隣になったというだけで馴れ馴れしく話しかけてくるクラスメイト。そいつの飲み会についていったら本当にどうしようもないコール飲みを連発されひどい目にあったw
でもその後色々話を聞くとそいつにも熱量を注ぐ題材がちゃんとあって話を聞けばまるで自分には理解できないが嬉々として語るものがある。

・講義終了後に質問しに行ってたまたま同じところで疑問を持った遠く離れた席のあいつ。普通にしてたらすぐに教室から出ていくし誰とも話さないのだけれど、講義終了後の質問タイムの時だけは議論する。のちに読書会を一緒にやることになるが、お互いにプライベートに関しては何も詮索しない。

・サークルや部活勧誘で不意に生じた興味。全く興味もなかったジャンルのサークルに入って先輩からいろんな雑学や経験したことのない世界を体験させてもらえた。お金困ってたのでサークルはずっとはできなかったけど。

・なんとなくの空気やその時の瞬間で偶然決まる読書会・旅行・遊び。○○の勉強会やらね?の一言だけで有志が集い、一つの書物を読みふけったり、そのあと温泉行って将来のことやくだらない話をしたり。
自分一人では行かない場所に旅行して釣りを教えてもらったり。

挙げればキリがない。本当にキリがない。そういう一つ一つの”自分の意志の外にある出会い・きっかけ・気付き”が自分を別のところに投げてくれる。

ちらさんは学問やるために大学に来ていたが、そこだけなら図書館と教員と学生との議論だけでも良い。そういうところの外にも大きな価値がある。

特に、目的が定まっていないからこそいい。ブログで稼ぐとか資格を得たいだとかそういう一元化されたサロンやオンライン空間では全くもって得られない価値(目的が定まってないサロンもあるがそこでは今度は受験がないためフィルタリングが機能していないことが多い)。

高校までは一応ゴールがある。受験だ(進学校じゃない高校はその限りではないかもしれないが未経験なので割愛)。

でも、大学は違う。目的がバラバラで、それでいて、強制される関係性が薄い。そして受験でフィルタリングが済んでいるので会話が成立する。

大学通いながら事業をやっていろんな人に会って思ったがやはり受験というフィルターがかかっていない場所では全くもって成立しない話題というものがある。これはいい点悪い点あるが経験しておくほうがいいのは間違いない。

以上の体験は自宅のオンライン講義だけではほぼ確実に得られない。既定路線だから。slackで雑談部屋を作ってもやはり得られる偶発性は極めて乏しい。情報量が少なすぎる。

また、図書館などの施設・空間でも偶発的出会いを多く得ることができる。これは大学ではなく通常の図書館や本屋でもある程度は可能だが、やはり大学の蔵書数は凄まじいものがあり、一般の書店では出会えない本にわんさか出会える。

これもオンラインに限定されてしまうと得られなくなる価値である。

大学という場の偶発性には価値がある。価値があった。

2.学者・研究者の部屋を好きな時にノックして話す権利

これ、やったことない人はわからないかもしれないが、どこの馬の骨とも知れない学生に教員が親切に対応してくれる。

状況次第では研究室に低学年の時から入れてくれて実験させてくれたりもする。

上級生と一緒にゼミに参加させてくれた先生もいた。

一般の社会人にとっては大学の学者や研究者は遠い存在だが、自分が近づけばめちゃくちゃ近い存在になりうる。

そこから得られる学びや問いは代えがたい。これもオンラインでは得られない。

講義の外で教員にアプローチできる権利が失われているから。

3.学歴とそれに伴いまともそうであるという錯覚資産の獲得

これは今就活中だから多少感じることだが、就職活動のエントリーシートには大学でやった研究に関して記述する欄がほぼほぼ存在する。

全然研究してこなかった人は他の学内体験で埋めていくのだろうが、そうした文章ややってきた実績が錯覚資産を作る。

例えば、ネットだけで稼ぐいわゆるインフルエンサー的ポジションは金にはなるかもしれないが、社会的には”まともな人間”であるとは見られないことが多い。

これはひよこ型大学院生である自分にも当てはまる。が、学歴やこれまでやってきた研究活動が現実世界では思った以上に効いてくる。

ちなみに、まともな人間ではないと思っていた人たちがめちゃくちゃ面白くて人間味があって話してみてよかった。楽しかった。学びになったという偶発性をこの数年で何度も何度も経験した。

でも、そういう修羅の世界だけでずっと生きていける人は少ないし、やっぱり大学の世界とはまた少し趣が異なり、なんとなく寂しい気持ちになることもあった(大抵の会社でもこのあたりは同じかもしれないね)。

ただ、学歴そのものは進む進路によっては全然金になるわけではないし、そういうものを求めるなら正直何かしらの事業で一発当てることを目指す方がエキサイティングだと思う。
このあたりの経済的利得に関して学歴が及ぼす価値は限定的なものになると思う。

4.答えがないものを学ぶ時・答えらしきものを作るときの土台構築

大学での学術的な学びや研究活動において得られる最大価値がこれだろう。

大学の講義に関して言うと、既に教科書に書いてあることを学ぶわけだが、”その教科書に書いてあることは間違っているかもしれない”という当たり前のことを知ることができる。

高校までは教科書は常に正しい。少なくとも正しさを前提として進んでいく。

が、大学では講義を担当する先生にもよるが、”現状正しそうである”という知見を教わっているに過ぎないことをしっかり認識することができる。

物理学で言うと量子力学の成立過程などが典型的な例となる。

その時代その時代で正しそうであることを積み重ねて”答えらしきもの”を得る。

そういう過程を知り、自分でも手を動かして体験することで答えがない問題をどう解いていくか、答えは在るものではなく作り上げるものであるという思考と実践の土台を得ることができる。

ビジネスにも大抵答えはないので、必ずしも大学でないと学べないわけではないと思うが、これもまた大学で得られる価値だと思う。

5.海外の大学・研究機関において一般には入れない場所への通行許可証

例えば国立の研究所や海外の研究機関や一般人が立ち入ることを禁じられている場所に訪れることが可能となる。

一般公開の時には入れるかもしれないが、大手を振って当事者として研究機関に行ける人は少ないと思う。

これはビジネスマンではまずできない。研究職なら可能だろうが、この類の研究職に就くにはそもそも大卒は必須だろう。

工事現場の作業員でたまたまそういう場所に配属になれば立ち入ることくらいはできるかもしれないが、その場における体験価値の獲得は困難であると思う。

自分の場合は、詳細は省くが、一般人が入ることのできない設備・場所に国内外問わず訪れる機会があった。これは研究テーマに関わらずである。

「興味があるから自分も連れて行ってくれ」

こうした学生の要望を教員は叶えようとしてくれるし、学生だから本当は邪魔になっているだけでも叱られることなく将来の置石として時間を取ってくれる人たちに出会える。

ちらさんは割とアクティブな方なのだが、今になると自分自身もっともっと活用すべきだったなとやや悔やまれる。

その多くは仮に会社員になったらまず訪れることすら不可能になるだろう。
まあ、国際会議での発表くらいは社会人でもできるかもしれないが。

6.個人、企業レベルでは利用不可能な機材の使用権利(物理系だと加速器とか)

大学で然るべき研究室と研究テーマを得れば一般人でやろうと思っただけで数億~数百億円が吹き飛ぶ施設を利用することができるようになる。

先の行けない場所に行けるに近いところがあるが、通常なら使えない設備を使えるようになるのも大学ならではの価値だと思う。

物理だと加速器なんかは学生生活を終えたらまず触れることはないだろう。

生物や化学系でも自宅でできる実験となるとものすごく限られてしまうはず。

大学や研究機関の施設利用の経験はなかなか得難い体験価値となる。

今回のコロナ騒ぎではこの価値も大きく棄損されてしまっている・・・

コロナで揺らぐ大学の価値について思うこと

「大学に入る価値なんてないのでは?

インターネットの発展で少しずつこの類の問いを抱く人が増えてきていたと思う。でもまだ本気で考えてる人は少なかった気がする(自分の中では上記の価値が大学には付随していると考えているため、本気で言ってる人はまあ知らないだけなんだなと思ってきた)。

やはり大学には入れるなら入ったほうがいいし、高学歴だと就職にも強く、将来安泰。そんなわけはないと思う人もいるだろうけどまだまだそういう考えは根強い。

就活や公務員試験でも学歴を見るところは多い。国家公務員なんかもその典型だと思う。自分の研究分野の人だと大企業以外にこうした公務員志望の人はそれなりにいる。

やっぱり大学には入れるなら入ったほうがいい

ちらさん自身そう思ってきた。

しかし、コロナの時代で大きく学校や教育環境の根幹が揺らいできた。個人的には今の状況は大学という、選択可能な教育環境としては致命傷だと思っている。

1.人・もの・体験との偶発的出会い

2.学者・研究者の部屋を好きな時にノックして話す権利

3.学歴とそれに伴いまともそうであるという錯覚資産の獲得

4.答えがないものを学ぶ時・答えらしきものを作るときの土台構築

5.海外の大学・研究機関に行ったり、一般には入れない場所への通行許可証

6.個人、企業レベルでは利用不可能な機材の使用権利

上記のうち、今機能している価値は3と4のみ。1,2,5,6に由来する経験を失った学生という点を踏まえると3すら怪しい。

個人的意見になるが、教育的観点として、現状、大学にこれまでの価値はない。

突貫工事的なオンライン講義を大学の先生がなんとか実現しようとしている。

学生はネット環境がまともにそろわない者やそもそもPCをちゃんと使えない人もいる。

そして、署名活動やSNSによる拡散を中心とした学生運動がネット上で勃発し、文科省に学費を下げる要求まで生じ、国会での話題に上がるところにまで来ている。

各大学の学費減額要求のツイッターアカウントが乱立している状態となっている。

先生は頑張っているし、薄給で生きる非常勤講師の方などは本当に厳しい状態にさらされていると思う。

が、学生としてはやはり大学の価値の棄損の度合いが大きすぎる。

コロナ前後での大学は全く別物になっている。

じゃあどうすればいいのだろうか?

いろんな人が頑張って動いてる中あまり偉そうなことは言えないが個人的に思うことは以下の通り。

自分自身が感じてきた大学の価値を完全に取り戻すことはできないだろうが、今提供できるものの価値を最大限高めつつ、可能なところから再生を行うしかないように思う(自分も大学の事務的なところの現実問題などは把握できてないし上記の意見すら実際には実現困難なのだろう)。

技術的にはバーチャルリアリティーの活用などである程度疑似回復できる部分も多いように思うが、パソコンやネット環境の流通すら不完全な上、IT情弱国である日本がこうした行いを取れるとは思えない。

できたとしても完全回復はオンライン主体では不可能だろう。

現状、大学の教育価値は既にその大半を経験し終わった学生以外には本当に破壊的・壊滅的な棄損状態となっている。正直、コロナ前の時代の教育を受けた自分から見ると、今の教育環境やそれに付随する価値は現状の学費には全く見合わないと思う。

元々無理があった・ガタが来ていたことは大学内部にいる者なら感じてきたことが多いが、それでも当たり前に存在した大学の価値がたくさんあった。

そうした一気に失われた価値を高校や大学がどう代用・変化させて提供するかがカギになると思う。

意見が分かれるところだとは思うが、これまでの大学を活かしたいなら、若者は大丈夫ということで通常活動を再開させていくしか方法はないのではないかと思う。老人より若者を活かすのは当たり前のことだが、高齢教員も多く、バタバタ倒れていく可能性もあるので非常に難しい。

この消耗戦は長引けば大学教育への信頼が真の意味で崩壊すると思う。

そして、解決策は過去の教育価値を起点にした場合、全く見えない。

この規模の問題は国家頼り・もしくは莫大な富を持つ資産家の助けが必要だと思うが、ほぼ確実にどっちも全く当てにならない。

個人単位ではある程度可能だろうが、金儲けだけじゃない、広い意味での社会資本の生産という点でも解決不能な領域に入りつつあるように思う。

学生やその親や大学だけでなく、企業への人材輩出の観点でもその打撃は大きすぎる。

学生や親がやれることって・・・

学生や親としてできることは、ここからの数年間は大学を利用しない教育価値・経験価値をいかにして作るかを考えるしかないように感じる。

自分なら休学し、後で大学を再開する。特に学費で困っているなら尚更。

受験生なら合格した後一度休学。そもそも受験あるかわかんないけど汗

https://twitter.com/tira_tirarin/status/1252844137457397760?s=20

先に稼ぐスキルを身に着けるなりなんなりする方が効率的だと思うが、それだけでは人生経験としてやや片手落ちに感じる部分もあるため、いつか大学がかつての教育価値と意義を得られるようになったところで再度その学びを得ることにすると思う。

大学を利用しないで得られる経験・視野の拡張法として書物を読み漁り、動画学習を行い、オンライン上で学習を勧めるしかないように思う(おすすめのオンライン家庭教師比較まとめ)。

が、このあたりは親の経済的レベルや教育リテラシーなどにも強く依存してくるのでやはり格差拡大は免れないだろう。

何よりも偶発的出会いと経験を得られないのがきつい・・・きつすぎる。若いときの体験を失うのは本当に今後の人生にきつい影響を与えると思う。

いや、本当、早く収束するといいね( ;∀;)

追記:

これはたしかに一つの答えだと思う。が、通信制大学では自分の中で感じた大学の価値はやはり実現し得ない・・・くぅ・・・(ノД`)・゜・。


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