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思い出を大切に





感情や記憶の整理は、気づいた後、比較的短時間で出来た物と、そうではない物がありました。
私は、本当の現実に気づいた後、両親との思い出を振り返る時間が訪れました。
私の記憶の、幼い頃の物が、どんどん思い出されてきました。
私は、やはり記憶の遠い部分へ、心や脳の深層と感じる部分へ進んでいると感じました。
前へ進むために、きちんと感情を感じきって、
泣きたいなら泣ききって、遠い過去の、その抑圧していた感情から、きちんと卒業したいと思いました。

私の場合は、私がたぶん3~6歳の頃、宗教入信前と思われる両親との記憶、それから、入信して数年間のまだ洗礼(正式な信者になる儀式)を受ける前だろうと思われる両親との思い出が思い出されてきました。


父親は笑っていました。怒っていませんでした。
よく一緒に歩いて、近くの川辺や松林に遊びに行きました。私は松林にある、石から石へ飛び移って遊びました。父親に教えてもらって、椿の実をとって椿油を靴に塗りました。
時々肩車をしてもらって、高い位置からまわりを見ました。この頃の写真はたくさんありました。もしかして、少し年齢が上がった頃に、写真を見返して、思い出を回顧した事があったかもしれません。


秋の日の夕暮れに、母親と駅で電車を待っていました。小さな木の実や、茶色い種を拾って遊びながら待っていました。
その時母親は、妹を抱っこして、私と手を繋いで、なんとなく元気がなく、子供心にどうしたのかな...と思ったような記憶でした。
私が入院した時や、日ごろの体調不良時に、私を看病してくれた姿も甦りました。薬が効かない時、庭の南天の実で咳止めを作ってくれたり、薬草を煎じて飲ませてくれました。私はそれらをすっかり忘れていました。
思い出して泣きました。
忘れてしまっていましたが、きっとそれらの記憶が、
原風景として私の心と身体に刻まれていたから、私は理想の両親を思い描いていたんだと思います。私は、理想の両親を思い描いて来れたんだと思います。
ずっと、その姿に、囚われてしまっていましたが、それもきっと、私に必要な学びだったのだろうと思いました。
だから、ありがとう...って思いました。
ありがとう...。もういいよ、私は、もう大丈夫だからね、素敵な記憶をありがとう...。
執着する心には、さようなら と、そう思いました。
思い出は大切に持って、執着心には別れを告げる。
両親との思い出は、私の心の中のアルバムに、写真のように納めて、置いておきました。
もう、先日の、自分中心のエゴが前面に出たような気持ちにはならない気がしています。


私の記憶は小学校低学年以降はあまりありません。
体罰が始まった頃から、体罰が続いていた頃の記憶が、ほとんどないような気がします。
そう考えると、やはり、私にとって宗教入信による両親の変化は、とても嘆かわしい物だったと思います。


不思議な事に、その後、本当の現実が見えるようになってから、
熱心に信仰している中での、あの、
「すまんなぁ、何もしてやれなくて」という父親の言葉は、私の事を少しは気にかけてくれたんだな...、それは親心だな...、信仰心でもう全身が形作られているような父親なのに、ちょっとは私の事を思ってくれたんだな...と、受け取れました。
私は、その親心は例え僅かでも、本当の物だと信じる事が出来る...と、思いました。
もちろんもう執着ではなくて、穏やかな気持ちで、
本当に不思議ですが、そう思いました。

本当の現実が見えて、現実を受け入れられた事で、
自分の内側の気持ち、心持ちが変わりました。
両親への認識、気持ちが、本当の現実に気づく前と比べて、変わりました。

私は、両親、妹の信仰について、私の捉え方で、
自分で自分を苦しく生きづらくしていたのです。
そうしてしまった、そうなってしまった理由はもちろん多くありますが、でも、長い間、気づかずに過ごして来てしまいました。
話しが元に戻りそうですが、
私はやはり今でも、宗教教義に染まりきった両親達は、宗教教義に洗脳されて、この世界の現実を見ていない生き方だ、と思ってしまいます。
ですが、両親達はその教義を信じきって生きている。両親達にとっては、それが現実です。
なので、宗教教義を信じきって生きている両親、妹というのが、私にとっての現実、なのです。
この世界の現実を見ていない生き方をしている両親達が、私にとっての現実。
これからは、その現実を、ニュートラルに捉えていこうと思っています。
両親達には、身体に気をつけて、元気に過ごしてください、と、そう思います。

そして私は、両親のせいにして、自分の人生を止める事はしたくない...、と思いました。
両親との事を含め、今までのすべての事があって今がある、と思いました。
すべての事があったおかげで今がある。
昔、実家を出たあの頃はわからなかったけど、いろいろな経験を経た今だからわかった事があったり、気づいた事があったり、見えなかった物が見えてきたり。
すべての体験が、今に繋がっていたんだな...と思いました。



お読み頂き、ありがとうございました。




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