【書評】心を調律する音叉のような声『掃除婦のための手引き書』ルシア・ベルリン著|岸本佐知子訳
本が好きで物語が好きで言葉が好きで、だから曲がりなりにも文章にかかわる仕事をしているのだけれど、たとえば好きな人に長い間ウソをつかれていたことを知ってしまったとか、一緒にくらす猫の病気に気がつけなかったとか、だれかが怒鳴られているのをずっと聞いていなくてはならなかったとか、突然の暴力にさらされたとか、何気ない一言で人を傷つけてしまったとか、だれにも言えない秘密ができてしまったとか、そういうことが積み重なって心が摩耗してしまうと、たとえずっと読みたかった本を手にとりページをめくっても、一文だってまともに読めないことがある。この本を手にとったのも、そんなときだった。けれど読めたのだ、この本は。
作者の体験を元にした短篇集
『掃除婦のための手引き書』は、二○○四年に亡くなった、ルシア・ベルリンの作品が収められた短篇集だ。ぶっとんだ祖父に、歯をひっこ抜く手伝いをさせられる「ドクター・H.A.モイニハン」。アルコール依存症の母親の朝を描いた「どうにもならない」。病床の妹と、奔放だった母親の思い出話を語る「ママ」。あちこちの仕事場で睡眠薬をくすねていく掃除婦が、死んでしまった恋人に想いを巡ら表題作「掃除婦のための手引き書」など、収録されているのは、ぜんぶで二十四作。場末のコインランドリーから、カトリック校、ホテル、刑務所まで、舞台は幅広い。だが、ほとんどの作品が、作者の人生を下敷きに書かれているため、エピソードはところどころつながっていて、祖母のメイミー、母親、妹のサリーと、共通のキャラクターも登場する。
はっとする瞬間
いったいこの強さは何なのだろう? 依存症、虐待、ネグレクト、DV、不倫、離婚——作中で起きていることの重さに反して、言葉には一切の湿り気がない。苦しみもつらさも、作者は決して読者に預けない。ひけらかさないし、ムダに共感を誘ったりもしない。悲劇も厄介事も、あくまで世界を構成する一要素にすぎない。そんなことよりも、上階のトイレから漏れ出た水で虹が架かり、上階の住人たる張本人が「きれいね」と言ってのけたこと、「マカダム」という言葉を何か大切なもののように口のなかでかみしめる瞬間、いなくなった人に向けてついこぼれてしまった本音、夕暮れに染まった岩肌を駆け抜けるヨダカや、ねぐらに帰るカラスの群れ——何気ないことをルシア・ベルリンは丁寧に、しかし軽やかにつむいでいく。ともすれば人生を飲み込んでしまいそうな重い出来事は、もちろん重いことには変わりはないのだが、人生や世界のすべてではない。そんな強さが感じられるから、精神的につらいときでも読めるのかもしれない。何回だって読める。どの話から読んだっていい。豊かな風景と、音と、匂いのある場所へ、たちどころに放り込まれる。そして、最後の一文にたどりつくたび、はっとさせられる。
引用したくてたまらないけれど、ここでの引用は控える。あなたがはっとする言葉が、きっとある。あの、はっとする感じを、作品の中で味わってほしい。出会って欲しい。とりあえず、題名がぴんときたものからでいい。どうか、頭からお尻まで読んでください。お願いします。
これは、くたびれた精神を現実から夢のような世界へ逃がしてくれる本ではない。かといって、現実にはもっとひどいことがあるぞ、とマイナスにマイナスをぶつけてくる本でもない。(実際にそんなものはたたいたことがないけれど)音叉のような本だとおもう。一文一文読むたびに、言葉が身体にひびく。ふるえる。そうすると、鈍磨した心が、今生きている世界に向けて、ほんの少し調律されるような気がするのだ。
※2022年4月16日に開催された豊崎由美さんの『翻訳者のための書評講座』で提出した原稿を、WEB用に改稿したものです。