パレスチナ博物館
向かった先は学校であり博物館であった。この学校はプライベートスクールながら誰もが通える学校で貧しくてもどんな宗教であろうと分け隔てのない学校だ。
学校の横をすり抜け、博物館に入る。この博物館はエルサレムで唯一のパレスチナ博物館だ。白亜の邸宅のような装いだ。
Dyla・さあ、入りましょう。案内するわ。
ドアを開ける。
天井高くから、パレスチナの民族衣装が吊るし展示されている。
サラームアレイコム
男性が笑顔で迎えてくれた。館長だ。
館長・来てくれてありがとう。ここはパレスチナの文化が詰まっているから楽しんでいってくれ。君はどこから?
わたし・わたしは日本からです。パレスチナが大好きになって。
館長・そうかい、ありがとう。彼女は色々と詳しいから話を聞くといいよ。お土産にこれを。
そう言って、パレスチナの歴史のDVDとROAD TO GAZAと描かれたエコバックをもらった。
わたし・ありがとう。大切に使うね。
Dyla・さあ、上に上がりましょう。パレスチナが文化的な国ってことがわかるわよ。
ところ狭しとパレスチナの刺繍がほどこされた民族衣装の数々や、写真の展示、家具の展示があった。赤、黒、金色など煌びやかだ。
わたし・こういうテキスタイル素敵。わたし大好き。刺繍も繊細ね。このコインがついているのはヘアアクセ?
Dyla・そうよ、結婚式の時に昔はつけていたの。お嫁に行ってお金に困らないようにって。
痛っ。うふふ。
床のちょっとした段差につまずいたDylaは微笑んでいた。
大丈夫?
わたしはそう声をかけた。元気でしゃきっとしていると言っても彼女も高齢だった。
Dyla・うふふ。大丈夫よ、懐かしい。子供の頃を思い出すわ。実はね、ここはわたしが生まれた家なのよ。
わたし・え?ここが?この大きなおうち?
Dyla・そうなの、うちはBig Familyだったのよ。子供のころもこの段差でよくつまずいたものよ。わたしたちは一家族じゃなくて親戚みんなでここに住んでいたのよ。パレスチナではそれは普通のことでね。父が当主であの家具が飾っている部屋は父の書斎だった場所よ。
Dylaの表情は懐かしいとも悲しいともつかないなんとも言えないものだった。
そこにね、急にイスラエルが入植してきてある晩に親戚や家族が殺されてしまって。裸足で走って逃げてね。
さ、ほかの展示も見ましょう。
そこで話が終わった。
これ以上は思い出すのは酷な内容なのだろう。何十年経っても癒えることのない傷がある。
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