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差し伸べた手を、握ってもらう為の努力がしたい

世の中には、助けを求める方法がわからない人だって、確かにいるのだ。

今朝なぜかグーグルが、私に「読め」と言わんばかりにおすすめ記事機能で表示してきたのが、上記の事件についての「文春オンライン」の記事だった。

私は正直、この事件についてよく知らなかった。ただ、被告の苗字がなかなか珍しいものであったゆえに、記憶のどこかにちらりと掠るところはある。「変わった苗字だな」みたいに感じつつ、少なくはない虐待の事件のひとつとして、こんな言い方はしたくないものの「スルー」してしまったというのが正直なところだろう。

さて、記事の中身をここで公にしてしまっては文春さんの権利の問題がある。ので、グーグルの思惑通りに記事を読み進めてしまった私が、この事件について何より印象深かった部分を二つだけ取り上げる。

まず、この被告もまた虐待を受けて育ったらしい—ということだ。

しかも、かなりえげつない。この被告とて、幼き日に死んでしまっていてもおかしくない毎日を送っていたのだ。ここまでの虐待を受けていた「被告」というのも、他の事件ではあまり聞いたことが無い…気がするものの、私が知らないだけかも知れない。

そしてこの被告は子育てについてわからないことだらけで、すべてのことに不安を抱いていた、という哀しい事実があった。

当たり前なのだ、自らがまともな子育てをされて来ずに育ったのに、どうしてまっとうな子育てを習得できよう?

けれども被告なりになんとかして、娘を「愛そう」と頑張っていたのだろうなと、文春の記事を読むだけでも伝わってくるところがある—気がする。私が被告に甘いだけだろうか?確かに、彼女は娘を放置し、保護責任者遺棄致死などの罪に問われている身だ。しかし重ねて言うが、彼女もまた虐待の被害者であったことも事実なのだ。

「虐待の連鎖」という言葉は、悔しいことに多くの場合で的を射ている。

少し前の世の中では「子どもを虐待死させる親なんて鬼だ!」から先の思考が蔑ろにされていたと思う。「殺すならどうして産むのだ?」という怒りだけで話が収束させられていく。その虐待が何故起こってしまったのか、というところまで深堀りされるようになったのは、体感的にはごくごく最近のことの様に思う。

もしもこの被告が、どこかへ助けを求める方法を知っていたならば—そんな風に感じてしまうのだ、私は。

ただし被告は自分もいたことのある「施設」というものにはいい印象を持っていなかった様なので、娘を施設に入所させるという方法は、きわめて難しかったことだろう。

そうなると具体的にどんなことが被告の「助け」になったのか―それは、この被告だけに限らず、今後の社会にとって確実に必要な存在になってくると思うので、行政のみならず国をあげて熟考されるべきことだと思う。

そして「助けて」と口に出す術を知らない、もしくは助けを求めることが叶わない人たちに対して、どうやって手を差し伸べ、この手を取ってもらう為の努力をしていくかそれが、支援者側に出された課題であるはずだ。

「虐待はひどい」という、当たり前の感想を抱くだけで停滞する世の中ではあって欲しくない。

でも、たとえば「虐待の連鎖」の渦中にある人からしたら、いきなり誰かが手を差し伸べてきたとて、素直に信じることも難しいはずだ。昔に、信じて握ったはずの手を振り払われた経験者だっていることだろう。

それくらい、これまでの世の中は冷たかったと思う。やっと最近、たとえば「心」について、様々な認識がされるようになったところではないか。「障がい」であったって、昔とはえらく認識のされ方が異なってきているはずだ。

せめて今後は、本当に助けを必要としている人たちが救われる世の中にしていかねばと感じる。そしてそれを担うべきはおそらく、今の私たちの世代なのだろう、とも。30代~40代とか、氷河期世代とか意味不明なゆとり教育とかいろいろあって損ばかりな世代ではあるけれど、だからこそ人の痛みがわかるのも、私たちの世代の特色ではないだろうか。

どこかで理不尽な事件が起き、人の為に努力していた素晴らしい存在が、あろうことか命を奪われてしまったり—その度に絶望しそうにもなるけれど、だからといって世の中を良くする為の希望を棄ててしまっては、誰一人として救われない。

みんな平等であれとまでは言わない。ただ、たとえば虐待されて苦しむ子どもは減らしたい。「虐待の連鎖」だって、少ない方がいいに決まっている。

今の私にできることは、noteでいただいたサポートを子ども支援活動に寄付していくことだと思っている。ので、もしもどこかの誰かにきれいごとと言われようとも、こういった内容の記事は、これからもたびたび書いていくはずだ。

無力なままの自分でなんていたくない。

私は、私にできることをしていきたい。



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