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私の頭もトマトだったら良かったのに

私は無意識のうちに男性を見下しているんじゃあないのかなあ、

ふとそう思って、すごくなんとなくそれを口にしてみると、夫に「昔もそう言ってたよね」と返された。「そうだっけ?私、そんなこと言ってた?」「言ってたよー」、けれどそれ以上夫は言及しなかった。忘れているのか、細かく答える必要も無い内容だったのか、そこら辺はよくわからない。

自分の精神は屈折して歪曲してもうめっちゃくっちゃ、大昔に流行ったイライラ棒の最難関レベルだよなあ、そんな風に思う。

男を頼らなくったって私は生きていける!私は強い女!…みたいに振る舞っていた母が、思い返せば返す程にガッチガチの男性依存であったことを鑑みると、そのおかげで私がこんな塩梅なのだろうなと、もうこの辺は全部母親のせいにしてしまっていいんじゃあないかと、ここ最近はそんな風に割り切っている。

人生も残すところあと半分くらいだろう、ここまで来て、私の積み重ねてきた過去に縛られずに生きていけるとも思えない。背負ったものと上手に向き合いながら生きていかねばならないのなら、私にはたぶん「人のせい」にすることも時には必要なはずだ。

生まれてきたことにすら罪悪感を持って生きてきて、私が生まれる予定に組み込まれなければ、もしかするとお兄ちゃんとて死なずに済んだんじゃあないかとか、そんなことまで考えて育った。

人との別れがあればそれらは「おそらく私のせい」だった。今となれば相手にも問題があったとか冷静に判断できるんだけれども、なんやかんや自分が悪いのだと、そうやって思って生きてきすぎた気がする。

私が悪いコだから、パパには別に帰る家があるんだ—という歪んだ認識がずっと根付いている気がする。私生児ってほんとしんどいなあ。みんながみんなじゃあ無いんだろうから全国の私生児仲間の皆様ごめんなさいなんだけれど、私は「やり直せる」なら、この私生児っていうステータスは棄ててしまいたい。

父のことを大好きだったのに、母の悪口に合わせて父を嫌っているポーズを取らなくてはならなかったことを、私は生涯後悔して過ごすのだと思う。

その癖、母に刷り込まれた「男はバカ」みたいな認識に影響されて生きてゆくのか。ほんとめんどくせえ。もっとまっさらで可愛い女の子に生まれたかった。

ポールはめちゃくちゃかっこいいギタリストだけれど、奥さんとしちゃあ、こんな永遠の少年っぽい旦那を持ったらいろいろ大変なんじゃあないかと思う位に、私は面倒な思考回路を持っている。否、ポールめっちゃ可愛くて好きなんだけども。

なのに人から「愛されたい」「愛を感じたい」と願って、充分に優しさを受けて生きているはずなのにそれを「愛」だと素直に転換できない私は、結局どうやって健やかな人目指して生きてゆけばいいのだろうね。

こないだは(テレ玉でやってる)「塩谷育代のベストショット」を見ていて、塩谷さんのその「かっこいいおねえさん」なお姿を見、いきなし「年上のおねえさんが大好きだった私」と邂逅して見悶えた。

ちなみに私、宝塚だけは手を出してはいけないと思って生きている…男役のかっこいいひとに心奪われて、人生が破綻する勢いでハマるに決まっているから。

(これ、昔友達が似たようなことを言っていて納得したのだ。自分はホストと覚せい剤にだけは手を出さない、出したら絶対にハマって抜け出せなくなるから—と。否、覚せい剤はそもそもダメだけど。)

こないだひっさしぶりに小説を書いたけれど、

まだうら若き乙女だった頃の私に「いつでも遊びに来ていいよ、」なんて言って合鍵を渡してくれるおねえさんがいたら、私、絶対に部屋に入り浸って帰らなかったと思う。

男性を信じられなかった私は、ならば、と「年上のおねえさん」に代償行為の先を求めていたのかも知れない。ちょっとくらい甘えたって赦されるんじゃあないか、みたいな。甘えたかったんだなあ、私。思っていた以上に、親には甘えられずに大人になってしまったんだな。

なんだか今年になって「親との関係」をより深く見直す時期に入ったらしく、苦しいくらいに向き合っていて、それがやめられない止まらない。

脳が勝手にいろいろ回想してくれるモンだから、自力じゃあ止められないのだ。私の頭は常に回転して余計なことまで掘り返して過ごしている。いわゆる瞑想というものだってまともにできないから、こういう人にはヴィパッサナー瞑想ってやつがいいらしいよ。それすらあんまり続けられていないんだけどね…うまくできた日は明晰夢が見られるご褒美がありますよ、これって私だけかな。

本当はさ、男の人っていうのはすげえと思っているはずなのだ、深層心理では。

私には開けられない瓶の蓋を開けられるし、本気を出せば骨とかが折れる様な力で喧嘩もできるんだろうし、それこそ力ずくで女の子を犯すくらいの力はあるのだs…なんかおかしい方に考えが向かっているぞ、あれ?

本当は母だって、男の人に素直に甘えたかったんだろうなあ。

その為には、私なんかいなかった方がよっぽど有意義な人生を送れたろうに、あの人も。

なんだか可哀そうな人だったな、母も。あの人はもっと自由に、いろんな男の人の間を蝶々の様にふらふらしながら生きてゆくのが似合う人だったろう。

世間一般の常識に踊らされないで、私なんかつくらなければ、きっともっと幸せだったのにね。

でもそれは私のせいでは無いので、私を恨まないで欲しいと思う。

男の人は、性欲に斃されずに理性で自分を律することが「本当は」できるから、そこがかっこいいと思う。

逆に、性欲で全部をおじゃんにしている人のことは、嫌いだ。

どうせ私の記事をまともに読んでもいない癖に「今回はこれこれこういう女の子とヤりました」って記事を書いている、自称ナンパ師の人がスキを押しに来るのだけれど(しかも複数人…)、そういう人のことを私は心っから蔑んでいますからね、と太字にして言っておきたい。

自慰を覚えてやめられなくなったお猿さんとは違うからこその人間、であるはずなのにね。

私もそういう欲の先に生まれた子どもだったというならば、本当に汚らわしくって、苦しい。本当に「欲しくて」生成されたのか、今となってはわからないじゃあないか。

それでも人は、愛した人とセックスをしたいと願う。ほんと厄介で面倒な生き物だ。人でない動物や植物に生まれたかった。無性生殖する生き物に生まれて、淡々と子孫を増やして一生を終えたかった。

「愛する」ということがどういうことかなんて考えずに済む命で在られたならば、どんなにかラクだったろうね。


ずいぶんとまあダーク面に堕ちた文章でした。御免なさいね。

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