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「大切な女の子」として愛しまれたかった

以前のnoteの記事で、仕事で伺うお客さんの中に、下着で私に応対する男性がいることを書いた。

白ブリーフ一丁で私の目の前に現れるその男性が嫌で嫌で仕方なくって、どうにか私が伺わなくてもいい形にしてもらっていたのだけれど、それが何かの手違いというかそんな感じで、ふたたび私が伺わねばならない形となってしまった。

それが決まってから、とにかく気持ちが塞ぎ込んで仕方がない。

こういうことをあまり書くのはよろしくないとはわかっているのだけれど、どうしても苦しくて仕方なかったので吐き出してしまうと…夫すらも、それについて反応が薄かった(様に思えた)のだ。一応は妻に身の危険が生じているというのに、そんなもんかね—と思うと、私という存在はそこまで価値が無い女なのか、と落ち込む一方だった。吐き出してサーセン。

まあ、結局はお駄賃を渡してでも他の人に投げるつもりだ。五百円あげるから代わりに行って来てくださいとお願いすれば、確実に代わってくれる心当たりもある。

世の中では35も過ぎた女が襲われる、とか露出狂かも知れない男の愉しみにされる、というのはあんまり無い事例なのかも知れないけど、怖いもんは怖いです、本当に。

とにかく、そういうことのおかげで仕事を辞めたくて仕方がない。辞めても困るだけなので、実際に辞めたりはしないけれど…なんというか、こういう状態にあって仕事を辞めたとて、しばらくは暮らしていける様な余裕があればいいのに、それが無い自分の情けなさがもう、苦しくて、つらくって。

学生時代は女として価値の無いモノとして扱われ成人したら今度はすぐヤれそうな女扱いされ、35になったら今度はこれかよ、と嘆息は続く。

仏壇の代わりに飾ってある父の写真にお線香を上げながら、心の中で泣き言を云うと、ほんのちょっとだけスッキリするけれど、父としては腹立たしい限りだろうなあ。私生児とはいえ、途中まではお嬢様同然に育ててくれたのだ(あくまで途中までね)。その娘がこういうことで悩んでいるって、父としてはつらいだろうなあ。

世の中には自分の借金のせいで娘をAV業界に堕とす父親もいるそうだから、それに比べたらうちの父は、死ぬのが早すぎて苦労をかけてくれたとはいえ、とてもいい父親だったと思う。

こういう時はもうミスチルでも聴いて「きちんと女の子を大切にしてくれる男性」像を自分の中に叩き込む。桜井さんの書く歌詞の中の男性は大概、そんな感じな気がする。まあ時々はダメそうな男性も歌詞の中に出ては来るけれど、桜井さんの言葉を自分に投げかけられたものと妄想して聴くと、少しずつ自己肯定感的なものが回復してくる。そうだよな、本来はこういうモンだよな―みたいな感じで。

家計をどうにかする為にこんなメンタルぐずぐずになってまで働いて、疲労困憊で結局お惣菜を買っては食費がオーバーして、なんだこれただの負のループじゃん、とますます落ち込んで—でも、そこから脱する為のパワーなんてものは今、到底沸いてこない。

春、だしな。昨日SAGADETHでも散々言ってたわ、春は鬱になりやすいって。

正直、学生時代の私は「下校中に知らない男に胸を揉まれた」と言う従姉の話を聞いて、痴漢にも遭わない自分はそこまで女としての魅力が無いのか―なんつーバカなことも考えたほどだった。大人になって様々なタイプの痴漢がいることを知って、そんな考えどっかに吹っ飛んだけども。

時々言っていることだけれど、フェミニズム云々の話に繋げたいワケじゃあないのだ。女性の権利がどうとか、そこまで私は議論するつもりは無い。男性だって痴漢冤罪とかで立場の弱い思いをしているはずだし。

ただ「大切な女の子」として愛しまれることが、私の人生にはとにかく足りていなくって、そういうのってきっと大概、お父さんから与えられることの多い時間だったのだろうなあと、うすぼんやりと考えてしまう。

まして、愛人として生きてきた母を見て育った自分は、この先どうなってゆくのだろう—という、得体の知れない不安もある。

とりあえず今は、桜井さんの歌声に身をゆだねて、明日へと自らを繋いでゆくまでだ。

ただの愚痴を書き連ねちゃって、ごめんなさい。

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