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ダメだ、このままじゃ。

「人間は自分のことを棚に上げがちで、棚に上げてから開き直りがち」な人が、場の空気を悪くしていることがよくわかった一週間だった。そして、そんな人ほど他者に対しては正論を吐きがちということも。他者に正論を吐いた後に「自分にはできないことだけどね」「してこなかったけどね」とは、これいかに。その態度は本心なのか、不安な感情を押し隠しているだけなのか。その言動は言葉通りの意味なのか、冗談なのか。味噌も糞も…とはこんな状態のことを言うのだろうか。不安な感情の裏返しからそんな態度や言動をとってしまっているとしても…それを聞かされるそれを見せつけられる側の人達(他者)は、不愉快でしかないことがわかっていない。不愉快だから場の空気が悪くなり、場の空気が悪くなるから会話が減っていき、会話が減っていくから「個人主義」が酷くなり、その環境そのものが悪くなっていくのだと思う。そんな環境においては弱い立場の人間や耳の痛いことを言う人間が追いやられていく…

愚痴になってしまった。時を戻そう。

そんな状態の人間に対してまともに向き合っていけば、多分、精神的に追い込まれるだけだと思う。「社会人なのに、もうおぢさんの年齢なのに切り替えができないのはおかしい」と言われるかもしれない。それはまったくもってその通りだと思うし、恥ずかしくて消え入りたいくらいです。そんなことを言われたら逆に言い返してみたい「なら、変わるか?」と。多分、自分以外に変われる人間はいないと思う。私じゃなきゃこんな状態の人間なんて相手にできないよ。だから、多分、あの場所にいるんだろうし、誰も強いことは言ってこないのだと思う。そして、当の本人は意識していないようだけれど「私の存在を見て見ぬふりをし続けてきたに近いことをしてきた」のだと思う。「丸投げ」状態がその証明。わかっていてそうしていたのかと思ったら、まぢでわかっていないことがわかって…涙が最近よく出るのは、加齢のせいなのかドライアイのせいなのか、それともこんな人に向き合い続けて苦しみ続けてきて人生ひとりぼっち職場でも実質ひとりぼっちだからなのか…

自分の置かれている状態を見つめなおしてみただけ。他責的にはなっていない。事実は事実として受け止めて、自責は自責としてちゃんと認めて、少しでも前に進んでいった方がいいと思っていますから他責的にはなっていません。

若干、正常バイアスにかかっているようだけれど。

周りから見れば苦しんでいるようには見えていないと思うけれど、「惑わず」の年齢を過ぎてもこんな状態で、働く場所では文字通り振り回され続けて、それ以外の場所で人に会うことが億劫になり、そんなことだからますます「繋がり」がなくなっていき、せめて働く楽場所で「誰かの為に」と思えるものがあればいいけれどそれを見出せるような場所ではなく、「自分の為に」と思うことでようやく保てるかどうかのモチベーションしかないのが情けなく、そんな人間だから職場でも私的な場所でも「ずっと一人なんだ」と感じそんな未来しか想像できない場所に滞在しているのは間違っているのはわかっているのに動き出せていない理由を、明日の病院での再検査にしている自分が情けないし…とかなりこんがらがっている情けない「惑わず」過ぎの私っていったい…と苦しみは混迷を深めていっています。

第三者に話を聞いてもらえばいいこともわかっているけれど、「自分みたいな人間が…」「激務で苦しんでいるわけでもないのに…」と二の足を踏ませている。金銭的なことも理由。第三者と言っても知り合いもいないし、カウンセラーの方に聞いてもらうくらいしか…

職場?無理無理。嫌がられていくのがおちなのはわかっているから。それでもあえて試していますけれど。それくらいのことをしなければ「たたただ負担が増えていくだけの状況」に対して一切の配慮もされいことはよくわかっているので。嫌がられるくらいのことをしてようやく配慮されるかどうかですから。

毎日が辛い。出勤しているだけでも自分を褒めてあげたいくらい。

「働き方」を変えなければ「生き方」も変わらないような気がする。「働き方」を変えて「生き方」も変えていきたい。ああ、「惑わず」を過ぎてもこんなことを言っているようだから年齢不相応な人生を更新し続けているのだろうか。でもね、ずっとネガティブな環境に接し続けていると、それに影響されてそんな人生を進んでいくようになるものだと思いますよ。


ダメだ、このままじゃ。

なんとかしなきゃ。

病院の再検査がそのきっかけになると思うようにして、明日を迎えよう。

悪いものがでませんように…

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