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「時間の経過」でなんとなく成立してしまっているものほど、

今年も残り半年もない。変化したところは、成長したところは…とこれもまた同じ時期に同じように頭の中に浮かび、書き綴ってきた枕詞だけれど、今年も例年通り使ってみる。昨年よりも変化して、せいちょうしているんだろうか…と。自意識高い系もとい意識高い系(死後かね、この言葉は)のように「成長!成長!成長!」なんて意味は込めていない。「以前よりも成長している」かどうかってきになりませんか?「代り映えのない、同調圧力を求められる環境で生活し続けている」と。

外野のいない落ち着いた環境の中でノートにシャーペンを持って手書きで「今の環境」に対しての考え方を書き綴っていると「以前よりも成長している」点に気が付かされることがある。PC上で「これまで」のことを整理し、空しい努力だけれど「引継書」「手順書」をまとめているときにも気づかされることは多々あるけれど、手書きの時の方が気づかされることが多い。時間の経過とともに大なり小なり「人が置かれている環境は変化し、成長していくもの」なんだと思う。ただ、「時間の経過」が要因となった「成長」って、自己努力の結果としての「成長」であることの方が多い。でも、それは「周辺環境」の働き掛けもあって成立するものなんじゃないかと思う。自己責任、自己努力の上での「成長」ってそれはそれで必要なことだけれど、全てを「自己」に求めるのは組織や集団…そういったものが存在している意味なんてないんじゃないって思えてならない。

「時間の経過」でなんとなく成立してしまっていることって、壊れやすいもの。「時間の経過」に頼ってしまっている人間関係は、健全なものではなく上辺だけの薄っぺらいもの。そんなものに振り回され続けながら働き続けてきたことを痛感した6月。「問題」を起こさずにやっていく為には必要なことであるのはわかるけれど、そんなことをしていれば「問題」が起きるのも必然。その「問題」に向き合わなければ、誰かにそのしわ寄せがきて、「立つ鳥跡を濁してもしょうがない」と思ってしまうのも必然。それもしょうがないと思う。

それはそれであって、それを一方的に押し付けてくるのは違うだろ。

被害妄想も甚だしく私自身にも至らない点があることは反省したい。けれど、「問題」を一方的に押し付けられてしまっては、「何も言えなくね?」と思うわけで。ましてや、指示があったものなら…いや、そもそもそんなもの全体でみれば2割あるかどうか…か。その2割ですらはっきりとあるわけではないし、その2割ですら「率先して取り組む」ことを求められるという…そう、それが今の環境における最大の問題であり続けている。

人を受け入れて教えて指導することはどんなに経験を積んでいる人間であっても難しいことだと思う。ましてや、まったく不慣れな人間や十数年そういったことから離れていた人間ならなおのこと難しく「避けたいもの」だと思う。それは人の対応としては必然。生存本能のようなものだから仕方がないと思う。そんな状態では「相手に対する対応が冷たくなる」「言葉がきつくなる」「なんだかんだ理由を付けて避けたくなる」「相手に必要以上のことを言わせないような、対応をとるようになる」もの。私自身至らなかったのは「そんな状態であってもコミュニケーションをとり続けること」だったと思う。コミュニケーションをとることでそんな状態は改善されていくものだと思うから。

けれど、現実は「コミュニケーションをとりたくなくなっていく」もの。相手側はその理由に全く気がついていないもの。それが現実。

指示2割に関しては相手側にとって相手側が理解していること、自分の領分だと認識していることなんだけれど、「どうしていいのかわからない」からその問いかけをすることすら私の側からの発信を求めている。私の側は「どうしていいのかわからない」だけじゃない「相手側がどうするのかがわからない」のに。そこに「相手に対する対応が冷たくなる」「言葉がきつくなる」「なんだかんだ理由を付けて避けたくなる」「相手に必要以上のことを言わせないような、対応をとるようになる」ところから梃でも動かない相手側の問題が重なりあう。

それでも長年在籍させていただいるにも関わらずこうした状況を改善できなかった時点で「私の側」に問題があり責任がある。構造的な問題がこうした状態を生み出してしまっているから致し方がないとも思う。こうした状況を利用して生きる糧を得てきた自分は最低な人間だと思う(この点は、言い始めたらきりがない。大なり小なり誰だって似たようなことはしているでしょう。「お前はダメで俺はいい」ってのは違うぞ)

「信用し信頼していないからそんなことに…」っていつかの占い師に言われそうだけれど、信用し信頼したくても「相手に対する対応が冷たくなる」「言葉がきつくなる」「なんだかんだ理由を付けて避けたくなる」「相手に必要以上のことを言わせないような、対応をとるようになる」ところから動こうとしないんだから、どうしようもないと思う。

誰にでもできるようなことしかやっていないけれど「8割」は、私だけしかやっていない私以外にちゃんと理解している人がいるかどうかが怪しい…それが根底にある。それすらも私の責任なんだろうか。ずっとそう責められ続けているような気がしてならない。

ちゃんと、自分が不在時のことも考えてやっているんですけどね。でも、よく考えてみたら「どうしていいのかわからない」ことに目を向けるわけがないか……

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