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鶴見俊輔『日本の地下水―ちいさなメディアから』についてのメモ⑫―読書会を終えての簡単な感想

 先日、鶴見俊輔『日本の地下水―ちいさなメディアから』(編集グループSURE、2022年)の読書会を終えたので、個人的に考えたことを述べていきたい。私は鶴見俊輔の思想の重要な点のひとつにあることを忘却しないこと、保ち続けることがあると考えているが、この「日本の地下水」というサークル誌を紹介する取り組みは鶴見のあることを保ち続けることの重要性を反映しているように思われる。以下の記事でも紹介したように、鶴見はサークル活動が1960年の安保闘争を境として下火になったという認識を持っていてが、下火になった後も「日本の地下水」でのサークル誌紹介を中断しなかった。このようにサークル誌の紹介を続けたことに「日本の地下水」の独自性があるだろう。

 紹介されたサークル誌も鶴見の「保ち続ける」という問題意識を共有しているものが多いように思われる。いくつか私の印象に残った例を挙げてみると、矢部喜好から続く反戦の伝統を受け継ぐ『戦争抵抗者』、1966年の早稲田大学の学費あげ反対闘争の参加者が敗北後の経験を保ち続け発行された『烽火』、砂川闘争から三里塚闘争へ抵抗の精神の伝承の場となっていた『地域闘争』、30年以上も戦争の記憶を保ち続けた中嶋静恵編『ルソンの山々―生き残ったフィリッピン在留邦人の手記』などがある。これらの雑誌は、個人や集まり(サークル)がある思想、経験を時には時代を超えて保ち続ける、受け継がれる場となっている。鶴見は「日本の地下水」で伝えたかったのは表には出てこないが、確実に保ち続けられる人びとの思想や行動であったのだろう。それは鶴見が重要と考えていた「保ち続ける」という問題意識を共有していた。鶴見が「保ち続ける」ことをなぜ重要と考えていたのか、彼自身はどのように実践していたかということは難しい問題であると思われるが、この点は引き続き検討していきたい。

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