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信越化学工業の創業者・小坂順造の次男の饅頭本

 饅頭本とは、親族や親しかった友人が故人との思い出を綴った文章で構成されており、亡くなった人物を偲んで関係者のみに配られるものである。古本即売会の楽しみのひとつに未知の饅頭本との出会いがあると私は思う。今回紹介したいのは先日の古本即売会でたまたま見つけた饅頭本である。

 先日の古本即売会で『善次郎ノ最后』(1935年、奥付なしのため小坂善次郎の没年で判断)という小冊子を本棚の中から発見した。書名から誰かの饅頭本であると判断して確認すると、小坂順造という人物の次男・小坂善次郎の饅頭本であることが分かった。以下に写真を掲載しておきたい。

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簡単に調べると小坂順造は、現在の信越化学工業の創業者であり、衆議院議員や貴族院議員もつとめた人物であることが分かった。『人事興信録』(第8版、1928年)より小坂の経歴を引用してみたい。なお、今回の情報は名古屋大学が提供している『人事興信録』のデータベースを参照した。

小坂家は往時より信州柳原村に在り代々地主農を營み里正の役を勤めたる家柄なり先代善之助夙に京都に出で行政學經濟學を修め縣會議員衆議院議員等に推され正八位に敍せらる。君は其長男にして明治十四年三月を以て生れ大正二年家督を相續す先是明治三十七年東京高等商業學校を卒業し日本銀行に入る次で歐米に漫遊して各國の實業界を視察す歸朝後各種の事業に參畫し現時長野電燈會社々長たる外前記銀行會社の重役を兼ぬ尚先代の遺志を繼ぎ政界に奔走して衆議院議員に當選する事四囘現に立憲民政黨に屬す曩に農商務大臣祕書官に任ぜらる。家族は尚二男善次郞(大三、三生)三男德三郞(同五、一生)及弟武雄(明二八、一生)あり。(太字は筆者による)

『人事興信録』のデータベース:https://jahis.law.nagoya-u.ac.jp/who/search

家族の次男に善次郎とあることから私が購入したのは小坂順造一家の次男の饅頭本で間違いないだろう。善次郎は1935年に亡くなっているので若くしてなくなったことが分かる。

 『善次郎ノ最后』には今井三郎という人物が文章を寄せているが、この文章によると、今井は善次郎に洗礼を授けたというので、善次郎はキリスト教を信仰していたようだ。しかしながら、最初からキリスト教を信仰していたわけでなく、善次郎が洗礼を受けたのは1935年6月21日と亡くなる直前であったという。また、善次郎はスポーツ、文学、音楽を愛好していたようである。特にクラシックを愛好していたようで「自分の葬式の時にショパンの作曲「雨だれ曲」同じく「ワルツ」同じく「悲しみの曲」を弾いて呉れ」と友人に依頼している。

 順造の文章に善次郎は母校は学習院であると記載されていたため、国会図書館デジコレで閲覧できる『学習院一覧』(昭和10年)を調べてみると、善次郎は1926年に初等科、1931年に中等科を卒業している。しかしながら、高等科の卒業者の名簿には善次郎の名前は確認できない。『学習院一覧』(昭和8年)を確認すると、高等科文科第三学年に在籍している。順造の文章では昭和8年(1933年)に病にかかったと述べられているため、高等科文科第三学年時に休学を選択せざるをえなかったのではないだろうか。

 この饅頭本は私の調べた限りでは、図書館や研究機関には所蔵されていないようだ。善次郎関連の本では、東京都立図書館に『小坂善次郎』小坂順造(1937年)という本が所蔵されており、この本は355ページと非常に分厚く何が書かれているのか興味をひかれる。





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