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民俗学雑誌『俚俗と民譚』の発行目的―柳田国男の方法の実践

 前回の更新からかなり間が空いてしまったが、福原清八という人物が編集しており、柳田国男も助言していたという民俗研究雑誌『俚俗と民譚』の発行目的に関して紹介していきたい。

『俚俗と民譚』第1巻  第1号の巻末記にこの雑誌の発行目的が述べられているため、以下に引用してみたい。

(二)かういふノート(筆者注:『俚俗と民譚』)を出して見たいといふことは、かなり久しい前からの念願でありました。郷土研究、民話蒐集の氾濫流行時代とも申しべき現今、中央都府から出る月々の刊行物、各地方から出る大小の機関誌を併せますと、指を折るに堪へぬ程澤山な数になりませう。此の間に、所謂雪上更に霜を重ねる所作に出たことは、すこしばかり譯があります。一つのいかに小さな民譚でも、遠き北より遥かなる南へ、東より北へ、出来るだけ共通のものにする記念の運搬者にならうとするのであります。後々、共同して比較研究を試みんとする人々の利用となる事が出来たら、即ち念願の幾分でも成就するわけで、とりわけ各地方から発表せられたものの追加を、段々と増して行きたいと思ひます。其土地に住んで居られる人でなければ、どうしても解けぬ不審が澤山にありますから、すぐに追加して下さると他方の人の為めには、ありがたい研究資料となります。(後略)(一部を現代仮名遣いにあらため、筆者が重要であると考えた部分を太字にした。)

上記で太字にした部分から、柳田が雑誌『郷土研究』を編集していたころから強調している「比較」という方法を『俚俗と民譚』が実践しようとしていたことが分かる。

 柳田の考える「比較」とは、各地域でめずらしいものであると考えられている言葉や習慣は、そこの住民が知らないだけで日本列島の他の地域でも行われているかもしれず、本当に特殊なものなのかという疑問を提起することで、各地域の安易な「特殊化」を戒め相対化する方法である。もっとも、柳田の「比較」は、『柳田国男のスイス  渡欧体験と一国民俗学』岡田民夫(森話社, 2013年)で指摘されているような日本列島という限られた空間に住む単一な「日本国民」を主な対象、前提としているという別の問題もあるが。

 「其土地に住んで居られる人でなければ、どうしても解けぬ不審」も柳田の考えと共通する。様々な文章で述べられているが、柳田は言葉や心意現象(現在で言うところの行為や言葉に付随する気持、内面の動き)の採集や研究を重視しており、これらに従事するのに一番適切なのは各地域に住んでいる研究者であると考えていた。柳田によると、現地に住んでいる研究者は、外部からの研究者が気が付かないようなこまかい言葉や心意現象も観察できるという。

 『俚俗と民譚』は、上記で紹介した記事で取り上げたように柳田が助言を受けていたが、各地域の事例の「比較」や各地域に住んでいる研究者の投稿を重視しようとしていたのはおそらく柳田からの影響があったと思われる。この「比較」という方法や現地の研究者による採集・研究の必要性が『俚俗と民譚』の刊行目的に表れているように、当時の民俗学研究者の間で共有されていたのか、共有されていた場合は柳田と同じ意味であったのかということは引き続き検討が必要な課題であろう。

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