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『来者の群像―大江満雄とハンセン病療養所の詩人たち』木村哲也さんの感想

 『来者の群像―大江満雄とハンセン病療養所の詩人たち』木村哲也さん(水平線, 2017年)は、詩人・大江満雄と各地のハンセン病療養所に入院していた詩人たちとの交流の軌跡を実際に大江と交流のあった人々から聞き書きして記録した本である。この本で紹介されている大江の交流は、療養所の記録に残されているものもだけでなく、記録に残っていないものもある。木村さんが記録しなければ歴史の中に埋もれてしまった大江の交流もあったであろう。木村さんは、『『忘れられた日本人』の舞台を旅する』(河出書房新社, 2006年)『宮本常一を旅する』(河出書房新社, 2018年)で宮本常一と各地の人たちのこれまで知られていなかった交流に光をあてたが、『来者の群像』でも知られていない事実に光をあてるという姿勢が一貫している。

 大江は全国の療養所の詩人たちの作品を収録した詩集『いのちの芽』を編集したり、全国の療養所を訪問したり、らい予防法闘争などハンセン病患者の権利回復の支援など多くの面で療養所の詩人たちと深い交流があった。この本によると、1996年のらい予防法廃止に結実する社会運動の基礎には、戦後、療養所内外で展開された文芸活動を中心とした長期にわたる交流やそこで形成された人的なネットワークがあったという。大江は、この交流を促進してネットワークの形成に大きく関係していた。また、この交流は大江自身にも影響を与えた。大江はプロレタリア詩を書いていたが、1930年代の「転向」によって戦争賛美の詩を書くようになったことから、戦後にこのことを自分の問題として考え続けた。大江にとって、療養所の関係者たちとの交流はこの問題を引き受けて戦後の自分の生き方を再構築することでもあった。

 私がこの本を読んで印象に残ったのは、大江が自由自在の「個人」であったという点である。戦前、ハンセン病は不治の病であり、患者はほとんど出られる見込みのない療養所に隔離させられたことは知られている。大江と療養所の詩人たちの交流がはじまった戦後には、プロミンという特効薬はあったものの、まだハンセン病に対する偏見が根強く残っていた時代であった。この時代、療養所の内部と外部の人たち交流する際には、両者の間に柵が設けられていた。しかしながら、大江はこの柵を超えて療養所の内部の人たちと交流していた。(注1)大江にとって、ハンセン病は交流を妨げる障壁とはならなかったようである。

 『日本人は何を捨ててきたのか』鶴見俊輔・関川夏央(ちくま学芸文庫, 2015年)で、思想家・鶴見俊輔は1853年以前の近代化のはじまる前の日本には自由自在な個人がいたが、明治の後期を境にこのような「個人」がほとんどいなくなったということを述べている。分かりやすく説明すると、近代以前の日本には「肩書」や「所属」にとらわれずに世界に広く交流をしていた人たちがいたが、明治の後期以降に国家という「樽」がつくられ「個人」がいなくなってしまった。鶴見は、「個人」の例として漂流してアメリカに渡りながらも現地の人たちと対等に交流した土佐の漁師・ジョン万次郎を挙げている。ジョン万次郎のような「個人」の消失を近代日本史における重要な問題と鶴見は考えていた。しかしながら、鶴見は「樽」の中にも少数ながら「個人」がいることを指摘して、「個人」と「個人」をつくる基礎となる大衆に期待を寄せている。

 鶴見の考えに基づくと、「肩書」、「所属」だけでなくハンセン病への偏見も気にしなかった大江はまさしく自由自在な「個人」と言うことができるだろう。前述の通り、大江と療養所の詩人たちの関係性は相互に影響を与え合うような関係性であったが、このような交流を大江が「個人」と「個人」のつきあいと考えていたからこそ両者にとって実りあるものになったと考えられる。『来者の群像』で、「関係的真実」や「関係的誠実」ということばを大江が使用していたことが指摘されているが、「個人」同士のつき合いもこのように言うことができるのではないだろうか。

 また、大江は、ハンセン病を「アジアの問題」として考えることを主張していたことが興味深い。この主張には「個人」同士のつき合いを基礎とした「民際的」な交流という考えがあったと考えられる。『歴史の話 日本史を問いなおす』網野善彦・鶴見俊輔(朝日文庫, 2018年)によると、「民際的」な交流は国家が関与せずともおこなわれ、世界中に広がりを持つものであるという。大江の療養所の詩人たちとの交流は療養所を囲む壁や偏見を越えて広がり、その広がりは日本の外まで到達する射程を持っていた。

 本の書名にもなっている「来者」はハンセン病を意味する「らい者」から作られた大江の造語であり、このことばに大江は未来への期待を込めていた。大江は歴史の変化は急に起きずリズムがあり、ゆっくり起こると考えていたようだが、「民際的」な交流が広がっていき将来的にゆっくりと歴史を変えていくという期待も「来者」という表現に込められていたのだろうか。

 このような大江の自由自在な人とのつき合い方は、コロナウイルスの影響で分断が私たちの日常まで入り込んだ現在の世界で分断をどのように乗り越えていくかという課題に対して何かヒントを与えてくれるような気がする。このような時代だからこそ、かつてハンセン病という分断線を乗り越えるために未来に期待しながら活動していた大江のことをこの本を通して知ることができて良かったと思う。

(注1)このことに関しては、木村さんの以下の動画で詳しく述べられている。


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