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小さな雑誌の読者の集め方―方言研究者・橘正一の場合

 昭和前期の民俗学草創期に多くの小さな民俗学関連雑誌が地域で発行されていたことは以下の記事のように拙noteでも度々紹介しているが、それらの雑誌の中のひとつに岩手県で方言研究者・橘正一が発行していた雑誌『方言と土俗』がある。

富山県立図書館長もつとめた方言研究者・大田栄太郎は橘と交流があったが、後年の回想「方言研究の回顧―「メダカ乃方言」まで」で『方言と土俗』の読者を獲得するために橘が行っていたことに関して以下のように語っている。昭和初期に発行されていた小さな民俗学関連雑誌の読者を獲得する方法の一例として興味深い。

最初『方言と土俗』を発刊するに当っても、広島の東条先生にお願いしてくれと言って来て、三人の発起人の名になっていますが、実際は橘君一人でなにもかもやっていたのであります。勧誘にあたっても私の『方言集覧稿』の会員名簿を知らしてくれとか、外にも名簿なかろうかというので、『旅と伝説』の直接購読者名簿を写してやって協力したりしてやりました。一五〇部出たら活版にすると言っていましたが、それが果たせないまま廃刊になりました。父に孝養したいから本を買ってくれとか、購読者を紹介してくれとか、素直な人で(後略)

大田栄太郎「方言研究の回顧―「メダカ乃方言」まで」
『言語生活』350号、筑摩書房、1981年より

橘は自分の発行する雑誌の読者を増やすために、当時方言研究の第一人者であった東条操にお願いしたり、他の雑誌の名簿を読んで読者になる可能性のある人々を探したりしていたようだ。他の小さな雑誌の発行者も橘と同じような方法で読者にPRしようとしていたのだろうか。

 余談だが、大田の回想によると、橘は病気であまり裕福でなかったことから柳田国男にも気にかけられていたようで、柳田は自分の使い終わった方言を記録したカードを橘に沢山送っていたという。

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