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「近代日本民俗学史の構築について」佐藤健二を再読する

 先日、友人と「近代日本民俗学史の構築について/覚書 (日本における民俗研究の形成と発展に関する基礎研究) 」佐藤健二(『国立歴史民俗博物館研究報告 165』, 2011年)を使用して簡単な読書会を行ったが、その際に以前読んだことのあるこの論文を改めて再読してみた。この論文は『柳田国男の歴史社会学 続・読書空間の近代』佐藤健二(せりか書房, 2015年)に収録されており、私の読書記録によると私はこの本を今年の2月に読んだらしい。(見返すまではもっと前に読んだと思っていた。)この論文は以下のようにウェブで閲覧することができる。

この論文は今までの民俗学の歴史の見方を批判的に検討して、これまで民俗学の一部としてあまり見られていなかった部分にも拡張して民俗学の歴史を再検討することを問題提起している。たとえば、今まであまり検討されてこなかった地方の研究団体、地方の研究者が発行していた雑誌や著作集を再検討することで、地方の動向も考慮すべきであると述べられている。私はこの論文の影響を非常に強く受けており、民俗学の歴史を柳田国男渋沢敬三中心以外の視点でも検討しなければならないと考えるようになった。そのためこの論文は度々拙noteでもしている。

 この論文を久しぶりに再読したが、現在の自分の考えと異なるところが1点あった。以下に引用してみたい。

表1(筆者注:論文の著者が作成した民俗学関連の雑誌をまとめたリスト)は、その基礎作業の一つである。学史というと常に言及される大藤時彦(一九三八、一九四二)、関敬吾(一九五三)の論考の「雑誌」の取りあげかたの偏りを明らかにするために作成した。(中略)大藤や関の記述が、全国的に発行され流通した雑誌に偏っていることは明らかであった。

この部分は、「全国的に発行され流通した雑誌に偏っている」のではなく、「全国的に発行され流通した雑誌で中央(柳田国男)に関係のあった雑誌に偏っている」と言った方が適切であろう。最近の研究では、地方―地方の民俗学研究者や団体の交流が少しずつ明らかになっており、地方で発行されていた雑誌も部数は少ないながら全国に読者を持っており流通していたことが分かってきているからだ。このことは拙noteでも以下のように紹介している。

さらに、地方の研究者個人の伝記的な事実、その仕事内容も詳しく検討されるようになっている。例えば、最近では本山桂川澤田四郎作田中梅治などである。特に、澤田は冒頭に取り上げられた論文中にも詳しく取り上げられており、その問題意識を引き継ぐ形で磯部先生が澤田やその周辺の人脈の研究をされている。日記の翻刻も進められており、今後さらに判明する事実があるだろう。日記の翻刻は以下のウェブページより閲覧可能だ。

 以上に指摘した点があるからといって冒頭の論文の価値が落ちるわけではない。この論文が発表されたのが2011年であるということを考慮すると、この論文でなされた問題提起がその後様々に展開されていったと考えるべきであろう。近年の地道な個別の研究によって、地方の小さな雑誌も少部数でありながら全国の研究関係者に流通していたことが分かった。以上に指摘したことと私の理解の差はそのまま研究の進展を表していると考えている。来年も民俗学の研究史の領域でどのような研究が発表されるかに引き続き注目していきたい。また、願わくは私もこの領域で少しでも何か貢献したいと考えている。もっとも、その時間や能力があるかは不明だが。。。


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Theopotamos (Kamikawa)
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