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『「本読み」の民俗誌 交叉する文字と語り』川島秀一の感想

 主に昔出版された本を読んでおり新刊書の読書がおろそかになっている私が言うのは恐縮であるが、今年の出版物の特徴のひとつに本や読書に関して考えさせるような本が多いことがあるように思う。たとえば、私が知る狭い範囲では以下の本があげられる。(なお、すべて購入済み、もしくは購入予定だが、まだ読めていない点はご容赦いただきたい。。。)

『わたしが知らないスゴ本は、 きっとあなたが読んでいる』Dain 技術評論社
『マルジナリアでつかまえて 書かずば読めぬの巻』山本貴光 本の雑誌社
本のリストの本』南陀楼綾繁、書物蔵 創元社
独学大全 絶対に「学ぶこと」をあきらめたくない人のための55の技法』読書猿 ダイヤモンド社(9月出版予定)

(敬称略)

上記の本は私の周り(とても狭い範囲ではあることは承知しているが)では、少なくても出版前に存在を知ることができる程度には話題になっていた。今回紹介しようとしている『「本読み」の民俗誌 交叉する文字と語り』川島秀一(勉誠出版)も同じように本や読書について考えさせられる本であるはずなのだが、お恥ずかしながら今年4月に出版されていたことを知らなかった。そのため、今回はこの本のおもしろさが少しでも伝わればと思い紹介していきたい。この本は読書という営みや本に関して上記の本とは異なる視点で書かれているため、上記の本とはまた違った読み方・楽しみ方があるかと思う。

 この本では、村の中で「本を読む」という営みがどのように行われたか、本というものがどのように扱われていたかを聞き書きや文献を中心に検討されている。昔の村では昔ばなしの口承という非文字世界の印象が強く本が読まれていたという印象はあまりないかもしれない。しかしながら、この本は村=非文字社会であったというイメージの再検討を迫る。昔の村では、本が読まれその本の内容が他の人々に語り伝えられたり、口承伝承が本にされたりなど文字/非文字の境界を超える営みが行われていた。また、現在では当たり前となっている作者/読者という区分がないのがおもしろい。たとえば、本を読んだ読者が別の人にその内容を語り聞かせたり、本にしたりなど作者に近い立場になることもあった。さらに、語り聞かされた人、その本を読んだ人が別の人に語ったりその話を本にしたりなど、文字/非文字、作者(話者)/読者を超えて連鎖している。言い換えると、伝承は口伝えに行われただけでなく、文字でも伝えられ、時には口承が文字で書かれ伝えられ、文字で書かれたものが口承されることもあった。さらにおもしろいのは、文字を読めない人でも本を所有していたということだ。彼らは文字が読め語りのうまい人に読んでもらっていたという。文字の読めない大人に文字を読むことを小学校で習った子どもが本を読んであげることもあったようだ。昔の村は、本は大人が子どもに読み聞かせる、読めないから本を持たないという現在的な考え方からも自由であったようにみえる。

 このことから、私たちが想像するよりはるかに多様な本の読み方・読まれ方が昔の村でなされてたことが分かる。これは近代以降に形成されたと思われる現在の読書体験・空間と並行して存在していたが、現在では失われてしまったもうひとつの読書体験・空間である。そこでは、読書は個人でするものでなく村の共同で行う営みであり、本は文字世界にある固定的なものでなく、文字/非文字を行き来する流動的なものであったようだ。昔の人々にとっては、文字世界と非文字世界を現在ほど明確に区分していなかったのかもしれない。本に関しては、個人で所有していても、時には別の人に読んでもらい楽しむものであった。さらに、作者/読者/話者/聞き手の区分もあいまいであり同じ人が同時にすべての役割を担うこともありえた。この本からおぼろけながら見えてくる昔の村の読書体験・空間は、現在の私たちが当たり前と考えている前提を解きほぐしてくれる。この本を読んで読書という営みや本の歴史に関して改めて考えされられた。

 この本で論じられているのは過去のことであるが、現在の読書体験・空間を考える上でも重要なヒントを与えてくれるように思われる。たとえば、読書は共同で行うものでもあるということだ。私の事例で恐縮だが、私の周りでは読書会が盛んだ。これは読書が共同の営みであるという考えが広がりつつあるのだろうか?この場合の読書会は、教える側/教えられる側という垂直な関係性でなく参加者は先生であり生徒でもあるという思想家・鶴見俊輔の言う「めだかの学校」のようなものを指す。そこでは参加者の本の読みを持ちよることで、様々なことを考えるきっかけになる共同の読書が行われている。私もいくつかの読書会に参加させていただいているが、例のウイルスや忙しさの影響もあってか最近では参加頻度が減っている。読書会での共同の読書はいろいろ考えさせられるため、今回この本を読んで少しずつでもよいので読書会に顔を出していきたいと思った次第である。

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