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柳田国男と藤澤衛彦の「伝説」理解②―柳田国男の郷土の射程は?

 先日、Twitterを見ていて柳田国男と藤澤衛彦もりひこが同じ雑誌に投稿したことがあるということを知った。『山林』という雑誌の第572号(1930年)に藤澤は「山の伝説」、柳田は「狼の話」という文章を投稿しているようだ。ちなみに、この情報をきっかけに、この雑誌が大日本山林会のWebページにある「会誌「山林」検索システム」で過去のアーカイブを閲覧できるようになっていることを知った。

私も以前柳田と藤澤の伝説に関する理解の違いを以下の記事のように紹介したが、今読み直してみると両者の違いはもうひとつあるのではないかと考えるようになった。

 以前の記事でも紹介したが、柳田が後に炉辺叢書の1冊として出版される『江差郡昔話』の書名に関して、佐々木喜善に以下のように書簡上で助言を行っている。

電報をありがたう そちらはもう寒いでしやう どなたも御達者ですか セルバン(端西のザシキワラシ)のことをかいた本はもつてかへりました、よんでから上げたいとおもふと中々早く送ることが出来ません 御希望なら先づ御目にかけましやうか、貴君の童話集には茫漠たる標題をつけてハ損です 藤澤の本見たやうな感じがするから(大正十?年十二月十五日 岩手県上閉伊郡土淵村山口 佐々木喜善様 柳田國男 絵はがき)(『定本 柳田國男集 別巻4』(筑摩書房, 1971年)より引用。一部を現代仮名遣いにあらためた。)

柳田が書簡の中で述べている「茫漠たる標題」は藤澤の編集した『日本伝説叢書』(1920年)を念頭に置いたものであると思われるが、この叢書には巻数が付けられたものと「上総の巻」、「信濃の巻」、「伊豆の巻」など各地域名を付けたものの2種類がある。

 ここで興味深いのは、柳田が想定していた伝説蒐集のフィールド(地域、郷土とも言えるか?)の範囲を明確にするよう佐々木に助言しているように狭いものだと考えていたのではないかという点である。『郷土誌論』(『定本 柳田國男集 第二十五巻』(筑摩書房, 1970年)に収録)では、柳田は県郡町村単位の歴史の検討、他地域との比較を重視していたので、単位の違いはあれども柳田の想定していた蒐集範囲である地域、郷土は国家や何々地方のような広い範囲ではなかったと思われる。柳田は佐々木に狭い地域の研究に専念して欲しいという思いがあり、将来的な他地域との比較の可能性を考慮に入れて佐々木に助言したのかもしれない。

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