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民俗学研究者・日野巌、『変態崇拝史』を評する

 先日、斎藤昌三が発行していた雑誌『いもづる』の一部の現物を確認することができたが、たまたま見つけた興味深い記事を紹介したい。私が確認したのは『いもづる』第5巻第1号(坂本書店、昭和2年)だが、この号には以下の記事で紹介した斎藤昌三『変態崇拝史』(文藝資料研究会、昭和2年)の同好者の評価が「変態崇拝史に就て」として記載されている。興味深いのは、宮崎県で活動していた民俗学研究者・日野巌(注1)が文章を投稿している点である。

日野は妖怪、宮崎県の民俗の研究をしていたが、性に関する民俗についての文章も投稿していたのは知らなかった。以下にその文章を引用してみたい。なお、復刻版である『斎藤昌三編『おいら』→『いもづる』―郷土研究的趣味雑誌の1920~1941年』第3巻(金沢文圃閣、2022年)より引用する。

 第二十六頁バックレ―氏記載の内宮陰陽石は十年程前に、土に埋めて了いました。今は只二三の奉納小鳥居があって、それと判る位に過ぎません。外宮のは手洗盤でなくて、拝殿前の手洗池の側ではありませんかしら。
 第四十五頁玉垂宮の小祠は今もあります。玉垣の内には椿だけです。樫はありません。石はあります。これに女性の草鞋と木の男茎が奉納してあります。
 大自在天は印度の性的神ですが、之と天神が混用したようです。天神と性。この辺の事情から来ているようです。
 第四十八頁、福岡市外北恵山にも毀れた猿の石刻があります。それは歴然と陽物を抱いていたようで(木の葉猿の系統)すが、今はその陽物は抜きとられてありません。
 第七十一頁図版 木ノ葉猿の馬乗り猿はもと交尾していたものではあるまいかと思います。その例は大阪住吉人形の「睦み犬」で、これは露骨な交尾の形でやはり子授安産の祈りです。
(筆者により現代仮名遣いにあらためた。)


 上述のように日野は斎藤へアドヴァイスを送っている。この時期、日野は妖怪研究を行っていたが、同時に性に関する民俗にも関心を持っていたようである。性に関する民俗は当時の土俗における蒐集分野のひとつであったが、日野は土俗蒐集(土俗趣味)も経由して民俗学に関心を持ったと考えられる。

(注1)日野に関しては、WATANABE様の年譜、もしくは私も紹介したことのある以下の記事が詳しい。

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