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岸本昌也さん「幻の徳富蘇峰書簡―南方熊楠の情報戦略の一側面」についてのメモー気になる情報が突然登場するのが熊楠書簡

 南方熊楠研究会の機関誌である『熊楠研究』第14号(2020年)には、岸本昌也さん「幻の徳富蘇峰書簡―南方熊楠の情報戦略の一側面」という論文が投稿されている。この論文は南方熊楠顕彰館に所蔵されている熊楠の未完の書簡を検討して、徳富蘇峰に宛てようとした書簡であることを指摘している。私は以下の記事で東の書簡魔である蘇峰と西の書簡魔である熊楠の交流があったらおもしろかったと述べたが、両者の交流は実現一歩手前で頓挫したということが興味深かった。

 また、この論文には、熊楠が蘇峰に宛てようとした書簡が翻刻され紹介されているが、その中に個人的に興味深かった情報が含まれていたので以下に引用してみたい。

(前略)小生が痴人如き風で何の援助もなく孤立齷齪するよりは、植物研究所の看板を掲げて安全上の保証を得、徐かに研究しては如何とのことで、小生も其意に従ひ趣意書を出し、御社より五千円をきつかけに岩崎男より一万円、(中略)三菱よりの一万円を主として世話しくれたるは三土蔵相にて、当時其の言に貯蓄金の利息などいふは知れたものなり、趣意書に述たる十万円揃ひ集まるを俟て然して後に事にかからんには齢が俟てくれぬ、故に予期の金がみな集まるをまつに及ばず、帰国せば早速事にかかれ、事が挙らば又出資する人もあるべしとの事なりし。(後略)(Kamikawaが重要であると考えた部分を太字にした。)

 上記に引用した太字で南方植物研究所を設立しようとして寄付金を募った際に三菱財閥から1万円を寄付されたが、それを世話した(仲介したという意味もあるのだろうか)のは三土蔵相であったことがわかる。三土蔵相は三土忠造のことで私の調べている謎の男・平澤哲雄の親戚であった。以下の記事で引用した熊楠が岩田準一に宛てた書簡(以下に再掲しておきたい。)の中で平澤の「世話で小生岩崎家より研究費一万円もらえり」と熊楠は述べているが、実際は平澤が三土に頼んで寄付の協力を三菱に取り付けてもらったのだろう。このように突然興味深い情報が出てくるのも熊楠書簡の魅力である。

山田の従兄も御坊町へ帰るに付いて、葉山の別荘に琴やら裁縫やら歌俳諧に茶湯やら英仏語やらを教えて、故平沢哲雄氏(タゴールをつれ来朝せしめたる三土忠造君の弟。もと和歌山県知事、今は衆議院議員と記憶する宮脇梅吉氏の妻の弟。この人、米国へ八歳のとき渡り、まるで欧米人のごとし。『大菩薩峠』の駒井甚三郎そのままで、まことにおとなしき人。震災のときに、永井荷風方へ逃げのき、それより小生に頼み来たり、本山氏にあい『大毎』派出員かなにかの名義でパレスチナ、パリ等に遊び、帰りてまもなくチプスになり、自由結婚の妻の腹に鮒を盛り込んだまま置き去りにして冥途へ旅立たれ候。この人特製の法螺の音が太い。その説の一つといっぱ、その人と知らずにかたわらに行きて特異の霊感に打たれた人は一生に二人、一人はポーランドの初大統領パデレウスキー、今一人は熊楠とのこと。この人の世話で小生岩崎家より研究費一万円もらえり)の遺児を守りおる吉村勢子女子へいいおくる、(後略)(筆者が重要であると考えた箇所を太字にした。)

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