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『真昼の決闘 花田清輝・吉本隆明論争』好村富士彦に関する読書メモ

 この本は副題にもあるように、1950年代後半に起こった花田清輝吉本隆明の論争を、この論争の前後の文脈、時代背景も含めて論争当時に立ち返って再検討している。著者がこの本を書いたのは、一般的に(現在でも)吉本の勝利に終わったとされている論争に対する評価の再検討を行いたい、この本が出版された1986年当時の花田・吉本の論争を知らない若い世代にこの論争の重要性を伝えたいという動機からだ。

 後者の動機に関しては以下のように補足しておきたい。この本は1986年5月に出版されたが、収録されている文章は『匙』という同人誌に1979年6月~1986年4月にかけて断続的に掲載されたものである。現在ではこの本が出版されてから30年以上(もとの文章の連載が開始されて40年以上)、論争が行われてから60年以上が経過しているため、本の出版時よりも論争当時の時代的な背景や論争そのものの重要性を理解するのが難しくなっている。私も本の中に登場する出来事は知識として持っているものの、当時の出来事やそれに関する議論が重要であった理由に関しては、ピンと来ないことが多かった。筆者はこの本でそのあたりを詳しく説明したとあとがきで述べているが、出版当時と現在とでは想定している読者の前提知識も大きく異なっているため、必要であれば現在の読者である私たちは別の本で補う必要があると感じた。特に、左翼運動や共産党の歴史に関してはこの本を読む上で前提となっているような印象を受けた。

 長くなってしまったが、話を本の内容に戻そう。この本の構成を主に論じられているテーマ別に区分すると、①1950年代後半の花田・吉本の論争の再検討、②①に対する読者の批評とその応答、③花田清輝論、の3部構成になる。この本に③花田清輝論が主なテーマとして含まれているのが興味深い。詳しくは後述するが、著者は花田のことを非常に高く評価しており、この論争における花田の評価を回復したいという考えも本の執筆動機にあったように、私には思われる。つたないながら、上記のそれぞれのテーマに関して私が読んで感じたことを述べていきたい。

①1950年代後半の花田・吉本の論争の再検討

 特に興味深かったのは、論争の前夜の文脈が書かれていたことである。たとえば、論争の前後に進んでいた共産党の内外での対立が述べられているが、それは旧世代(共産党系)と新世代(非共産党系)の対立でもあった。この対立が、花田(旧世代)・吉本(新世代)と反映されており、世代間の対立でもあったようだ。また、論争戦後は吉本と武井照夫は立場が近かったというところが意外であった。私は1960年代以降の吉本の文章を読むことがあるが、これらの文章では事あるごとに武井は「スターリン主義の知識人」として批判されており、立場が近いと言われると違和感を感じてしまう。しかしながら、1956年に吉本・武井の共著として『文学者の戦争責任』が出版されているように、当時の立場が近かったことは間違いなく、この点は当時の言論環境に立ち戻ってみないと気づかないことであった。改めて時代背景を調べてみることの重要性を考えさせられた。

 この本の興味深い点のひとつは、論争における花田の立場の再評価である。特に、花田の論争からの撤退は演技であったという評価は非常に興味深い。この本によると、花田は論争に関して勝つだけでなく負けることも重要であると考えており、吉本の勝利と自らの敗北を「演出」したという。花田は、論争の名手として知られているが、吉本との論争では理論や戦術もなかったため、あえて「敵役」を演じていたのではないかという推測がなされている。この解釈は論争が吉本の勝利で終わったという評価とは真逆の評価となっている。筆者のこの本の出版動機の中でも述べたが、筆者の中に花田の再評価・救済という動機があるため、このような評価になったと思われる。奇抜な解釈であると思われるかもしれないが、読み進めていると、確かにそうも言えるかもしれないと納得させられるのはおもしろい。

 一方で、吉本に対する評価はなかなか手厳しい。論争のときの吉本の文章を花田と比較して検討し、吉本の文章の中の概念のあいまいさや論理の問題点を指摘している。しかしながら、私からみても吉本の文章をあまり読んでいないのではないかという部分もあったことが気になった。また、論争とは直接関係ないが、この本が出版された当時に展開されていた吉本の消費社会の肯定や『反核異論』に対する批判はすさまじいの一言に尽きる。私の個人的な見解だが、80年代の吉本の「転向」と称されていること自体に再検討の必要性があると考えているが、80年代当時の吉本に対する評価の一面に触れられたという意味でおもしろかった。

②①に対する読者の批評とその応答

 この本のおもしろいところは、雑誌に連載されていた当時の読者からの疑問や反論に応答した内容を「補注」という形でのせていることである。この本によると、花田は芸術作品は共同制作されるべきであり、論争も論争相手とつくり上げるひとつの作品であると考えていたという。花田が吉本の敵役を演じたように花田によって論争は「演劇」のようなものであった。この読者との応答を公開した理由は、花田に大きな影響を受けた著者が本も著者と読者の共同制作するものであると考えていたからではないだろうか。

 私にとって興味深いのは、吉本の文章をもっと読んだ方が良いのではという意見も寄せられていることである。この著者は吉本の文章を内在的に検討している面がある一方で、吉本が使用している言葉の意味のあいまいさを批判している面もある。たとえば、吉本の「庶民」の概念のあいまいさを指摘して「階級性」という考えが欠落していると批判している。私にはこの批判が著者の基準(言い換えると、吉本の文章の外部の基準)で批判しているような違和感を持った。時代が経過しても文章の読み方には変わる部分と変わらない部分があることを感じた。

③花田清輝論

 この本の著者にとって花田は非常に想い入れのある文学者であることが感じられる部分である。私にとって特に勉強になった部分は、花田の文章の読み方に関してである。私は、花田の文章の難しさのひとつに古今東西―芸術や古典など高尚なものだけでなく、今風の言い方でいうとエンターテイメントやサブ・カルチャーまでに及んでいる―に渡る博識な引用や話題の唐突な切り替えにあると考えているが、なぜ花田がこのような手法をつかって文章を書いているのかがよく分からなかった。この本によると、花田は映画のモンタージュの手法を文章に適応しようとしたのではないかという。モンタージュの手法は映画や写真で視点の異なるカットを複数組み合わせてまったく新しくみえるものを作り出すという手法である。花田は、まったく関係がなさそうに思える引用を組み合わせたり、唐突に別の話題に切り替えたりすることによってまったく新しい景色を読者に見せようとしていたのではないかという。この理解は今後花田の文章を読む際には常に念頭においておきたいと思った。

 また、花田を理解するための補助線として、①文章と運動の連動、②インターナショナルな視点(同時代の海外の動向にも注目する)の2点が指摘されているが、これらは現在でも重要であると思われる。近年では社会学や文学などの領域で1950年代の研究が盛んになっているが、花田に関しては昨年『転形期のメディオロジーー一九五〇年代日本の芸術とメディアの再編成』鳥羽耕史・山本直樹編(森話社)という論文集が出版された。この本では、花田に限らず1950年代の芸術や映画の理論とその実践というテーマで書かれた論文が多い。これは①の論点を継承していると言えるだろう。②2に関しても、2013年に出版された『思想の不良たち 1950年代 もう一つの精神史』上野俊哉(岩波書店)の中の花田論にあらわれている。この本では、花田と同時代に活躍しはじめるデリダ、ドゥルーズの初期の思想と花田を比較・検討されているが、②の論点を継承していると言えるだろう。以上のことから、①、②の論点は現在でも十分に通用する射程を持っていると考えられる。

 総括すると、私はこの本は花田・吉本論争を扱いながらも花田の再評価を試みた一種の花田論であると思った。読んでいて特におもしろかった部分も著者の思い入れの強い花田を論じた部分である。花田・吉本論争に関しては、実際の文章を読んで考えてみないと何とも評価が難しいのではと感じた。この本は花田を救済するという形で書かれているが、他の花田・吉本論争に関連する本も読んでみたい。

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