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『柳田國男全集』の年譜のスキマ―花田清輝と柳田国男

 昨年『柳田國男全集 別巻1 年譜』が出版された。この年譜は『柳田国男伝』(柳田国男研究会編・後藤総一郎監修)の別冊「年譜・書誌・牽引」を大幅に上回るページ数で、柳田の行動が詳細に分かるようになっている。(注1)この年譜に付属している月報36によると、この年譜が出た昨年(2019年)は『柳田国男伝』の別冊の年譜の出版からちょうど30年にあたり、『柳田国男伝』の年譜の3倍くらい情報量がふえたようだ。まさに30年間の柳田研究の成果を盛りこんだものであり、現時点での「決定版」と言えるものだ。

 しかしながら、「決定版」といえる年譜といえども、掲載されていない事項はまだまだ多く存在するだろう。先ほど引用した月報36には、年譜をデータベース化して多くの人々が書き込めるようにすることも提案されており、常に更新していく必要がありそうだ。僭越ながら、先日気づいた些細なことをこの年譜を補足するという意味でここに書いてみたい。

 『花田清輝全集 別巻2』の年譜によると、1958年に花田清輝は飯島衛の紹介で柳田の自宅を訪ねている。このことは『柳田國男全集 別巻1 年譜』には記載されていない。この訪問後に、柳田は「読むべき本は東西にわたり読んでいる」と花田の印象を飯島に伝えたようで、柳田が花田のことを高く評価していたのが分かる。

『花田清輝全集』に付属の月報17の「柳田国男と花田清輝」によると、この訪問は花田が飯島に個人的な紹介を依頼したとのことで、おそらくこの訪問が両者の初対面であろう。柳田文庫の目録によると、柳田文庫に下記の花田の本があるので、訪問前から本を通して、もしくは飯島から聞いて花田のことを知っていた可能性はある。

『錯乱の論理』 真善美社 1947年
『復興期の精神』 真善美社 1947年

 最後に花田を柳田に紹介した飯島衛に関して簡単ながら述べていきたい。飯島は生物学者で、『定本 柳田国男集 第6巻』に付属の月報6によると、柳田とは中学生のことから「家族友達(ファミリー・フレンズ)」であったようだ。(注2)また、飯島は花田も同人のひとりであった『近代文学』に度々投稿しており、この月報によると、飯島は『近代文学』の仲間を柳田によく紹介していたようだ。ちなみに飯島と花田の関係性だが、上に引用した「柳田国男と花田清輝」によると、飯島は花田のことを京大在学時から知っていたようだ。(注3)

 この飯島に関しては、インターネットで調べてみても生物学者と言われているだけで詳しくは分からなかった。(注4)しかしながら、飯島は戦後の若い世代に柳田の思想を伝える橋渡しをしたという意味で柳田の受容に重要な役割を果たした可能性があるため、引き続き調べてみたい。

(注1)私のTwitterで「本日の柳田国男」というタグで柳田国男の日々の行動を配信しているため興味のある方は読んで欲しい。

(注2)飯島は柳田と何がきっかけで知り合ったのかは分からないので引き続き調査が必要。

(注3)『花田清輝全集』に付属の月報17の「柳田国男と花田清輝」によると、京大在学時に飯島は花田のことを知っていたようだが、直接交流があったかどうかはこの文章からは分からなかった。引き続き調査が必要。

(注4)国会図書館で検索したところ、飯島の略年譜・著作目録があることが分かったのでこれを読めば何か分かるかもしれない。ちなみに著作集はないようだ。

(追記1)花田と飯島は京大時代に知り合いであったわけではなかったことがその後分かった。京大時代に飯島は花田のことを見たことは会ったが、面識はなかったとのこと。実際に交流がはじまるのは戦後になってからである。このことは以下の記事にまとめた。(2020/10/11記)


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