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鶴見俊輔『日本の地下水―小さなメディアから』についてのメモ④―読書会第1回目

 先日、以下の読書会(鶴見俊輔『日本の地下水―小さなメディアから』(編集グループSURE、2022年)の読書会)を開催したのでその第1回目で使用した資料を紹介しておきたい。

1. 今回の本を選んだ理由
最近趣味誌(同人誌、ミニコミ誌)を調べているが、サークルという集まりの共通点と違う点がどこにあるかということに興味を持った。サークル、趣味団体、読書会、(在野の)研究会という人々が集まる場について考える上で、戦後様々な形で展開されたサークルがどのように論じられたのかを参考にしたい。

2. サークルについて
2-1. サークルとは?―いくつかの例
・現在流通しているイメージ
→大学の同好会(例:野球サークル、テニサー、飲みサーなど)
→コミックマーケットに参加する同人誌を作成するサークル

・1950年代のサークル(道場親信『下丸子文化集団とその時代』、みすず書房、2016年)
→政治的な目的を達成するためのサークル(革命と達成する、民族解放など)
→この時代の文芸サークル(小説、詩、短歌、版画、作曲、合唱など多岐にわたる)の固有な立ち位置。

1949~1950年 レッドパージによる職場のサークル活動家の追放、彼らによる各地域でサークルの再結成。
※この時代のサークルの2つの側面。共産党の文化闘争という役割遂行という上からの「目的意識」と芸術に対する人々の欲求という自発的な「目的意識」
※この時代の創作の持っていた固有の意味。創作の実践と政治が重なっている。
政治にも多くの意味
→共産党の目的遂行という狭い意味での政治と自己認識の改革という広い意味での政治
※記録する、書くという行為の固有の意味
→自己の認識、自己の主体性の組み換え=意識改革
※趣味的なサークル、文学同人とは明らかに異なるものという自己意識を持っていた。

ただし、消費社会、マスメディアの発達による大衆文化の普及により1950年代には衰退。
→谷川雁の「工作者」はその復活か?(サークル村)
「私は村の中では非農民です。そして村のそとでは農民です」→あまのじゃく?(谷川雁『工作者宣言』、中央公論文庫、1959年)

・職場のカイゼンサークル(=QCサークル)(T.A.「そこにサークルはあるか?」『文化と表現』VOL.19)
→自発的、水平的な性格はないので50年代のサークルとは異なる。
→自主的にやらされている。また、トップダウン的で会社組織の上下がサークルに転写。

2-2. サークルとは?―鶴見俊輔の場合
①鶴見俊輔のサークルの定義(「なぜサークルを研究するか?」『鶴見俊輔集』第9巻、筑摩書房、1991年)

(前略)サークルは優曇華の花のようにふとここにあり、また見えなくなるという存在の形をもつので、それを生け花、切り花として呈示することはむずかしい。まして、それをおし花として標本をつくることはさらにむずかしい。ふつうに日常生活で私たちのもつつきあいの中に、自然にとけこんで姿を没してしまうものだろう。このことを重視するということは、いわば、私たちの研究方法を(理想論として言えば)不可能にするとともに、サークルとはこうあるべきだ、こういうものであってこれ以外はサークルでなないというような、あらかじめ型をつくってそれにあわせて裁断するような記述と論評からわれわれのとらえかたをひきはなす。(後略)

(前略)サークルの形が、メンバーがおたがいに見わけられるくらいの小さい恒常的におたがいに会う集団ということから、サイズが小さいということの他に、たがいによく会うということが出てくる。両方の要素にかかるものとして、つきあいというものが、サークルにとっての根本的な特色となる。(後略)

(前略)おなじ人びとが自発的に何度も会うには、かなり長い時間の経過を必要とする。その時間のすぎかたが、サークルにとっての基本的な要素となる。(中略)ここでの時間の感じは、むしろ村の祭りのように、時間が自然に成熟してくるのを待つという感覚である。(後略)

(前略)活気のあるサークルには、その底に、長い時間をかけてつきあうに足る相手だとおたがいに感じる、共有された直感がある。それは、学校においても、近所づきあいにおいても、職場においても、そういうつきあいの成熟する時間をもち得ない、管理された時間の下におかれた社会でのかわきにこたえるものである。(後略)/このようにたがいに信頼をおくつきあいの中では、サークルの進行途上で、自我のくみかえがおこる。サークルのメンバーは、はじめに主張したのと正反対のことを後に主張したりするものである。そういう立場の変更は、忘れられているので許されるのでなく、認められた一つの慣行となっている。(後略)自分の考えが、他人の考えと合体し、交流し、増殖してゆく感じを体験することができる。こういう場としてのサークルのもつ創造性は、制度化され管理された研究体制ではなかなか見出されない。(後略)

(前略)こうした顔見知りの仲間の協力は、日本の村(とくにその中の最初単位である部落)のつきあいに原型をもつものであろうし、部落がサークルとはちがって、うちわながらその土地に住みついているもの同士のつきあいだということでちがいを認めるとすれば、その部落の仲間から、自発的に計画をたてて参加者をつくるさまざまの講中(伊勢まいりとか、富士登山とか、頼母子講)が、日本のサークルの源流にあたるものだろう。(後略)

(前略)現在の日本のサークルのおおかたが、消費的なサークルであるとしても、それらがメンバーの平等性と助けあいをもとにうごいている以上、その底にひめられたものとして、生活のあらゆる局面にさいしての新しい目標へのねがいがある。砂川や三里塚の農民から遠くはなれているとは言え、そこには、自然との新しい関係、生産の形の根本からのつくるかえの理想と底にもつものと言える。(後略)

②サークルの学風(「サークルと学問」『鶴見俊輔集』第9巻、筑摩書房、1991年)
・あてはめ学風
→西欧から大わくをかりてきて、その大わくの中の中わく、小わくを、日本人の手でうめてゆくという方法である。(わくを変更することはできない。)
・つぎはぎ学風
→西欧の学問から何らかの包括的体系をかりてきて、その大わくのなかで、中くらいのわく、小さいわくのほうは、なるべく日本の中にあるわくを変形させてうめてゆこうとする。(大わくの変更は難しいが、その中のわくは変更可能。)
・つつみこみ学風
→現在の関心をひろげてそれによってできるだけ多くのことがらをつつみこんでしまう学風。(大わくを自分でつくる。)

・サークルを明確に定義することはできない。そしてしない方がよい。
・鶴見の文章から読み取れるのは
→メンバーの関係性の水平性、信頼できる人々の集まり、交流を通じた自分の考えや価値観の変化を起こす創造的な場、日本の村の人間関係の伝統、底にユートピア的な考え
→後ろ2つに独自性を感じる。(谷川雁と似ている?)
・サークルは何かの目的、プログラムを達成するということには優れていない。何らかの権力に抵抗するということに対して有効。

3. 『日本の地下水』について
1956年より開始。『中央公論』から『思想の科学』へ
→サークルの興隆期に始まり、その後波の引いた後も紹介し続けた。
→サークルが1960年の安保闘争を境に下火になったという鶴見の認識。(前掲「なぜサークルを研究するか?」より)

<今回の範囲で印象に残った部分>
P16 精神病院で生まれる総合雑誌とは何か?
P34 つつみこみ学風と安保
P38 同窓会と伝統
P43 理想の伝承
P45 保守的な立場も取り上げる
P50 『北方の灯』
P65 異者との共生
P66 北沢恒彦
P74 転向
P91 「いとこ会誌」と民主主義
P113 地下水
P126 生活者の批判

※ページ数は鶴見俊輔『日本の地下水―小さなメディアから』のページ数。

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