見出し画像

鶴見俊輔『日本の地下水―小さなメディアから』についてのメモ③―「地下水」の意味

鶴見俊輔『日本の地下水―小さなメディアから』(編集グループSURE、2022年)の「日本の地下水」は、『思想の科学』で連載されていた同名のコラムから来ている。この「地下水」というキーワードはこの本に収録されている「島原の乱以後―「おほもと」」に登場する。この文章は大本教の機関誌である『おほもと』を紹介しているが、「地下水」ということばが登場する部分を以下に引用してみたい。

地の中の流るる水の脈さぐることに妙得しわれとなりけり(出口氏青年時代の作)
 京都府綾部の農家に生まれた王仁三郎は、井戸を掘ることにたくみで、よく人にたのまれたことがあったようだ。開祖の出口直をたすけて、王仁三郎がきずいた大本教は、日本の地下の水すじをさぐってほりぬいた一つの井戸であると考えられないことはない。
 『おほもと』(中略)は、王仁三郎のほりぬいた井戸に、七十年後の今日もなおわき水のたえていないことを示している。(後略)

 ところが、浅野和三郎のその本(筆者注:超国家主義を主張した『大正維新の思想』)が出版されたまさにその年におこった大本教弾圧事件以後、敗戦にいたるまで二十五年の長きにわたって、大本教は現天皇の権威と国家権力にたいしてゆずることなしに信仰を守った。(後略)

 最近になって、日本の思想史にとって画期的な事件が、大本教をとおして起こった。それは、九州五島地区の玉之浦のかくれキリシタン三十六世帯が大本教に改宗したことである。(中略)
 一五四九年八月十五日ザヴィエルによって日本にもたらされたキリスト教は、(中略)キリスト教信仰自身が非常な変質をとげる。表むきは仏教のお寺にも行っているわけなので、仏教にたいしても排他的でないし、また裏でこっそりおこなわあれている礼拝儀式も、自分たちの非転向の祖先への礼拝という祖先礼拝の形にかわり、実質的に神道と似てきてしまっている。
 明治以後にふたたび宣教師をとおして入ってきたキリスト教とは、信仰内容の実質上の相違のためになじめなかった。(中略)大本教に接する機会があり、自分たちの信仰が大本教の信仰に実質的に近いことを感じた。一つは万教同根という考え方。キリスト教の象徴体系によっても、仏教の象徴体系によっても、神道の象徴体系によっても、それぞれ独自の仕方で近似値的に最高善に接近する努力がなされ得るという信仰である。もう一つは、明治以来の日本の近代史で大本教が二度も国家権力の弾圧をうけながら、信仰をかえずにたえてきたということにたいして、同じ非転向の姿勢を数百年たもとつづけてきた人たちのもつしぜんの共感である。

 日本の思想史における一つの非転向の伝統が、もう一つの非転向の伝統にうけつがれたといってよい。かくれキリシタンは、もう一つの非転向の伝統に自分たちの信仰をうつしうることをとおして、自分たちが本来もっていた感じ方が、自分たちに理解できる形にいいなおされたことを感じた。この事件が、日本の思想史のもっとも深いところで起こった一つの地下水の水脈ともう一つの地下水の水脈との出会いだった。

 かくれキリシタンの信仰と大本教の信仰に「万教同根」と「非転向」という共通点があり、その伝統が交わり、かくれキリスト教から大本教への改宗があったと鶴見は述べている。かくれキリスト教の細い伝統は多くの人びとには知られておらず、深い場所にあったが、確かに現在まで流れ続けるものであった。その伝統が現在の大本教に交わり、細い地下水として未来に流れていく。以下の記事で紹介したが、鶴見はサークルを人々の伝統を受け継ぐ場所であり、過去ー現在ー未来をつなぐ場であると考えていたようである。「地下水」という表現には、細いが確かに人びとの底に流れている思想という意味だけでなく、その思想が過去から現在へ受け継がれ、さらにそれが現在から未来へ託されて「地下水」のように流れていくという意味も含まれているように私には思われる。

よろしければサポートをよろしくお願いいたします。サポートは、研究や調査を進める際に必要な資料、書籍、論文の購入費用にさせていただきます。