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鶴見俊輔『日本の地下水―小さなメディアから』についてのメモ②―鶴見俊輔にとってサークルとは何か?

 以下の記事で鶴見俊輔のサークルに関する考えを紹介したが、鶴見のサークル論を引用しながら詳細に紹介していきたい。鶴見のサークルを論じた文章に「なぜサークルを研究するか?」(『鶴見俊輔集』第9巻、筑摩書房、1991年)に収録。初出は思想の科学研究会編『共同研究 集団』、平凡社、1976年)があるが、この文章の一部を以下に引用して私が重要と考えた部分を強調させておく。

(前略)サークルは優曇華の花のようにふとここにあり、また見えなくなるという存在の形をもつので、それを生け花、切り花として呈示することはむずかしい。まして、それをおし花として標本をつくることはさらにむずかしい。ふつうに日常生活で私たちのもつつきあいの中に、自然にとけこんで姿を没してしまうものだろう。このことを重視するということは、いわば、私たちの研究方法を(理想論として言えば)不可能にするとともに、サークルとはこうあるべきだ、こういうものであってこれ以外はサークルでなないというような、あらかじめ型をつくってそれにあわせて裁断するような記述と論評からわれわれのとらえかたをひきはなす。(後略)

(前略)サークルの形が、メンバーがおたがいに見わけられるくらいの小さい恒常的におたがいに会う集団ということから、サイズが小さいということの他に、たがいによく会うということが出てくる。両方の要素にかかるものとして、つきあいというものが、サークルにとっての根本的な特色となる。(後略)

(前略)おなじ人びとが自発的に何度も会うには、かなり長い時間の経過を必要とする。その時間のすぎかたが、サークルにとっての基本的な要素となる。(中略)ここでの時間の感じは、むしろ村の祭りのように、時間が自然に成熟してくるのを待つという感覚である。(後略)

(前略)活気のあるサークルには、その底に、長い時間をかけてつきあうに足る相手だとおたがいに感じる、共有された直感がある。それは、学校においても、近所づきあいにおいても、職場においても、そういうつきあいの成熟する時間をもち得ない、管理された時間の下におかれた社会でのかわきにこたえるものである。(後略)/このようにたがいに信頼をおくつきあいの中では、サークルの進行途上で、自我のくみかえがおこる。サークルのメンバーは、はじめに主張したのと正反対のことを後に主張したりするものである。そういう立場の変更は、忘れられているので許されるのでなく、認められた一つの慣行となっている。(後略)自分の考えが、他人の考えと合体し、交流し、増殖してゆく感じを体験することができる。こういう場としてのサークルのもつ創造性は、制度化され管理された研究体制ではなかなか見出されない。(後略)

(前略)こうした顔見知りの仲間の協力は、日本の村(とくにその中の最初単位である部落)のつきあいに原型をもつものであろうし、部落がサークルとはちがって、うちわながらその土地に住みついているもの同士のつきあいだということでちがいを認めるとすれば、その部落の仲間から、自発的に計画をたてて参加者をつくるさまざまの講中(伊勢まいりとか、富士登山とか、頼母子講)が、日本のサークルの源流にあたるものだろう。(後略)

(前略)現在の日本のサークルのおおかたが、消費的なサークルであるとしても、それらがメンバーの平等性と助けあいをもとにうごいている以上、その底にひめられたものとして、生活のあらゆる局面にさいしての新しい目標へのねがいがある。砂川や三里塚の農民から遠くはなれているとは言え、そこには、自然との新しい関係、生産の形の根本からのつくるかえの理想と底にもつものと言える。(後略)

まとめると、上述した鶴見のサークルに対する考え方は以下のようになるだろう。

①メンバーの関係性の水平性
②信頼できる人々の集まり
③交流を通じた自分の考えや価値観の変化を起こす創造的な場
④日本の村の人間関係の伝統への接続
⑤底にあるユートピア的な考え
⑥近代的な時間間隔への抵抗

この中で④、⑤は特徴的なものであると思われる。鶴見はサークルを現在だけでなく、過去(人々(庶民)の伝統。ここでの伝統は「国家」のような大文字の伝統ではない)と未来(将来的に理想を実現する期待)という時間の中に位置づけているが、サークルを歴史的な厚みをもった共同体として捉えていたといえるだろう。

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