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コーヒーにまつわる本 Vol.06

リンダ・チヴィテッロ(2019) 食と人の歴史大全 柊風舎

季節が変わったのがはっきりわかります。こんな時は体調も崩しやすいです。ゆっくり穏やかにコーヒーでも飲んで過ごすに限ります。挽いたコーヒー豆に人差し指をおき、こんな感じにおまじないをかけて(元ネタはいずれご紹介します)飲み干せば、みるみるうちに癒される、かな。

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さて、今回はコーヒーにまつわる本。紹介するのは、

リンダ・チヴィテッロ(2019) 食と人の歴史大全 柊風舎

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食が人間の歴史にどう関わってきたのかを記した本著の中にコーヒーの記述が何箇所かあったのでまとめます。

<イスラム教徒の飲み物>
・「発酵飲料を飲むことも、酩酊状態で祈らないようにするために禁じられた」。

・ムハンマドは酒の後の暴力も好まなかった。ワインは、天国では乱用されることがないので褒美として与えられるが、地上では禁じられていた。しかしイスラム帝国では宗教によって歓迎された新しい飲み物が人気を博す。コーヒーである。

・人々が実を焙煎して粉にし、湯を注いで、われわれが知っているコーヒーという飲み物にしたのは、16世紀になってからである。

・コーヒーは祈りを捧げる間に眠くならないため、イスラム教の修道士に受け入れられた。

・コーヒーは最初は儀式の場で儀式的にもちいられる特別な飲み物だった。裕福な人々は、屋敷にコーヒーを飲むための部屋を作る。下層階級の人々はコーヒーハウスに通った。

・ほぼ1900年まで、豆はすべてアラビカ種だった。

<コーヒーの歴史>
  8世紀→エチオピアの踊るヤギ伝説
900年代→アラビアの医師ラーズィーの著作に初めてコーヒーが登場
1500年→イスラム教の巡礼者がコーヒーをペルシア、エジプト、トルコ、北アフリカに広める
1511年→人々が集まって自分を笑いものにするので、コーランがコーヒーの飲用を禁じているといって、メッカの長官がコーヒーハウスを閉鎖
1536年→コーヒーはイエメンのモカ市から輸出され、「モカ」と呼ばれる
1600年代→イスラム教徒によってこっそり持ち込まれた種で、インドがコーヒーの栽培を始める
1650-1690年→イングランド、ドイツ、ヴェネツィア、パリ、ウィーンでコーヒーハウスが開店(イングランドでは一時的に閉鎖)
1696年→パリの医師がコーヒーの浣腸剤を処方
1699年→オランダ人がコーヒーノキをインドネシアのジャワ島に移植。コーヒーは「ジャワ」として知られるようになる
1710年→フランス人がコーヒーの浸出法を発明
1723年→フランス人がカリブ海のマルティニーク島で、後にはハイチでもコーヒーの栽培を始める
1727年→コーヒーがこっそりブラジルに持ち込まれる
1773年→ボストン茶会事件→政治的な抗議として、アメリカ人が茶の飲用を禁止
1788年→サント・ドミンゴが世界のコーヒーの半分を栽培
1820年→緑色のコーヒー豆からカフェイン(C8H10N4O2)を単離
1832年→アメリカ軍の公式飲料としてコーヒーがラム酒に取って代わる
1833年→アメリカのニューヨーク市に最初の商業用コーヒー焙煎器が輸入される
1850年→ジム・フォルジャーが焙煎済みのコーヒーをカリフォルニアの金鉱労働者に売る
1869年→さび病(Hemileia vastatrix)によって、東インド諸島のコーヒー産業が壊滅する。代わりになる抵抗力のあるロブスタ種(robusta)が中央アフリカで発見される
1878年→アメリカ初のコーヒー(と茶とスパイス)の業界誌「ザ・スパイス・ミル」が発行される
1787-1880年→ブラジル、サンパウロのコーヒーが世界市場にあふれ、価格が暴落し市場は崩壊する
1881年→コーヒーの価格を管理するためにニューヨークにコーヒー取引所が設立される
1900年には→アメリカ人が世界のコーヒーの半分を飲む
1900年→ヒルス・ブロスがコーヒーの真空缶詰を発明
第二次世界大戦→アメリカのGI・ジョー(訳注:男性兵士の俗称)がコーヒーを大量に飲んだので、コーヒーは「ジョーの一杯」として知られるようになる
1966年→アルフレッド・ピートが、カリフォルニアのバークレーにコーヒー専門店を開店
1971年→スターバックスがシアトルに開店し、焙煎したてのコーヒーを販売

<コーヒーの木を愛したフランス人>
・コーヒーが紹介されて起こった2つの反応→1.飲んだ人々の圧倒的な熱狂、2.政府による抑圧。

・フランス政府は国民的な飲料としてワインに取って代わられるのを恐れて、コーヒーを禁止しようとする。ドイツ人はビールに代わることを恐れた。コーヒーは社会的政治的習慣を変える。初めて人々はアルコールなしに集まる公共の場と理由を得たのである。コーヒーハウスでの議論を通して広まった考えが、フランス革命で大きな役割を果たした。

・1683年→トルコはウィーンを攻囲し、敗北。小さな丸い奇妙な豆の入った袋五百個を残して引き払っていった。中東にいたことのある兵士が、この豆を救った。そしてその豆でウィーンに最初のコーヒーハウスを開いた。

・1689年→プロコぺという名前のイタリア人が、パリに最初のコーヒーハウスを開店する。9世紀にはコーヒーは挽いて動物の脂肪とともにペーストにして食べられていた。

・1710年→フランス人は豆を挽いて布袋に入れ、上から熱湯を注ぐ抽出法を発明した。そしてミルクを加えてカフェオレも作る。
粉に挽いたコーヒーに袋を使わないと、カップの底にかすが溜まるので、それを読む占い師が増えた。

・1723年→ガブリエル・マシュー・ド・クリューは、コーヒーがカリブ海地方で良く育つだろうと考えた。大西洋横断にコーヒーの木を一本携えた。この木はカリブ海地方で良く育った。今日世界で栽培されているコーヒーの多くのルーツはたぶんこの一本の木に辿り着く。

<ギリシア系アメリカ人の料理>
アメリカにおけるギリシア人移民の男性は故郷にいた時とおなじように、夜になると上等の服を着てコーヒーハウスにでかけた。コーヒーハウスは銀行でもあり、郵便局でもあった。蓄えをコーヒーハウスの主人(kafejis)に預けたり、手紙をそこへ送らせて主人に保管してもらったりした。そして、彼らはコーヒーハウスで新しいことも始めた。アメリカの法律の仕組みについて学び、アメリカ市民になるための試験勉強に精を出した。初期の頃の移民たちにとってコーヒーハウスが何よりも役に立った。

<感想>ギリシア系アメリカ人へのコーヒーハウスが果たした役割の下りを読んだ時、ハッとしたのです。これって現代におけるコンビニじゃないかと。コンビニにはATMがあって、コンビニ配達もある。イートインスペースもできてきた。歴史から学ぶことが本当にいっぱいあるのだと思います。

そこから、僕の頭の中ではコンビニのことがグルグル。

もしかしたら、これからコンビニは今より巨大化して(特に地方においては)、イートインスペースがもっとコーヒーハウス的なサロンの場になったりするかもしれない。コンビニが書店やカフェの役割をもっと担うかもしれない。学びの場として塾などとコラボするかもしれない。今までよりも長時間滞在型を目指すかもしれない。

もっと不動産業と手を組んで、コンビニ2階建みたいになって(マンションだと費用かかりすぎる)、一部は居住スペースになるかもしれない。そして駐車場にはシェアリングカー。コンビニ乗り捨て可能にもっとするかもしれない。

と、書いたところで検索。おんなじアイディアがあるのかなと。やっぱり。ありますあります(笑)。僕のごときが考えることはもうすでに先人は手を打っている。となって、これ以上の詮索はやめにしました(笑)。



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