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片づけはWHYで仕留める

WHY10割

衣食住を整える上で10割といっても過言ではないと思っているのが、まずはとにもかくにも、自分の〝WHY〟を明確にすることにあります。

それを中心に据えることで、迷いが生じてもブレなくなります。

衣食住において住む家や使うモノ、自分の細胞を構成する要素となる食材たちをヒトに見立て、〝WHY〟に共感するメンバーで構成するイメージです。

わたしはこれまで、家にあふれるモノや冷蔵庫の食材は使役するもの、使わないものは押入れの奥に追いやり、空いているスペースは無駄とばかりに、テトリスのように隙間なくモノを収納することが整えることだと考えていました。

冷蔵庫や冷凍庫のスペースは無駄なくぎゅうぎゅうに食材をこれでもかと詰め込む。

買い物の時の口ぐせは、

「冷蔵庫や冷凍庫、まだ入るよね?だったら買っておこうか」

でした。

籠城でも決め込むかのごとくの量の食材が冷蔵庫や冷凍庫には満たされていました。

冷蔵庫や冷凍庫に食材がたくさん入っていることが、豊かさの証とでも考えていたのです。

そして、壊れたモノや使わないモノ、中途半端に使い切れなかった食材は容赦なくゴミとして捨てさっていました。

まさに、奴隷かの如くにモノや食材を扱っていた感は否めません。

育休を利用して衣食住を整える中で、そういったマインドに少しずつ、少しずつですが、変化の兆しが訪れてきているのを実感しています。

そうしたマインド変容が起きかけているタイミングで読んだ本が

前回のnoteでも引用した書籍『人を動かす人の「質問力」』(ジョン・C・マクスウェル/三笠書房)です。

この本を読んでいた時に、わたしは人生で多くの時間を過ごす家や毎日着る服、いつか着るかもと捨てきれない服、日頃使うモノ、いつからか使わなくなったモノ、日々カラダの糧となる食材たちをあまりにも蔑ろにしているのではないかと考えるようになりました。

これまでの変遷を簡単に説明していくと、衣食住を整える中で、モノの絶対数を減らし、定位置を決めていき、冷蔵庫や冷凍庫の中身も調味料などは除いて、できるだけ過ぎるような量を買わず、1週間程度で使い切れる量に留めるようにシフトしていっています。

服は趣味の山登りやスキーウェア、トレーニングウェア類、寝衣類や下着以外は30着程度にまで減らし、できるだけ畳まず、ハンガーにかけて見える化するようにし、衣替えはしないようにすむ仕組みも構築しつつあります。

それにより、朝起きてから数秒程度で迷わずに選択できるようになりました。

自炊する際も使う食材の傾向から月毎にどの食材を使うを決めて、品数を制限することで、考える労力が減り、脳疲労を軽減してストレスなく料理できるようになってきています。

こうして、少しずつ整えていく中で、それでも、どうしても明らかにもう出番がないであろうに、それでも手放せないモノは出てくるものです。

わたしの場合、それは10万円以上した革ジャンとデザインで一目惚れした傘、履いていない長靴、本類などといったところです。

本類に関していえば、断裁機とスキャナーをレンタルすることにより、データ化できたことで、手元に残すものとしては50冊程度にまで絞ることが出来ました。

その残っている本たちは何度もタイミングによって読み返す精鋭ぞろいとなりましたので、本に関しては、最近解決に至りました。

残りのモノたちは「えいやっと」は、なかなか踏ん切りがつかず、これまでも残っていました。

そんな折に行動経済学で学び知った、〝損失回避〟、〝保有効果〟、〝現状維持バイアス〟といったヒトのデフォルトにある非合理的な認知のクセを理解することで、理屈で捨て去ることが出来ると思ってはみたものの、その知識を駆使したところで、最後の一押しとはならないのでした。

「わかってはいるよ。けどね…」

身をもって、結局、ヒトは理屈よりも感情の生き物なのだなと思い知りました。

行動経済学でヒトの不合理さを理解したとしても、その枠組みに当てはめて、自分の行動をすんなりとコントロールするなんてことはなかなかできないのです。

あなたのために何ができますか?

そんな折に出会った前出の書籍の中で述べられている思考法を活用してみたところ、スムーズに〝さよなら〟を告げることができました。

それは自分にとっては、〝パラダイムシフト〟となるものでした。

これまでは、自分主体で考えており、自分がそのモノを使うかどうか、手放した際に苦しむ自分、損する自分ばかりに考えがハックされていました。

しかし、自分が会社の経営者やリーダーであると仮定し、自分の〝WHY〟を明確にするなかで、リーダーシップを発揮し、モノの能力を最大限に活かして、共に目標を達成するためにひとつのチームとなる。

こうした発想でもって、捨てられないモノを前にし、

「わたしはあなた(モノ)のために何ができるだろうか?」

「あなた(モノ)のポテンシャルを最大限に発揮させられているだろうか?」

「使われないままにここにいてもらうことは、他のモノたちにも、そのモノにとってもいい影響を及ぼさないのではないだろうか?」

「手放すことで、そのモノが本来の力を活躍できるような光輝ける場所に行くことか可能なのではないか?」

「ここにいても、わたしたちのWHYに沿う活躍ができないのであれば、そのモノはここにいても、ただただ苦しんでいるのではないか?」

このように、モノ主体で考えてみると、明らかにここにいるよりも、捨てたり、誰かに譲ったりしたほうがいいという気持ちになってくるから不思議でした。

そうして、これまでの執着がなくなり、自分がそのモノから何かをしてもらうことを期待するのではなく、そのモノのために出来ることをしたいというマインドに切り替わり、結果として、これまでが嘘のように、感謝して、さよならを告げることができるようになりました。

片づけの最後の締めはナラティブに

まとめです。

行動経済学や心理学の知識を駆使して、衣食住を整えることはある程度は可能であると思います。

それはエビデンスベースの側面に当たります。
これは主に前頭葉などがある大脳新皮質が強い領域になります。

しかし、最終的な判断はやはり、感情になってくると思います。

それは自分のコアにある〝WHY〟であり、それは大脳新皮質ではなく、大脳辺縁系が得意とする所です。

わたしはここがナラティブを生んでいると考えています。

ヒトは最終的にはエビデンスよりもナラティブで物事を判断するのではないかと、わたしは信じています。

かつて、心理学者のダイエル・カーネマンは、脳をシステム1とシステム2に分けて話を展開していました。

ざっくりいうと、システム1は直感による思考、システム2は論理的な思考になります。

〝WHY〟に基づくナラティブとは、このシステム1にあたります。

衣食住を整えることは、エビデンスベースの知識を駆使しつつも、最終的には、自分の〝WHY〟、強い感情、システム1から出てくるナラティブとの対話になってきます。

わたしはこれまで、ライフハック系の本や片づけ系の本を読んできた中で、さまざまな手法をトライ&エラーしてきましたが、これが衣食住を整える上での最終局面において、自分に合う手法なのです。

万人に合う手法とは存在しないと思うので、最後は他人のやり方を自分でやってみて、創意工夫を重ねながら、自分に合うウェルネスな方法を模索していくのが、自分にとって目先の効果ではなく、永続的なものとしての財産となるのだと思います。



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