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「バナナマンさんが好きでさ」「え、さん付け?」現象

男性お笑いコンビ、バナナマンのお二方が好きなので、タイトルはバナナマンを例として挙げさせていただいた。

タイトルは「バナナマンさん」と書いているが、前文では「バナナマン」と書いている。バナナマンのお二方が好きなのであって、「バナナマンさん」なんて人はそもそも存在しない。

ただ、日常会話でいちいち、「バナナマンのお二方が好き」なんて言っていたら、会話している相手は「バナナマンに敬意を持っていることは伝わっているから、バナナマンさんと呼んでもいいのでは」と思うだろうから、以下の本文と日常会話では、バナナマンのお二方を「バナナマンさん」と呼ばせていただく。

あくまでバナナマンさんは例であって、芸能人なら誰であっても構わない。私が言いたいのは、知人や友人、家族と、芸能人の話をする際に、その芸能人に「さん」を付けるべきかどうかという話だ。

高校生であれば、生徒間の会話で、教師がいない場所で、教師を「先生」と呼ばずに、苗字やあだ名で呼ぶ場面を見たこともあるだろう。

バナナマンさんが好きでさ」なんて言ったら、「え、なんで、さん付け?」と言われることがある。「芸能界に入るつもりなの?」と勘違いされてしまいそうになるが、そういうわけではない。

だって、人生の先輩でしょ?

そういうことだ。でも、それは相手もわかっている。では、「さん」を付けていることに、相手が違和感を覚えるのはなぜだろう。

それは、会話している相手との間に、突然、距離ができてしまうからだと思う。話のトピックになっている人物の身近さが、お互いに異なっていることをその場で認識したからだと思う。ほんのわずかなズレだと思う。

バラエティ番組でドッキリに仕掛けられた芸能人を、会話している相手が「さん」付けしていたら、「ドッキリに仕掛けられていた芸能人を見て、この人は本当に面白いと思ったのだろうか。ドッキリに仕掛けられたその芸能人は、後で文句を言っていたから、この人はそのノリが分からず、本気で立腹しているのではないだろうか」と余計な心配までさせてしまう恐れもある。

雑談ぐらいなら「さん」を付けなくてもいいかもしれない。

余談だが、俳優の新田真剣佑さんの話をする際に、「真剣佑(まっけんゆう)」と、下の名前で呼んでいる会話をよく耳にするが、「さん」を付けて呼ぶと、「まっ、けん、ゆう、さん」と聞こえて、まるで四字熟語のように聞こえる。今では「真剣佑」という名前にそこまで驚かなくなってしまったが、彼の名前を初めて聞いた人は、やはり驚き、彼はその度に「またこれか」とうんざりしていそうである。いつかお会いしたい。

2021年まで、あと269日。

いつも最後まで読んでいただきありがとうございます。また明日お会いしましょう。

雑費として使わさせていただきます。何に使ったかを記事のネタにするかもしれません。