姉の結婚式でブーケトスを受け取った23歳男性、結婚を意識する。
先日姉の結婚式でブーケトスがあり、あろうことか弟の僕がブーケを受け取ってしまった。
「ブーケトスは女性が参加するものだ!」とか
「親族がでしゃばるな!」とか
ごもっともな正論に袋叩きにされそうだが、
寸分違わず一直線にブーケが向かってきたのだからしょうがない。
避けて床に無惨に叩きつけられるブーケを眺めるよりは、
よっぽど若い男が元気よくキャッチした方がマシであるという判断をした。
さて、せっかくブーケを受け取ったのだから、一度真剣に結婚について考えてみようと思った。
僕は彼女と結婚したい。
なぜかと問われると難しいが、おそらく結婚に対して漠然とした憧れがあるのだろう。
「死ぬまでに一度はオーロラを見たい」と思う気持ちと似たような感情だと思う。
でもそうは言っても相手は誰でもいいわけではなく、「一緒に歳をとって一緒に縁側でお茶を飲みたい」と思う相手と結婚したい。
そう思う相手が彼女なのだ。
彼女との将来を勝手に想像するとワクワクして仕方がないが、
1つだけ僕を悩ませている問題がある。
そう、”子どもを産む/産まない問題”だ。
以前までは、圧倒的に子どもが欲しい派であった。
子どもが欲しいと思うのは動物としての本能だと思うから、理由を説明するのは変な気がするが、
あえて言葉にするなら「愛する人との間に目に見える/肌で感じられる愛の結晶を生み出したい」「自分の遺伝子が自分の代で消え失せるのは怖い」などになるだろうか。
最近では「子どもを産むのは親のエゴだ」という主張もある。
が、少なくとも高校卒業まで子どもを健康に育てられるのなら親のエゴでいい、と僕は思っている。
そんなわけで僕は子どもが欲しいと思っていたのだが、最近その考えが揺らぎ始めている。
確かに子どもは欲しい。彼女と結婚して子どもを生み育てていく人生は、この上なく豊かなものだろうと思う。
その一方で、子どもを産まずに彼女と僕との2人の人生に時間もお金もフルベットし、2人の人生を最大限に楽しむという選択肢もあるのではないかと思い始めているのだ。
大学時代に好きだった「少子化の経済分析」という講義では、
子どもを親にとっての投資対象だと捉え、
親は老後の介護や仕送りという見返りを期待して、時間とお金を子どもに投資するのだという考え方を紹介していた。
この考え方に則ると、お金がかかる割に見返りが期待できるかも分からない現代では、子どもはもはや魅力的な投資対象ではないのかもしれない。
この考え方自体はいかにも古典的な経済学的な、人としての温かみを欠いたものだとは思うが、
子育て費用の増加や将来不安、そして事実進行している少子化を前にすると、あながち否定できない考え方ではないだろうか。
子どもを産むのか産まないのか。
結婚するのかしないのか。
姉の結婚式でブーケをキャッチする弟は非常識なのか。
彼女とじっくり話し合って考えていきたい。
台所の片隅でドライフラワーと化したブーケを見て、そう思う夜なのだった。
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