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【イベントレポート】「第2回なぜ青梅でアートなのか 」(ゲスト:金井隆之)

こんにちは。
合同会社ARTの地産地消は、「アートの力でクリエイティブで豊かな市民生活を実現する」をビジョンに掲げ、地域住民の皆様と地域で活動するアーティストの交流を積極的に推進していきます。

その一環として、「なぜ青梅でアートなのか?」というテーマのもと地域で活動するさまざまなアーティストと代表の井上がお話しするトークイベントを定期的に開催しています。

今回は、5月25日(土)に開催されたトークイベントの様子をまとめました。
当日参加できなかった方や今後参加を希望している方に、イベントの様子が少しでも伝われば幸いです。

会場に仕掛けられた「音」について

当日は、音楽家の金井さんが会場の入り口付近や、トークをしている我々のテーブルに音を取得する機器をセッティングしており、会場内では独特のざわめきや声が再生されるようになっていた。

井上正行:本日はどうぞよろしくお願いします。まず初めに、気になったことがあります。会場内で色々セッティングしてるじゃないですか。これはなんですか?

金井隆之:つけるとちょっと色々楽しいよっていうことがあるだけなんですけど。あんまり気にしなくていいですよ。

井上:いやいやいや(笑)。15秒か7秒くらい音が遅れて聞こえますよね。
どんな仕組みになっているんですか?

金井:7秒遅れて聞こえて来ます。何をやってるかというと、こういうサウンドインスタレーションの作品もたまに作ってます。今日はトークの場ではありますが、試しにやってみました。
通常、マイクを吊るすなどして、お話している声や自分の声があちこちから聞こえてくるなとか、そういうインスタレーションをたまにやっているんですよ。友達がいなくても、1人でも、なんかいい雰囲気で聞けますよみたいな(笑)。
作家の赤坂真里さんと朗読と音楽ライブをやった時はこのような導入にしました。

インスタレーションでもあるんだけど、自分の音楽の演奏の技術の1つでもあるというか。音楽作ったり作品作ったりする時って、これを知ってほしい、聞かせたい、見せたいっていう欲求がある時もあるけれど可能な限り自分の恣意的なものを排除してったらどうなるんだろうっていう発想も同時にあるんですね。
数学的な原理によって構築物を作るみたいな。

井上:ちょっと難しい話ですね・・・。

金井:僕は本業としては一応声楽家なので、言葉を歌う。
言葉を歌うんですけれど、じゃあ一体その言葉ってなんだ。その主体とは誰だとか考えた時に、全くフラットなものってあるんだろうか、と考えちゃうわけですよ。極端なんですけど。

井上:夜眠れなくなる話ですね。

金井:そうそう。そうすると、言葉を発する生身の主体と真逆の方向にあるのは、物理的、幾何学、数学的な記号的に構築できることじゃないかなと思って、実践しています。このようにすると、自分の声が繰り返されるじゃないですか。
この生身性がすごいドキッとするんですよ。

井上:それは面白いですね。つまり7秒前の自分の存在を背後に感じるわけですよね。
7秒前の自分でも、1秒前にしても0.何秒前にしても違う存在なのかもしれない、みたいな。

金井: たまに子どもたちが集まるところで、同じようなことをやるんですよ。すると気付く子は「ここでこの音を鳴らしたら後から聴こえる」ってなるんです。
それに気づかないで後から来たお母さんが、「ちょっとあんた、もうやめなさい」って言っている。その子はやめているのに別の場所から音がして、「あれ?」ってお母さんになってるとか。そういういたずらをするのが好きなんです(笑)。

井上:現代美術の作品でも、似たようなものがありますね。
密室に入っていって、モニターがある。見てみると部屋の中が映っているのですが、最初は誰も映っていない。すると遅れて、自分の姿が現れる。
それで入った時には自分の姿がないのに、ずっと見ていると、誰かが入ってきたように錯覚する。もちろん何秒後かに自分だって気づくんですけど。

モニターの中の自分と、数秒前の自分と、そのどこまでが私の連続した私自身の姿なのかっていうところを考えさせるような・・・。

金井:自分の当たり前だと思っていた土壌が揺さぶられると、価値観がぐらつくんですよね。
これまで自分が思っていたことは、実は「思い込み」や「固定観念」じゃないのかと考えられるようになると思うんですよ。

それこそ前回佐塚さんが言っていたように、美術なり芸術を体験した時の感情とか感覚というのは、必ずしも綺麗なものに回収されるのではなくて、自分の存在の土台が揺るがされたような、衝撃的な体験も含まれるんですよ。それが社会における芸術の役割でもあると思う。

違和感に気づくということ

井上:佐塚さんが言ったような、単に「アートって心地いいものだけじゃないじゃん」というのはまさにその通りで、綺麗とか綺麗じゃないとかって判断する前に、出くわした時の「なんだこれ」と思う驚きとか違和感が根底にあると思うんですよ。

そこが1番重要だと思っています。それこそ、岡本太郎がなんだこれはって言ったみたいな。

あっけに取られる、驚く、違和感に気づくっていうところからアートはスタートしていると思います。
それにどう気づくか、あるいはどういうアプローチで気づかせようとするかという行為がアーティストの役割だと思うんですよね。

金井:作り手は日常的にいろんな違和感や発見を楽しんでると思います。それを自分の中に蓄積している。

その結果作品として、発表して誰かと共有するとなった時に、それは役に立つのかどうかという話になることがありますよね。
それって、あくまでも現時点における利便性の話しかしていなくて、ポジションがあるかないか話にすぎないと思うんです。

作品を生み出して提示して共有する人は、今この瞬間、ここにないものを提示しているんです。

井上:先取りしているような。

金井:そうですね。だから、生み出された作品は、まだ名前がない衝撃として提示される。
将来、名前が与えられるかもしれませんが、今ここに存在してないものであっても、 人は作ることができると思うんですよ。

心地よいかどうかもわからない、わからないものとしてしか受け取ることができない。だけど、人間はそういうことを作り出していく生き物じゃないですか。
だから、その活動に現代の社会が名前を与えるとしたら、 芸術になると僕は認識している。

井上:そうですね。ちょっと話が飛躍するかもしれないですけど、 例えば芸術家の人たちが政治的な発言をすると、「アーティストは芸術だけやってりゃいいんだ」みたいな、批判があるじゃないですか。

でもそれって、違和感に気づくとか、なんだろうこれって思う純粋なセンサーが発動しているということだと思うんです。だから政治も含めて、様々な物事を取り込んでアウトプットしていいと思うんですよね。
すると今度はどうやって違和感を受け止めるか、受け入れるかという話になってくる。

金井:それは作家本人がですか?

井上:あらゆる人たちに当てはまるかもしれない。違和感に気付くってこと自体が、なんかちょっと矛盾してて。 違和感は先にある。どっちが先かってことじゃないですか。これから違和感来るぞと思って気づくわけじゃないんですけど、でもほぼ同時なんですよね。 なんだこれっていう時にもう気づいてる。
作家も鑑賞者も日常的にある違和感をどうやって自分の中に受け止めることができるのか、ということがアートを受け入れていくことなのかもしれない。

遊びのフィールド、青梅

金井:自分の感覚としては、それは遊びっていう感じですね。違和感という言い方は人に説明する時には便利だからよく言うんですけど、この言葉を肯定するには、前提としてなんか決まったフォーマットや一般化されたこれ、という基準をどこかに感じるんですよ。
だから、自分の中の基準や思い込みを外していく訓練は意識的にしています。それができれば、もう遊び放題のフィールドしかない、と思えるので。

井上:具体的にどのようにやるんですか?

金井:僕の場合は身体にアプローチします。いきなり体動かしちゃうとか、自分の慣れない空間に行ってみるとか。その延長で青梅に来ました。

つまり、どういう刺激を日常的に自分は受けたいかとか、 あるいは何を自分の基準としたいか、ということを見つけるために、自分の生活の場を動かしたいと思ったんですよ。
例えば青梅は都会のようにコンクリートでまっすぐに仕切られたものばっかりじゃないから当然、変化に対応できる余裕がないとこの空間を楽しめない。自分の基準を固定化できなくなるじゃないですか。それが楽しいと思うんです。

井上:でも、遊べるって考えるのも、遊べない場所があったからということですよね。
遊べないっていうのは、私の言い方だと違和感があったということになります。こっちの方は遊べそうだから、ということですよね。

金井:そうそう。

井上:もしかすると違和感がどうというよりも、「差異」がポイントなのかもしれませんね。AじゃなくてB、BじゃなくてAという。
差異の話になると、いいとか悪いとかという何かを判断する話にもなってきますね。

金井:どう捉えて展開するかによると思います。さっきのインスタレーションにしても、 身体の実感をより濃くしたいからやっているのかもしれない。それを考えたり感じたりするのに二つの軸があると考えています。一つは身体だし、もう一つは身体がまだ感じていない「きっとあるだろう」「生み出せるだろう」という考えや理念、予感ですね。
だから青梅に来てからの生活は、青梅に来る前はもちろんわからないんだけれど、 きっとこうじゃないかっていう、なんか願望みたいなものがあるわけ で、それが必ず自分の体を変化させると確信していました。

井上:もう少し具体的に教えてもらえますか。

金井:例えば、 ここにいる人たちと音楽を共有しようと思った時に、本来ならばこの部屋のスケール感で空間を捉えるのでしょうけれど、「もしかしてこれは今見えてないけど、あっちの山の方まで届くんじゃないか」と思えてしまうんです。そうすると、部屋の中で出す音楽が自分が想定するスケール感に応じて変わってくるんですよ。

井上:それは使っている言葉にも影響が現れますか。

金井:そうですね。これまでの自分が日常的に目にして意識している対象のスケール感がずっと離れたところまで広がっている感覚はあります。

今まで作品を作る時、自分から出てくる言葉はせいぜい半径1、2メートルぐらいとか、長くて5メートルぐらいの距離感で対象を捉えてきたと思うんですよ。でもそれが、青梅にきてから「あの森」とか「あの雲」となってきた。

井上:確かに青梅で暮らしていると「あそこの山」と言った時に「大岳山」とか「御嶽山」とかを指しますね。市街地から約20キロくらい離れているのに。

金井:実際に夕暮れ時になると、山のラインがずっと遠くに見えて、多分あの辺まで青梅なのかな、とかあそこに住んでる人がいて、その人と多分知り合いなんだろうなとか思いはじめるんですよ。

だから自分が認識する空間とかコミュニティーの感じ方や見え方が変わったんですよね。それはすごい大きい。

自身のルーツについて

金井:ホールで演奏する時、作品や個別の音楽作品に付随する元の文脈は切り離されがちです。美術でいうところのホワイトキューブと作品の関係性に近いですね。

井上:舞台芸術でいうところのブラックボックスですね。

金井:ホールではどの時代のどのような用途の音楽作品であっても、陳列できちゃうんですよ。 それをなんかちょっといい格好して、大人しく聴いてなきゃいけないとなる。僕にとってはそれがダメで。

井上:でも専門はクラシックですよね。そういう感覚にいつ気づいたんですか?

金井:割とクラシック始める時から、ああ、やだなって言ってましたよ(笑)。

井上:ちょっと深掘りしてもいいですか。なんで嫌だと思いながらやっていたんですか。

金井:ちょっと音楽歴の話しますと、僕はエレキギターから入ったんですよ。
例えば聞こえてくる音色によって、明るくて朗らかな気がしたり、悲しい気分になったりしますよね。なんでこう感じるのかなと音大に入る前に思っていたんです。音の仕組みを知りたかった。
それで高校2年生の時に、音楽の先生にそそのかされて音楽をやることになったんです。歌だったら音楽の専門家にとしてやれるらしいので。だから、僕のようなピアノを弾いたことない、音楽の習い事とかしたことない人間は、音楽の専門家としてやっていくためには歌をやるしかなかったんですよ。元々は物理をやりたかったんですけどね。

音大入学直後は20世紀の音楽とかやってたんですよ。フランスのメシアンとか、イギリスのブリテンとか。


でもそれと同時に、ピアノの音の強い感じがすっごいダメで、うるさいって思った。ぶん殴られてる感じがして、 なんかダメだったんですよ。それでチェンバロというピアノの前の鍵盤楽器の音を聴いたら、ギターに近くていいと思った。一般的にクラシックが1番メインに扱う19世紀の音楽にも、好きな部分がたくさんあるのだけれど、自分はそれをやっていきたいとは思わなかった。

でも、18世紀、17世紀の音楽を遡ると自分が専門にしている古楽器が現れてきて、この楽器の持つスケール感で演奏してもいいんだって思えるようになった。
だから、僕が専門としている音楽はホールみたいな作家性のためのフラットな空間じゃなくて山とか川とかでも面白いんじゃないかと思っています。

アンサンブル・フェスティーノの「どこでもマドリガル」@福島家住宅


井上:ところで、5月18日(土)に青梅の福島家住宅(東京都指定有形文化財)でコンサートを行いましたよね。
青梅の人の反応と、都会から来てた人の反応にどういう違いがあったのか気になっているんです。

金井:都心から来た人は鳥の声にびっくりしていました。鳥の声すごかったねという感動があったようですね。鳥たちの方が音量でかいんじゃないかみたいな。

井上:確かに当日はそうでしたね。

金井:曲によって鳴き方が違うことにも気づいたんですよ。

井上:空気読んでましたよね(笑)。

金井:例えば、ファンファーレ的に歌う曲の中に、細かい音で歌うとこがあったんですよ。 そのリズムに合わせて、「ちょ、ちょ、ちょ、ちょちょ」と鳴いている時があった。
やっぱり鳥も、音を耳で聞いて反応しているわけですよね。きっと他の鳥と見分けをつけているのかもしれない。「なんかよくわかんない秩序性で鳴いてる奴らがいるな」思ったのかもしれない。

井上:青梅の人たちや演奏した方々の反応はどうでしたか。

金井:青梅の人々は、自分達が住んでいる場所でこのような音楽が聞けるっていう発想したことがなかったと言っていました。
演奏する音楽によって、どこでどう演奏するかというアプローチは変わりますが、ホールで演奏することよりも僕はこっちの音楽体験の方が好きでした。僕らは、リハの時から「ここはやっててとっても楽しいね」っていう感じでしたね。

質疑応答


参加者A:私は、福島家住宅も津雲邸も大好きなんです。なぜ津雲邸を演奏場所に選んだのでしょうか。

金井:津雲邸はとにかく、空間が素晴らしいなと思っています。板張りなので響きがいいんですよね。日本の建築には空間ありますけど、畳だとそこまでは響かない。西洋音楽を響かせるには、やっぱり板張りの方が良いんです。

参加者B:これまでのお話を聞いて「なぜ青梅でアートなのか」というタイトルにピッタリだと思いました。

井上:ありがとうございます!

参加者C:これまでのお話を聞いていて、私にも思い当たるところがありました。私は、30年以上青梅から新宿まで仕事に出掛けていました。都心に出かけると青梅にいる時自分の顔が変わっていることに気づいたんです。気合が入っていたからなのかもしれない。

金井:先日、青梅を出て中央線沿いの町まで出かけたんですが、青梅に戻ってくると匂いが違うということに気づきます。場所を移動することで体が変化することを日々感じていますね。

参加者C:かつて、自然の中には直線がないんだよ、というお話を聞いたことがあります。都会に行くと直線ばかりだから緊張していたのかもしれない。

金井:青梅にくると直線がなかなか見つからないから、境界線が曖昧になる感覚がありますね

井上:そろそろお時間です。本日はどうもありがとうございました!

参加者の声

「会場が駅チカですごく行きやすいところでいいなと思いました。」

「青梅市に移り住んで活動された背景を伺い、改めて自分の住んでる青梅がとても素晴らしいんだと感じました。プロの方の本音を聞ける機会は日常では無いので、貴重な時間だと思いました。」

「金井さんは、次ににまた聞きたくなる話し方で良かったです。」

次回は6月8日(土)に開催します。奮ってご参加くださいませ!

お知らせ

アトリエ利用者募集中!


2024年5月10日現在、「THE ATELIER」の利用者を募集しています。2024年の8月1日以降から利用可能です。見学するだけでもとても嬉しいです!

必ず募集要項をお読みの上、ご応募ください。

イベント開催!

6月8日、22日には映像プロデューサーの矢吹孝之氏、アーティスト酢平☆氏とのトークイベントも開催します。
THE ATELIERで開催しますので、見学も兼ねてぜひいらしてください!

応募はこちらから

詳細

■第3回ゲスト:矢吹孝之氏
日付:2024年6月8日(土)

■第4回ゲスト:酢平☆氏
日付:2024年6月22日(土)

いずれも
時間:14:00開始 15:00終了予定
場所:THE ATLIER(青梅市本町130−1ダイアパレスステーションプラザ青梅204)
定員:15名
参加費:1000円(資料代)当日お支払い
主催:合同会社ARTの地産地消
https://lplcofart.wixsite.com/art-chisanchisyo
lplc.of.art@gmail.com
0428-84-0678(喫茶ここから内10:00-18:30/担当:風間真知子)

おわりに

イベントのご案内はもちろん、その他会社の詳しい内容は直接私たちにご連絡いただけると幸いです。
会社の拠点となりますTHE ATELIERには、同じフロア内に喫茶店を併設しております。基本的には定休日なしで営業しておりますので、お気軽にご来店いただき、お話出来たら嬉しいです。

https://ome-cocokara.com/


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