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自分で自分を誤魔化さない

親戚にお世話になったご高齢の方がいる。
少し遠い関係性だが沢山のご恩をいただいた。

その方が今年に入って骨折のため入院され
まだ退院してから日が浅い。

何かお力になれたらと思い
訪ねていった。
私の微力でしかない精一杯のご恩返しのつもり。

私にできることは特に何もない。
少しの差し入れを持っていき
少しの話し相手になる程度。

あちらも私を頼りにはしていない様子。

そう
私は頼りなく思われていて
言葉はわるいけど
何かにつけ貶されてきた。

それでも
もしかしたら何かできることがあるのではないか
何かあるのならば
させてもらえたらと思っている。

私がしたいからしている。

その方が話されていた。
高齢ともなるといつ体調が急変して動けなくなるか分からないと。
自分の体を動かすには自分ががんばるしかないと。

その場では
笑顔で相づちをうちながら聞いていた。

しかし
家に帰ると
もやもやした気持ちが止まらない。

私はそんな気持ちをもう20年くらい味わってきている。
いつ体調が急変して動けなくなるか分からず
自分の体を動かすには自分ががんばるしかないと。

同じような苦しみを抱えていても
どうして
ご高齢なら周りから理解を得られ励ましてもらえるのに
精神障害者は周りから冷たくあしらわれるのか。

どんな違いがあるというのか。
自分の努力ではどうにもならない状態は同じではないのか。

なんて不平等なこの世界!
なんておかしなこの日本!

そんなこんなが
むくむくと湧いてきていたので
どうにかしなければと
紙に気持ちを言葉にして書き出してみて
思ったことがもう一つある。

誰だって
大なり小なり
誰にも分かってもらえないような
誰にも打ち明けられないような
孤独な苦しみを抱えている。

だから
自分だけが泣き言を言ってはいけない気がしていた。

ずっと
苦しみながらも
こんな誰もが耐えていることで泣いていてはいけない
こんな誰もが耐えていることで悲しんでいてはだめだと
自分の気持ちをうやむやにしてきていた気がする。

他でもない自分が
誰よりも大事な自分自身の素直な気持ちを
真正面から受け止めてあげられていなかった。

だから
まるで足の抜けない深い沼地に
ずっと独り途方に暮れているような気持ちで
前へ進めずにいた。

自分で自分の気持ちを
うやむやにせず
自分で自分の気持ちを
きちんと受け止めて
自分の心の中だけでも
誤魔化さない!

するとそこから
困難を必ず乗り越えてみせてやるという気迫が生まれてくる。

そう
そんな自分の人生を力強く邁進するエネルギーが
きっと明るい未来を造っていくんだろう。

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