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#34 『土管の上のリサイタル』

2024年1月某日

仕事をしていると、色々な人とコミュニケーションをとることになる。性別・年齢・国籍・業界・趣味嗜好など、実に様々だ。プライベートな生活の領域ならば「付き合う相手」は自分で取捨選択することがしやすいが、仕事となるの少々難しい(そこを選んでいける境地に辿り着きたいものだが)。

さて、仕事におけるコミュニケーションの風土について、筆者なりの好みがある。筆者のような小者は、相性次第で会議での発言品質が大きく変動してしまうこともあるため、できる限り「合う」お相手と仕事をしていきたいと考えている。

基本的に、マッチョな雰囲気は少し苦手である。なんか、常に「武装」していないと揶揄の対象になるような気がして怖い。いじられたりしたくないもの。さらに、発言者が基本的に何かを、蔑んだりする発言が多い場も苦手だ。例えば、「○○?あんなん、全然わかってないよ。」など、常に口から針を飛ばすタイプの人もいて、膝が震える。また、「無関心を装う攻撃」というのもある。「○○?なにそれ。ふーん、そうなの。」みたいな、スカしのアプローチである。やめてよ、怖いよ。

このような、「固い」意思が「前」に飛び交う、ゴツゴツしたコミュニケーションは、一見すると「バリバリ仕事してそうな雰囲気」なのであるが、モメンタムを形成する要素に、「スゴイことを言わねばならぬ」という焦燥感・不安感が混ざっているようにも感じる。個人的な「好み」でしかないが、もう少し「しなやか」で「思慮深い」コミュニケーションのほうがしっくりくる。

筆者がこのように、少々古臭い考え方をしている背景には、「コミュニケーションは相互作用である」という意思が存在している。つまり、対話や意見は、「受け止める相手がいて初めて価値として結実するもの」だから、そのための「他者」へのリスペクトの気持ちを忘れてはならないということである。このことから、「自分の意見」をひたすら前に飛ばし合うコミュニケーションは、もはやコミュニケーションではなく、「土管の上のリサイタル」でしかないのである。

柳のようにしなやかに生きたいものです。
ほなら。


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