#29 『ラボのハコ』
2024年1月某日
最近のまちづくりの取組事例などをパラパラ見ていると、圧倒的に「場づくり」に関するものが多い。コミュニティを起点とした、ゆるやかに人が集まる空間を演出するといったものである。コミュニティを編集するテーマはさまざまで、「起業・創業」を謳うものから「世代を超えた交流」まで、色々ある。
さて、筆者は「場づくり」に関する取り組みについて、基本的には前向きに評価している。実際、そのような機会があれば、積極的に顔をだすようにもしている。そして、できればこれらの活動が「コミュニティ」という無形の活動体に留まらず、不動産をはじめとする地域の有形資産を動かす結果につながってほしいと考えている。
その理由は、「まちづくり」や「地域活性化」が価値を届ける対象が、「多くの住民(≒マス層)」を基本としているからである。成果をマスに届けなければならないという使命を背負っているということである。よって、一部の「感度の高い住民」だけが情報にたどりつき、楽しみを享受できるしくみではなく、誰の目から見ても明らかな「景観の変化」をつくることが大切であると考えている。
その際、無形のコミュニティ活動に閉じた取り組みでは、もたらされる価値を「いつもの顔ぶれ」に閉じた循環になる。成果がマスに伝播し、循環する姿(キャズムを超える姿)がイメージしづらい。そこで、「目にみえる価値」のパワーを活用する有用性を主張している。
無論、むやみにハコモノをつくることを推奨しているわけではない。様々な地域で勃興とする「リビングラボ」的な活動が「ハコ」を手にした時、地域の景観がガラッと変わり、その意義の理解が加速することを願っているだけである。
とはいえ「ハコ」があるとカネがかかる。収益性も落ちやすい。でも、カタチがあることは、確かに意味があると思うのである。知らんけど。
ほなら。
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