#50 令和の『テキストコミュニケーション』
2024年4月某日
最近、通勤電車の中でもマスクをしている人が増えたと感じる。おそらく、花粉症対策なのであろう。「マスクをしている人が増えた」と筆者が知覚するということは、その前はみなさんマスクをしていなかった風景だったのだろう。つまり、「コロナを意識したマスク生活」からは緩やかに、着実に脱却しつつある生活が、社会に染み入っている。
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さて、「働き方」に目を向けてみると、コロナ禍ほどの盛り上がりはないももの、リモートワーク的なしごとの進め方は随分と一般化した。ZOOM会議はもちろんのこと、slack、chatwork、LINEworkなどのワークツールを使うケースも増えた。筆者も大いに便利さを享受している。
しかし、である。これらのツールを介したコミュニケーションにおいて、時折困ったことに直面する。「文章の意味がわからない」のである。事例をもとに検討したい。過日、以下のテキスト(フィクション)が、筆者のもとに「報告文書」として送られてきた(切り貼りしていない)。
繰り返しになるが、上記の箇条書きは、いくつかあるものを抜き出したものではなく、この3つの文が「連なり」としてそのまま送られている。さらに驚くのは、このテキストを理解するのに必要と思われる「背景」「文脈」に関する前提情報は伝えられていない。また、筆者「依頼をされる側」の立場である。このような場合、筆者としては以下のようにお返事することになる。
かなり積極的に「意訳」することで、先方の伝えたいことと当方の認識の差分をすりあわせることを目指している。無論、多くのケースでは、「いや、ちがうんですよ。かくかくしかじかで〜〜〜」と、また違う話をされてしまうことが多い。なお、この数時間は、誰も保証してくれない。
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文章は伝わることが重要だ。近代のワークスタイルでは、「テキストコミュニケーション」の重要度が増していると言っても過言ではなく、「思慮深い表現」に一層気を使う必要がある。いくら、スターバックスでMacbookairを開け、軽快なブラインドタッチでタタタッとテキスト入力し、「ッターンッ!」と威勢よくエンターキーを押下しても、「ひとりよがりな散文」は、ビジネスにおいては意味の持ちようがないのである。
そんなことを書きつらねる筆者が、壮大なブーメランの状況に陥っていることは、そっと棚に上げさせていただきたい。
ほなら。
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