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生きる力とは?(哲学カフェレポート)

アーダコーダ代表理事の角田さんがファシリテーション
めぐろ哲学カフェ
テーマ:生きる力とは?

生きる力とは何か?について話をした。
哲学カフェの流れとしては、
自己紹介⇒生きる力についてそれぞれの意見⇒哲学カフェ だった。

すごく面白い比較や考え方が出てきたので共有します!

【出てきた議題】

・生きる力ってそもそもなにか?
・生きる力はどのように湧き出てくるか?
・なぜ今の若者は生き急いでいるのか?生きる力が強いからか?
・自然へ行くと生きる力をもらえる気がするけど、どういう力?(自然の中で私は生きているという感覚)
・生きる力は年に応じて変わっていくものなの?
・生きる力に関係しているものは?
・生きる⇒活きると中国では言うみたい? 何が違うの?
・環境によって生きる力は左右されるのか?
・都会と田舎によって生きる力は違ってくるのではないか?

【面白いと感じた観点】

・生き急いでいる若者は社会的な歯車として行動しているのか?もしくは生きる力を持って行動しているのか?
・生きる力というのは、自分でサバイブすること、または誰かと一緒に生きていくことの違いがある?
・年を経ると、前にあった強さがないが、年輪によって得るものもある。年を経ることによって何を失ったのか?何を得たのか?
・生きる力というのは立ち止まる力も入ってるように感じる。突進していく力だけが生きる力ではないと思う。
・死にそうな経験をしたら、生きる力が上がる?(そこから這いあがった経験)
・日本は調和社会・中国は競争社会、国ごとに求められている生きる力が違う?日本では協調性などが必要なのかも?
・田舎では自然が敵であるため、生きる死ぬを身近に感じる。だからこそ、生きる力というのは自分でサバイブする能力なのではないか?
・田舎には余白がある。都会はコンクリートでおおわれている。
・都会と田舎では、必要な生きる力は違うけれども、"環境に適応する"という能力は共通の見解なのではないか?
・現代は、心の距離が遠いように感じる。生きる力を個人のものだと思いすぎているのではないか?

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今回の哲学対話でも、かなりの気づきがあった。
特に、立ち止まって考えてみる(余白を作る)ということも生きる力に含まれているという議論には感嘆した。

私は、大阪在住で生きる力というのは個人のバイタリティだとずっと考えてきたため、余白も大事であると気づくことができた。

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今回の哲学対話を経て、私の意見としては、
生きる力というのは、どれほど経験を能動的に積むことができているかが大事なのではないかと感じた。

本やネットで技術はいくらでも調べられるようになったが、田舎に住んだことのある経験や海外に行ってみたことがある経験などから生まれる意見がとても力強く感じた。

自分がどれだけ賢いかというよりもどれだけ行動できたか?どれほど自分で考えているか?が生きる力の強さを象徴しているのではないかと考える。

しかし、この考えは都会に住むから・若いからという環境によって断言している部分が否めない。
今後も哲学カフェであらゆる角度から、掘っていこうと考える。

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