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5台のカメラで桜を撮ってみた

Leica M3/Leica summicron M50mm 1st/Kodak ULTRAMAX 400
Leica R8/Leica summicron R50mm/Kodak portra 160
SIGMA dp2 merrill(Foveon Sensor)
SIGMA fp/Leica summilux M35mm 2nd/SIGMA 20mm f2 dg dn
Plaubel makina67/Kodak portra160

5台のカメラを提げて満開の桜を撮りに行く。
同じ被写体をそれぞれ5つの目を持って撮り歩く。
レンズも20mmから50mm、フィルムもそれぞれ違えばセンサーも違っていたりする。
桜を撮るという行為は、日本人にとって何の違和感もない季節の行事になっている。
桜は厳しい冬の終わりを告げ、穏やかな春の到来を表している。
桜に抱く特別な感情は、その刹那的な美しさと季節の切れ目としての時間的役割があるからだ。
だから桜は撮らざるを得ない風物詩として存在し、故に桜というモチーフはありふれており冗長ですらある。
桜は日本中に存在し、春以外の季節では見向きもされないがそこにはある。
この桜という不思議な被写体を5つのカメラで撮るということは、そんな桜に対する多様な視点を表現するという試みである。
ありふれた桜というイメージのありふれている様を、多角的な無数の写真によって全体像を表現してみようという酔狂な行いである。

それではここからは各カメラについての悲喜こもごもを、動画本編の写真を少し抜粋しながら語ってみる。

Leica M3

Kodak ULTRAMAX 400を使ってみたのだが、見事に露出オーバーである。
最近の若い人には理解できないかもしれないが、これはカメラの故障ではなく私の露出設定の誤りが原因なのだ。

Leica M3は露出計がついていない。なんせ70年前のカメラなのでね。
スマホのアプリで露出を計測して撮っていたのだが、やはりちゃんとした露出計がいるなあと思いつつ結局買わないいつものパターン。
露出計のないカメラの撮影は、神経を疲れさせる。そこが良かったりするけど。
そしてなぜかわからないが、M3を使うと気づけば縦構図ばかりになっている。
この原因は未だ持って不明だが、こんな気付きこそカメラをゴロゴロ抱えている者のみが味わえる享楽という名の狂気である。

Leica R8

こちらは同じLeicaでも打って変わって露出を気にせずガシガシ使えるLeica R8。
業績不振で倒産しそうになっていたLeica暗黒時代の象徴であるLeicaの一眼レフカメラ。

でもR8はLeicaが本気になって作った一眼レフだけあって、まあシンプルに最高です。
オートでだいたいできちゃうし、シャッタースピードが1/8000秒まで使えるから真っ昼間に開放撮影ができてしまうさすがのフラッグシップモデル。
しかし見た目がLeicaらしくないマッチョイズム、故に不人気、故に私はこれだけは手放さないつもりだ。
M3と違って気軽に撮れる安心感からか、このカメラで撮るとフィルムがすぐに無くなってしまう。
虎の子のKodak portra 160を使ったのだから、安心感はとっても大事だね!

SIGMA dp2 merrill

Foveonセンサーという変態画質のカメラをご存知か?
SIGMAという変態(褒め言葉)カメラ&レンズ会社が世に送り出したぶっ飛び仕様の特殊兵器。

このカメラはキマれば想像を超える写真が撮れる、そしてだいたい想像した通りには撮れない、そんなカメラ。
桜はカメラ泣かせなところもあって、薄いピンクのドットがわちゃわちゃしてしまうことが多いのだが、Foveonで撮ればご覧の通り。
特にモノクロで撮った時のシャープさ、緻密な描写はいろいろとエグい。
故に被写体をかなり選ぶ。
撮る人を選ぶカメラ、フルサイズお待ちしています!!!

SIGMA fp

Leica summilux M35mm 2nd/SIGMA 20mm f2 dg dnというかなり癖のあるレンズで撮った。
桜はどうしても単調になりがちなので、癖のあるボケや画角が欲しくなるものだ。
デジタルはフィルムと違って遠慮なく撮れるので、また次の機会にまとめることとして今回はさらっと数枚選んでみた。
フィルムとの比較でいうと、やはり「撮れている」という感覚が強い。
デジタルだと確かに撮れてはいるけど、のぺっとした写真になりがちだ。
これは物の本やカメラ雑誌などでも語られているが、幻想に過ぎない。
しかしたしかにフィルムの方が・・・という意見は多い。
共同幻想でしかないのだろうが、国家も宗教も共同幻想なのだからこれは甘んじて受け入れるべきであろう。
SIGMA fpはそんな単調になりがちなデジタルのデータでしかない写真を、撮影者本位に弄ぶという体験へと昇華させる画期的なカメラである。

今回驚いたのは、SIGMA fpのカラーモード「パウダーブルー」が桜と非常に相性が良いということだ。
SIGMAのカラーモードはとても豊富で、撮影時の印象をそのまま表現できるという撮影者本位の撮影行為が可能だ。
RAW現像と違い、その場ですべて完結することが可能であり、より世界を多様な視点で捉えることができる。
スナップ撮影だとデジタルではこれに尽きる。

Plaubel makina67

最後は中判フィルムカメラのマキナ67
6×7の贅沢なフィルムの使い方は、現代では貴族の楽しみとなっている。
散財サラリーマンの私が言うのだから間違いない。
Kodak portra160で撮る一枚一枚は命を削って撮っていると言っても過言ではない。
やはり中判フィルムは次元が違う写りだ。
その場の空間をまさしくそのままバコッと外したような立体感。

なんせ10枚しか撮れないからね。
でも10枚しか撮れないという制約があるからこそ撮れる写真もあるというのを最近気づいた。
フィルムの値上げが深刻であるが、これじゃないとなあという場面もある。
そしてマキナ67のフォルムとギミックは男子の大好物なのはいうまでもない。


以上、5台のカメラで桜を撮ってみた感想でした。
こうしてみると同じ環境ではあるが、まるで別人が撮ったようにも見える。
カメラによる多角的な視点というのは、単なるスペックではなく、形状や撮影手順や手に持った時の質感ですら影響してくる。
撮ろうと思ったその意志は私の脳味噌から湧いたものなのか、それともカメラがそうさせたのか?
カメラの奥深さとその業を噛みしめる楽しいひと時でした。


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