村上春樹『街とその不確かな壁』読書メモ

※ネタバレ注意

 細かい感想に関しては後日、詳細に言及することとして、ここでは全体の所見を述べたい。

全体の所見

  • 『海辺のカフカ』や『騎士団長殺し』『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』といった、過去の長編小説を踏まえた描写がいたるところにみられ、「最も村上春樹らしい作品」なのではないかと感じた。

  • しかしながら、『ねじまき鳥クロニクル』以降に意識されてきたコミットメントが希薄であり、『ねじまき鳥クロニクル』や『1Q84』のようなエッジの効いたメッセージを読者に想像させるような余地はなかった。

  • また、『ノルウェイの森』で描写されていた痛切な悲哀といったものも、どこか忘れ去られているのではないかと感じてしまう。ある意味では成熟とも言えるし、ある意味では忘却とも言える。この点でも物足りなさを禁じ得ない。

  • しかし、非現実的なファンタジックな描写に対する安心感は健在であり、「デタッチメント・ユートピア」としてはよくできているのではないかと感じた。

  • 本作のテーマはたぶん「継承」なのではないか。村上春樹が、子易さん、私、イエロー・サブマリンの少年という(疑似的な)男性の親子三世代の関係を描いているというのは新鮮だった。

  • ただ、子易さん、イエロー・サブマリンの少年の性格があまりにも良すぎる(「私」に対して全く害を与えてこない)点で、「私」の世代感覚に対する甘さのようなものを感じる。※ここで注意せねばならないのは、「私」=村上春樹とは限らない点である。村上春樹と同世代の人間を、ある種、醜悪に描写しているのだとすれば、その点は成功しているように感じる。

  • 子易さんの女性装に関する設定やイエロー・サブマリンの少年のサヴァン症候群に関する設定は、『1Q84』におけるチェホフの銃に関する問題意識が引き継がれていると感じた。どちらも、物語に対して何らかの寄与をするわけではなかったからだ。批評家たちは設定が生かされていないことを批判していたが、私はこの視点が抜け落ちているのではないかと感じた。

  • 『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』では「影」も主人公に対してフランクな態度だったのに対して、今作では丁寧な口調で主人公に語り掛けるようになっている。まだ掘り下げが足りていないものの、これも重要な問題であるように感じる。

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