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三島由紀夫作品をいっぱい紹介する

この記事では、私の大好きな三島作品をたくさん紹介していこうと思います。結構長め。

『仮面の告白』

まずは三島由紀夫の名を知らしめた『仮面の告白』という作品を紹介します。この作品は同性愛者である主人公の半生を一人称視点で描いた小説です。そして三島の”私小説”でもあります。

女を愛そうとしても性的に満足させられないという苦悩、どうしても男に欲情してしまう自分。戦場で散っていく兵士への憧憬と、終戦後生き残ってしまったという罪悪感。

ひとつの心の中に様々な感情が交錯していくさまを巧みに描いた作品です。そしてラストシーンは何を意味しているのか……。本格的に三島デビューしたい人は本作品をどうぞ!

またこの作品は太宰治『人間失格』が出版された翌年に出ていることも見逃せない作品となっています。

しかしこのタイトルはどういう意味なのでしょう?仮面をかぶっていたことを告白するのか、あるいは告白そのものが仮面なのか……?『人間失格』と読み比べても面白いかもしれません。

『金閣寺』

芥川龍之介は古典を、太宰治は知人の日記などを題材にした作品を多く残しました。一方、三島由紀夫は実際の事件を題材にして数多くの作品を書いています。(例えば、『青の時代』、『宴のあと』、『真夏の死』など)

そして実際の事件を題材とした小説として最も有名なのはこの『金閣寺』でしょう。1950年に起きた金閣寺放火事件をもとに、放火犯である主人公の溝口がいかにして放火に至ってしまったのかを描いた作品です。

この作品の一番の魅力は、美麗な文体と表現力でしょう。

 金閣は私の手のうちに収まる小さな精巧な細工物のように思われる時があり、又、天空へどこまでも聳えてゆく巨大な怪物的な伽藍だと思われる時があった。

三島作品の中でも最も表現に対する完成度が高い作品は『金閣寺』だと思っています。(もちろん他の作品もすごいのですが。)

また『金閣寺』は心理描写が素晴らしい。ある狂人の心理が、あたかも普遍性のあるもの、当時の人々の心理そのもののように見えてしまうのです。

鑑賞のポイント
「主人公にとって金閣寺を燃やすとはどういうことなのか? どのような意義があるのか?」ということを問い続けながら読むと面白いかもしれません。ですが、本当に金閣寺を燃やしたのは主人公一人だけでしょうか? 作者または読者も一緒に”金閣寺を燃やしている”のかもしれません。

『潮騒』

朝ドラの『あまちゃん』の主題歌である『潮騒のメモリー』には、この小説の名シーンが出てきます。

三島特有の美しい(嫌いな人にとってはギラギラした)表現が控えめとなっているので、初心者にはうってつけです。ただし、これが三島の小説だと思ってしまうと、他の作品を読んだときに面食らうかもしれません。
(村上春樹『ノルウェイの森』でも同じようなことが言われていますね。)

舞台は歌島。神島という愛知県と三重県を繋ぐような場所にある小島をモデルにしています。

神島 - コピー

主人公である漁師の新治は村の有力者の娘である初江に恋をします。戦時の物見やぐらの廃墟のような場所で、二人は偶然出会い、それ以降互いに惹かれ合っていきます。

しかし逢瀬を重ねるうちに、二人の姿は見つかってしまいます。そして二人は性行為したのではないかと、あらぬ誤解を受けることになったのです。

村の有力者に睨まれ、会えなくなってしまう二人。ですが最後には誤解が解け、物語はハッピーエンドへと収束していきます。

『鏡子の家』

みんな欠伸をしていた。

という有名な一文から始まる物語。戦後のけだるくなるような人生観というものがこの一文に集約されています。

この小説は群像劇でありまして、5人の主役がいます。1人ずつ紹介していきましょう。そして5人が5人とも戦後のニヒリズムと向き合うことになるのです。

また鏡子以外の4人は「時代の壁」か「社会の壁」か、正体は不明瞭だが戦後日本社会に確かに存在する壁に相対して、自分の思いを述べるという象徴的なシーンがあります。

友永鏡子:タイトルにもなっている30歳の女性。夫と別れ、8歳になる娘と一緒に暮らしている。彼女は自身の家を来るものを拒まぬ自堕落なサロンのようにしてしまい、後に紹介する4人の男とつるんでいた。「もはや戦後ではない」と囁かれつつある時代において、焼け野原だった時代・焼け野原だった日本を懐かしんでいる。

杉本清一郎:商社マン。根拠もないのに世界が破滅すると信じて疑わない男。かといって自暴自棄にもならないし、無茶もしない。(世界が破滅するはずなので)安定なぞいらないはずなのに、それを求めてしまう自分を不思議に思っている。

 そして清一郎の考えていたことはこうである。
『俺はその壁になるんだ。俺がその壁自体に化けてしまうことだ』

深井峻吉:ボクサー。私立大学に所属している。戦死した兄のことを「何も考えずに人生を駆け抜けてしまった」と羨んでいる。

『俺はその壁をぶち割ってやるんだ』と峻吉は拳を握って思っていた。

舟木収:売れないイケメン俳優。ボディビルに勤しむ先輩に諭されて、筋肉を鍛え始めた。浮気性の父親と空想家の母親を持つ。そしてその妄想癖は見事に収にも受け継がれている。

『僕はその壁を鏡に変えてしまうだろう』と収は怠惰な気持で思った。

山形夏雄:トンビから産まれた日本画家。自分の人生には決して事件が起こらないと思っている童貞。鏡子の娘に懐かれている。

『僕はとにかくその壁に描くんだ。壁が風景や花々の壁画に変わってしまえば』と夏雄は熱烈に考えた。


『憂国』

二・二六事件を題材とした短編小説。叛乱軍に加わった親友を討てない男とその妻が自刃を遂げるまでの過程が描かれています。

私はこの小説に畏怖を覚えます。なぜなら文を読んでいるうちに景色が浮かんできてしまうからです。

小説を読むということは元々そういうものだろうと仰るかもしれませんが、この小説は他の小説と違います。私が小説を読むときには多かれ少なかれ文章から情景を想像するための努力が必要なのですが、この小説ではそれが全くいらない。

とくに切腹シーンが苦手な方は注意したほうが良いと思います。どうしても映像が浮かんできてしまいますから。

『豊饒の海』・四部作

この作品は『春の雪』・『奔馬』・『暁の寺』・『天人五衰』という4つの小説をつないだような構造になっていて、それぞれを単品としても楽しめます。特に『春の雪』と『奔馬』については、エンタメ小説として眺めても大変評価の高い作品ではないでしょうか。

全体としては本多繁邦の人生を追跡しながら、各作品の主人公はそれぞれ用意されているという小説になっています。

『春の雪』

主人公は松枝清顕。本多の親友です。また、清顕には聡子という幼馴染がいるのですが、二人は互いに惹かれ合っていきます。しかし二人は一時的に不和な関係になってしまいます。

聡子はそのときに皇族との婚約を成立させるのですが、これがかえって清顕と聡子の禁断の恋の火種となります。しまいには聡子を妊娠させてしまいました。

これにより婚約は破棄。逢瀬も禁止となってしまいます。そして最後には堕胎して出家することになりました。

ですがもう一度だけ彼女に会いたい清顕。出家先である月修寺の門前、春の雪が降りしきる中でただひたすらに待ち続けるのですが、それが祟って肺炎をこじらせてしまいました。

本多もどうにかして寿命の尽きかけている親友を助けようと取り計らうのですが、結末はどうなることやら。

『奔馬』

時は流れ昭和七(1932)年。本多は裁判官として働いていました。出張先で出会った飯沼勲という青年から目が離せなくなります。(その理由は伏せておきます。)

飯沼勲という青年は剣道に励み、政財界の腐敗に憤っていました。『神風連史話』という書物に感化され、政財界の要人を殺害するという計画を練り、仲間を集め、ついに軍人の協力まで取り付けました。

しかし実行前に計画が漏れてしまい、勲たちは逮捕されてしまいました。本多は勲を救うために、裁判官から弁護士に転身します。このとき勲の恋人の証言や、世間の同情も相まって、本多は勲の釈放までこぎつけるのですが……。

『英霊の聲』や『憂国』で描かれてきた三島の武士道精神が、この作品で完成したように思います。

『暁の寺』

この作品は戦前と戦後の二つのパートに分かれています。

<戦前>
弁護士として活躍している本多は国際的な業務をも引き受けるようになっていました。そして出向いたバンコクで、ジン・ジャンという王族の少女と出会います。なんとこの少女は「前世は日本人だった」というのです。

少女は本多に関わりのある人物を前世としており、本多は彼女との会話を楽しんでいましたが、滞在期間も限られており、名残惜しくも帰国する運びとなってしまいました。

日本は太平洋戦争へと突入していきます。

<戦後>
本多はジン・ジャンに再会することを望んでいました。そして戦後、彼は御殿場に別荘を買って、彼女をそこへ招くことに成功しました。

しかしジン・ジャンは本多に驚くべきことを告げます。前世のことを覚えていないというのです。その報告にショックを受ける本多でしたが、一方でジン・ジャンの蠱惑的な身体つきにも魅了されていきました。

本多の欲求はエスカレートし、ついには慶子(隣人の淑女)とジン・ジャンがセックスしているところを覗き見てしまうのです。

ですが唐突に別荘は全焼。ジン・ジャンは火災を免れたものの、帰国後消息を絶ってしまいます。

ジン・ジャンの忘却。本多の道徳的な退廃。戦前の充実感と戦後の虚無感を、仏教思想を交えながら、丁寧に対比していく作品です。

『天人五衰』

この作品の舞台は昭和四十五(1975)年の日本。1970年に自決した三島にとっては近未来の話ということになります。

主人公は安永透という孤児だった青年です。世渡りが上手なのですが、世の中に対して斜に構えているところがあります。そしてどこか生きている実感というものを欠いているのです。この「生の実感の欠如」によって透は他人や社会に対して無関心となってしまい、利己的な行動をとるようになってしまいます。

透も清顕や勲やジン・ジャンに似た身体的特徴があったので、運命的なものを感じた本多は彼を引き取り、教育することにしました。しかし透の精神性は他の3人と全く異なっていました。世渡り上手で無茶をしない、打算的であるという部分は、あの3人には見られない特徴であり、むしろ本多自身に当てはまるところがあります。

そして透はどんどん悪魔的な部分を開花させていきます。本多が決めた婚約者を陥れて、婚約を反故にしてしまいました。また本多はストレスによって覗きを犯してしまいました。透はそこにつけこんで本多家の次期当主になろうとします。

しかしそこで本多の友人である淑女の慶子がまた登場し、透に一泡吹かせます。「あなたには輝かしく散る生はないのだ。陰気に生きながらえてしまうのが関の山である」と伝えてやったのです。かくしてプライドを打ち砕かれた透は服毒自殺を図りましたが、結局盲目になるだけで終わってしまいました。

一方で本多はもう寿命が長くないことを悟り、もう一度聡子に会いに行こうと決心します。本多は聡子との再会を果たせたのですが、彼女の放った一言は意外なものでした。

まとめ


今回取り上げたのは全て三島作品のメジャーなものです。また三島の精神性を知る上でも重要な作品群でもあります。

とくに『豊饒の海』は優れている作品なので読んでくださると嬉しいです。

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