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📚大江健三郎と『進撃の巨人』

『進撃の巨人』をさかのぼっていくと、ノーベル賞作家・大江健三郎にたどり着くのではないか。これは個人的な直感である。

類似点を指摘する人もほとんど見つからなかった。共通点を見出す人もサラッと言及するのみだ。真剣に論じた人はいないだろう。

🌳大江健三郎と巨人🌳

大江健三郎の作品にも、実は巨人が登場する。”知の巨人”といった比喩ではない。本当にヒトよりもサイズの大きい巨人が登場する。この点がわかりやすいのは『M/Tと森のフシギの物語』だろうか。(以下『M/T』と略す。)

『M/T』や『同時代ゲーム』において、巨人は「壊す人」と呼ばれている。現代に生きる主人公が育った村で語り継がれている伝承に、そういった巨人のエピソードがあるのだ。それが「壊す人」の話である。「壊す人」の身長を推測できそうな文章をひとつ抜き出してみたい。

ふたかかえもある樹幹の、十メートルほどの高さで折れ曲がっている箇所の瘤に手をかけて、「壊す人」は回転したのです。それは「壊す人」がゆうに木と同じ高さの大男であったことを示すでしょう。

大江健三郎『M/Tと森のフシギの物語』岩波文庫 pp.99-100

『進撃の巨人』に登場する超大型巨人よりは小さいかもしれない。だが普通の巨人ほどのサイズはあるだろうか。(あるいは少し大きいかもしれない。)詳細な身長は把握できないが、その程度だと推定される。

🌳”鎮守の森”から”鎮守の壁”へ🧱

共通点はなにも巨人だけではない。どちらも共同体をぐるりと取り囲む”鎮守の何か”があった。大江作品では谷間の村を取り囲む”鎮守の森”があり、『進撃の巨人』では都市を囲む”鎮守の壁”がある。そういった点も共通している。

🌳🌳🌳

まずは大江作品で描かれる「森」について語ろう。

鎮守の森という発想は伝統的なものだ。森に対して畏敬や崇高さを感じるのはよくあることだろう。明治神宮といった場所もやはり森に囲まれている。日本人にとって、森は天然の要害ようがいであり、危険な領域であり、神聖な場所であった。

この発想は『M/T』や『同時代ゲーム』でもよく描かれている。再び「壊す人」の伝承を取り上げてみよう。

しかし「壊す人」が抱いていた第一の構想は、まず森の力をそこで押しとどめることであり、つづいてはつないだウルシの輪で谷間を囲み、こっそりと外側から近づいてくる敵が、ウルシにカブれることなしには谷間に侵入できぬようにするという、村の防衛のための考えであったのでした。

大江健三郎『M/Tと森のフシギの物語』岩波文庫p.86

「壊す人」が村を囲むようにウルシを植えさせた伝承がある。谷間の村の”鎮守の森”がどのように成立したのか。それが伝承として語り継がれている。

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『進撃の巨人』では、この「森に対する信仰」をうまく置き換えていた(ように思う)。森のかわりに「壁」を信仰の対象として設定したのだ。いわば”鎮守の壁”である。

この設定は万人にわかりやすい。都市そのものを壁で取り囲んだ城郭都市じょうかくとしは、中国にもドイツにもある。外敵から守ってくれる壁を信仰するというアイディアも合理的だ。色んな国の人々が受け入れやすい。

また、現代人は都市で育ってきた。地方でも生活は都会化している。大江作品に出てくる村人のような暮らしをする人はほぼいない。森の話よりも壁の話の方が、現代人にはピンとくる。

『進撃の巨人』では、その点が現代的になっている。が、共同体を取り囲む何かを信仰するという点は共通しているのではないか。

……本当はもっと共通点を指摘できるのだが、ネタバレする必要が出てくるので、これ以上は控えたい。

ただ、私はこの話をひらめいたときに嬉しくなった。つながらないように思っていた過去が、繋がったのだ! そう思えたからだ。

【追記:2021/11/19】続編らしき記事

続編らしきものが出ました!

原作者である諌山創が、大江健三郎から直接的に影響を受けたのか? 実のところ、その点は不明です。インタビュー記事をネットで探してみました。が、そのような記述は見つかりませんでした。

そのときにもう一つの仮説として、”大江健三郎→伊坂幸太郎→『進撃の巨人』で線を引く”という発想が思い浮かびました。詳細はリンク先の記事をご覧ください。

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