あらためて考える「旅とサッカーをつなぐ」意義〜「出張」から「旅」へと舵を切った2019年を振り返る
多くの職場が仕事納めとなった12月27日、OWL Magazineの忘年会に参加させていただいた。編集者や書き手など10人が参加したが、それ以外にもOWL Magazineの書き手は(単発も含めて)倍以上はいるようだ。そのほとんどは職業ライターではないものの、澤野雅之編集長と中村慎太郎主筆の努力によって、媒体としてのクオリティーはしっかり担保されている。いやむしろ、さらなる可能性を感じさせるくらいだ。
OWL Magazineがスタートしたのは、今年の2月1日なので、実はまだ1年経っていない。それでも「旅とサッカーをつなぐ」というテーマで、これほど多くのテキストが編まれ、若い書き手も少しずつ増えていることに驚異的な成長を感じる。人間の成長過程というものは、生まれ落ちてから1歳くらいの間が最大にして最速と言われているが、まさにそんな感じである。
もちろんマネタイズの面も含めて、メディアとしての課題はまだまだある。しかし一方で、10代や20代の女性による瑞々しい原稿がアップされるのを見ると、うれしく思うと同時に複雑な気分にもなる。私がこれまで禄を食んできた既存メディアに、若い才能を育てる余裕もノウハウも、すっかり失われてしまっているからだ。そうして考えると、彼女たちの父親世代である私が果たすべき役割も、自ずと見えてこよう。
かくいう私自身、ひとりの書き手として参加させていただきながら、OWL Magazineからは少なからぬ影響を受けている。その端的な例が、半ば「出張」と捉えていた国内外の取材に「旅」という視点が加えられたこと。これまで漫然と見ていた、試合以外の風景に「旅」の要素が重なることで、新たな視界が開かれたように感じる。年内最後となる本稿では、2019年の旅先での写真から、「出張」から「旅」への眼差しの変化の過程を確認したい。
まずはOWL Magazine創刊前に取材した1月のアジアカップから。今回の開催国はUAE。これまで何度も訪れている国であり、高いビルと広い道路と砂漠ばかりの風景に、まったく目新しさを感じることはなかった。もちろん記者席で見る試合が、いずれも興味深いものであったのは事実。とはいえ、ホテルとスタジアムを行き来するだけの毎日に、正直倦んでいたのもまた事実である。
OWL Magazineで私が寄稿するようになったのは3月から。最初の2本は「旅の定義」についてあれこれ思考をめぐらせる原稿を書いていた。そこから吹っ切れるきっかけとなったのが、フットボール批評のFCマルヤス岡崎取材で訪れた、愛知県岡崎市。愛知といえば名古屋と豊田しか知らなかったが、岡崎の地政学的重要性と桜の美しさに新鮮な驚きを覚えたものだ。
平成から令和に代わる今年のGWは、カミさんと奈良、京都、大阪を旅行。もちろんサッカーも観戦したのだが、OWL Magazineではそれぞれの街で印象に残った食事について紹介している。特に奈良の食事に関しては、あまり先入観がなかっただけに好印象しかない。奈良クラブのスタグルも、非常に満足度の高いものであった。そうした思い出があるだけに、例の一件が本当に残念でならない。
今年は自分の取材のアウトプットについて、いろいろ試行錯誤を繰り返した一年であった。JFLでのホンダロックSCとテゲバジャーロ宮崎による「宮崎ダービー」とか、長嶋茂雄と本田宗一郎を絡めた「地政学から見る宮崎のスポーツ」とか、もはや個人メディアでしか扱うことができないテーマである。幸い、ロック総統が企画した宮崎ツアーに乗っけていただき、ホンダロックの工場も見学することができた。
フットボール批評の取材で、三重県鈴鹿市へ。実は三重は47都道府県で最後の未踏の県であった。モータースポーツのメッカとして知られる鈴鹿は、想像していたよりも小ぢんまりとしていたが、それゆえ効率よく取材できた。鈴鹿アンリミテッドFCの女性指揮官、ミラグロス・マルティネス・ドミンゲスに取材する一方で、胸スポンサーの『お嬢様聖水』の由来を知ることができたのも個人的な収穫。
6月はコパ・アメリカの取材でブラジルへ。ブラジルの治安がかなり悪化していると聞いていたので、おっかなびっくりの旅となった。そんな中、初めて訪れたポルトアレグレで日本代表がウルグアイに引き分け、気を良くして現地の肉を心置きなく楽しめたのは良い思い出だ。ホテルを出てからステーキハウスで肉にありつくまでのプロセスは、そのまま1本のコラムとして成立するくらいドラマティックであった。
コパの取材で最も長く滞在したサンパウロでは、日系人コミュニティーが移植した日本文化について、思いを巡らせることが多かった。またジャパン・ハウスで開催された、元Jリーガーのブラジル人選手の集いもまた、ブラジルとの縁を強く意識させられる取材となった。5年前のワールドカップで訪れた時と比べると、かなり余裕をもって現地の風物を体感できたように思う。これもまた「旅」の視点を意識するようになったからだろう。
7月は北信越リーグの福井ユナイテッドFCを取材。福井といえば日本の47都道府県で、全国リーグを戦うサッカークラブがない3つの県のひとつ(他に和歌山と高知)。それゆえに、ドメサカファンでもなかなか訪れる機会がないのだが、福井は意外と観光資源に恵まれていて、現地のサッカー取材に豊かな彩りを加えてくれた。とりわけ勝山市にある、福井県立恐竜博物館は必見。大人ひとりでも十分に楽しむことができた。
未知の土地に訪れるだけが旅ではない。信州松本は、これまで松本山雅FCの取材で何度もお邪魔しているが、そのたびに新しい発見がある。8月にカミさんと訪れた際は、アルウィンを訪れる前に松本城と旧開智学校という、ふたつの国宝を観光することができた。そして山賊焼きや蕎麦といった、当地のグルメもしっかり堪能。カミさんが応援する名古屋グランパスが勝てなかった以外、パーフェクトな家族旅行であった。
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サポーターはあくまでも応援者であり、言ってしまえばサッカー界の脇役といえます。しかしながら、スポーツツーリズムという文脈においては、サポー…
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