自己の肥大・小説・小説の終焉

 明治維新で日本に西洋近代文明の津波が押し寄せて、日本人にも小説という表現形式が入ってきた。
 小説はきめわて近代的な文芸だ。
 近代的な文芸の特徴を一言で言えば、「自己表現としての物語」となるだろう。
 物語を作るために書くのではなく、自己を語りたくて、そのために物語を書く。それが小説だ。
 小説以前は、物語や詩が文芸だったが、こうした文章表現形式は自己を語るためのものではない。自己が物語を作るのだが、その自己は物語の中にそれだとわかる明確な形では残っていない。
 たとえて言えば、日本刀を作るようなもので、刀は残るが作った刀工の姿は刀のどこにも残っていない。残っているのは銘くらいだ。
 刀鍛冶の名前は伝えられているが、その人が近代的な観点から見て、どんな悩みを持ってどう生きたかは、わからない。刀工の祖が神代の天目一箇(あめのまひとつ)まで遡れるのは、「個人としての作り手」には意味が無いからだ。
 小説は、「個人としての作り手」が最大の意味を持つ。いわば自分の顔写真―つまりは自分という個人がどんな悩みを持ちどう生きたか―を埋め込むため日本刀を作るようなもので、そうすると、もう刀を作ることとは相容れなくなる。日本刀には、武器というそれ自体の存在の意味があって、作り手の「私」を盛り込む余地は無いからだ。
 それで、近代的個人となった日本人は、西洋に倣い、小説という、これまでの日本語の文章表現形式には無かった、或る意味、奇妙な文章表現形式を作り出すほかはなかった。
 物語は誰が書いたものかは定かでないことが多いし、時間を隔てて何人もの人に語り継がれてから、ようやく紙に文字として記されたものも少なくなかった。
 作者の名前がわかっていても、その作者が自分のことをなにがなんでも人にわかってほしくて書いたものではない。
 江戸時代になると「近代文学の趣き」を持つ戯作も現れたが、それでも、作者の自己に対するこだわりは、今の小説の作者と較べると、「淡い」と表現したくなるものでしかない。
 明治維新後の日本人は、それまでの日本人とは逆に、自己に対するこだわりから紙に文字を書くようになった。
 その時は、たぶん、硬筆を手にして、西洋紙でできた原稿用紙を広げていたにちがいない。自己に対するこだわりは、毛筆を持って和紙に文章を綴っていた頃には生じなかった。
 毛筆と和紙だったから、自己に対するこだわりが生まれなかったのかもしれない。

 肥大した自己、自己の肥大化という近代病のひとつが小説を産んだのだが、小説が芸術の一分野で有り得たのは、言葉のおかげだ。
 自然言語は、わけても、日本語は、途方も無い時間をかけた(或いは進化のように突然の)elaborationのたまものだった。
 錦織のようなものだ。錦織の振袖をほどいてTシャツやバッグに仕立て直しても、まあ、外人は喜んで買ってくれる。外人が評価したら日本人も価値あるものとして扱う。そんな次第で、明治から昭和にかけて小説が成立した。
 今や、日本語の伝統は途切れている。
 漢文古文は、人で言えば、首から下の身体に当たる。
 幼少期に漢文の素読や古典を楽しむ時間が無いと、伝統的な日本語は身につかない。
 三島由紀夫氏が「日本語は、おれの世代で終わり」といったのは、このことだ。
 そして、村上春樹の時代がきた。
 ハルキの時代、漢文古文は、学校の授業で「文法を理解して意味を取りながら、『日本語』に訳す」ものとなった。日本語の有機的な臓器、母語の手足ではなくなったのだ。

 SF映画などではありがちの、脳だけ取り出されて機械の身体に移植されて生まれたサイボーグ、それが現代の日本語だ。
 日本語が或る意味で死んだ(脳だけの存在となって電子機器に繋がれた)今、いわゆる文芸としての小説はもう出てこないだろう。
 新しいcyberneticな日本語は、ツイッター小説などの、SNSを媒体として表現には、ちょうどいい言語なのかもしれない。私見では、この文章表現形式は、映画が芸術になれないのと同じ理由で、決して芸術にはなれない。

 では、芸術とは何か?
 それは、またの機会ということになる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?