今朝、宇宙に問いかけたら退勤中の電車で覚醒した話(恋愛Ver)

早起きした朝に、瞑想して宇宙にオーダーをかけた
「もっと安心するには?」


結婚、なんでするんだっけ、なんでしたいんだっけ

私が出した答えは、安心したいから

安心できると思って、結婚して、安心した人はどのくらいいるのかと疑問に思った

世の既婚者たちの悩みは、

帰ってこない夫
家事、育児を一手に任される不満
お小遣い制
義家族への気遣い
愚痴の多い妻

思いやりから始まるのに
なぜ義務になるんだろう

それが不思議と腑に落ちなかった

結婚してなくても
相手を信頼できていれば
その気持ちで安心できれば
結婚という契約はただの制約と義務にしかすぎないんじゃないか

ずっと抱いていた疑問だったけど

恋人同士も同じだった

日本人同士は付き合うかどうかを先に決めることが多い

私の知る他の国々では、付き合ってくださいという言葉はなくて、
自然と築かれた信頼で正式なカップルとなることが多いと思う

お互いの両親や友人に正式に恋人であると紹介したらそこからはオフィシャルという流れ

日本はカップルも契約を確認して始まる

つまりそれは相手を拘束していいという
口出しする権利を最初から互いに持たせるのと同じ

お互いに信頼があればそれは伝え合っていいのではないか
付き合うかどうかという言葉は必要なのだろうか

信頼さえあれば

大人の恋愛は難しい
なぜならお互い忙しい
プライベートに割く時間の価値観はまちまちで
それがうまくマッチしないと待ちぼうけになるから(わたしみたいに)

気持ちを募らせても
多忙な相手を思いやれない場合

目の前のことに集中していても
自分を待つ相手を思いやれない場合

お互い噛み合わない歯車で進み続ける恋人同士も多いのだ

恋人同士でなくとも
お互いに思いやりがあって
立場を理解し合えるのなら
契約は果たして必要なのだろうか

私が不要なものだと思っていたのは

契約という義務の関係だった

結婚じゃなくても
カップルだって同じなんだ 
友人のように
契約がなくても会いたければ会うし
連絡をとりたければ取る
それと本質は何にも変わりない

契約を交わすだけで安心できないときだってある

つまり、愛情と思いやりさえあれば安心できる関係になれるし
自然とオフィシャルな関係にだってなるんだ

望んでいたものは安心と安定で、
それを感じられる相手

信頼さえあれば相手の愛情の量が変わっても
お互いに大切に思えることは変わらないのだ

それは恋人同士でも、夫婦でも同じなのだ

今、私が向き合っている相手は私が望んだ相手そのもので
勝手に心をざわつかせていたのは望んだ自分というコメディ

契約がない状態で信頼が保てるなら、
それが本質ではないのかと気づく

あとは、安心するだけですよー


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