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【短編小説】春夏秋冬館

 小春日和の日曜日、社会人になりたての太郎が趣味のカメラを持って近所を散歩していると、見慣れない木造の建物にでくわした。入り口に掲げられた看板を見て首をひねった。

 ──「春夏秋冬館しゅんかしゅうとうかん」? こんな建物あったっけな……

「太郎くん」

 建物の死角から出てきた女の子が手を繋いできた。よく見ると、幼馴染の美咲みさきだった。太郎も幼稚園の頃の自分に戻っていた。

「パパとママがどこかに行っちゃった」

 美咲は涙を必死にこらえて訴えた。

「探してみよう」

 太郎は美咲の手を引っ張って建物に入っていった。2人でびしょびしょの靴を脱いだ。高校の制服も同じように濡れていた。美咲のブラウスには薄いピンク色のブラジャーが透けていた。太郎の視線に気づいた美咲は、

「見ないでよ」

と背中を向けた。太郎は我慢できず、後ろから強く抱きしめた。首筋に当たる熱い息に、美咲も理性を失い、太郎を自分の部屋へと導いた。

「パパ、おーきーてー!」

「おーきーてー!」

 双子の娘のミオとリオが、太郎の頬をぺちぺち叩いて起こした。

「パパ、今日はディズニーランドに行く約束でしょ?」

 そう言いながら、妻の美咲がドアから顔をのぞかせた。

「そうだったな……よし! パパは起きるぞ! その前に元気になる薬を飲んでくるから、2人とも待っててね」

「これでしょー?」

 ミオが机の上のタバコを取って渡した。リオは美咲から渡されたライターを持ってきた。

「2人ともえらいね〜。さすがパパの子どもだ」

 太郎が2人の頭を撫でると、目を細めて嬉しそうに微笑んだ。太郎はベランダに出てタバコに火をつけ、ふうっと空に向けて煙を吐いた。休みの日にこんなに早く起こされて、タバコくらい吸ってないとやってらんねえよな……

「パパ、そろそろ来るわよ」

 美咲が窓を開けて太郎に声をかけた。火を消してリビングへ入り、ソファに腰かけた。そのとき、ピンポーンとインターホンが鳴り、ミオとその彼氏がやってきた。

「ただいまー、こちら沢井透悟とうごくんです」

「は、初めまして。よろしくお願いします」

「あなたが沢井くんね、お話はミオからよく伺ってるわ。さ、座って」

 美咲は2人を太郎の斜め前に座らせた。太郎も透悟も目のやり場に困った。ミオがコーヒーを淹れる手伝いにキッチンへ行ってしまうと、2人とも動かず、気まずい沈黙が続いた。

「さあ、ゆっくりしていってちょうだいね」

 美咲とミオがコーヒーと焼き菓子を持ってきたので、一時停止が解けたように、やっと体を動かした。

「ありがとうございます」

 透悟はうやうやしく頭を下げて、皆でコーヒーをひとすすりしてから切り出した。

「あの……ミオさんと結婚させてください」

 ミオもコーヒーを置いて、

「パパ、ママ、お願いします」

と2人して頭を下げた。美咲は笑顔を見せたが、太郎は微動だにしたかった。

「パパ、結婚したいんですって。いいわよね?」

 6つの目が太郎の挙動を見守った。

「……分かった。ミオを頼む」

 ぼそっと発せられた太郎の返事に、一堂は歓喜した。

「ありがとう、パパ! リオにも伝えなきゃ!」

 ミオが早速リオに連絡を取っている間に、太郎はテーブルの上の食事に手をつけていた。リオの結婚式でのスピーチを無事に終え、やっと落ち着けるひとときを過ごせるのだ。

「おじいちゃん、これちょうだい」

 4歳になったばかりの、ミオと透悟のひとり息子の満男みつおが、隣に座っている太郎の皿の上にあるオリーブを取った。

「うえ、まずい!」

「ははは、そうだろう。おじいちゃんのを盗むからバチが当たったんだぞ」

「じゃあ、アイス食べる。あっちでもらえるよ」

 スライディングで汚れた白い野球のユニフォームを着た太郎が、マネージャーの元へ駆けつけて、棒付きのアイスキャンディーを2本もらってきた。

「これ、おじいちゃんにもどうぞって」

「おお、そうか、ありがとう」

 真夏の練習は過酷である。しかしレギュラー争いに燃える5年生の満男は、練習を休むことなく打ち込んでいる。孫の成長を見るのが楽しみの太郎も、足手まといのコーチとしてかかさず参加している。
 木陰で並んでアイスを食べた。太郎がタバコを吸う仕草をしたので、

「おじいちゃん……それ、アイスの棒」

と、満男が冷めた声でツッコんだ。

「あれ? おじいちゃん、間違えちゃったよ」

 太郎はひとりで息もできないくらい大笑いした。

 ──ん? 誰の葬式だ? いや、これは通夜だな。どれ、ホトケさんの顔でも拝んでみよう。

 太郎が花に囲まれた棺桶をのぞくと、そこには他でもない、青白くなった自分が寝ていた。

 ──おいおい、俺はここにいるぞ! なぜ俺の通夜なんかせにゃならんのだ。美咲、ミオ、リオ、喪服を着て涙なんか流して、一体何をやっているんだ?

 太郎は集まっている皆に必死に話しかけたが、誰も反応しなかった。通夜振る舞いの席でも同じだった。ずっと泣き続けて周りの大人たちから慰められている満男の話では、太郎は満男のツッコミに笑いすぎてそのま気を失い、救急車で運ばれている途中に命を落としたのだという。熱中症と診断されたが、満男は自分のせいで太郎が死んだと責任を感じているらしい。

「太郎さん、陽気な方だったから、笑いながらコロっと逝っちゃうなんて、きっと本望だわ」

「太郎おじいちゃんは満男くんのことを本当に可愛がっていたものねえ。名付け親でしょう? 可愛い孫に看取ってもらえて、幸せな最期よねえ」

 ──俺は死んでなんかないぞ! おい、満男、満男! 俺に気づけ! お前しかいないんだよ……

 太郎は満男になら通じるのではないかと、そばでずっと呼びかけた。

「きゃあ! 満男が……」

 満男の体が突然痙攣し、立ち上がったと思ったら白目をむいて椅子から倒れ落ちた。

「満男!」

「どうしましょう……!?」

 周囲は騒然である。誰かが119番に電話した。意識は失ってもまだ息のある満男を端に寄せ、蒼白の両親が顔を拭いたり紙であおいで風を送ったりしていた。
 満男の祖母の美咲は、夫に続いて孫までも失いたくないと、生かせる道はないかと必死になって思案した。

「そうだ……もしかしたら、あの人なら助けられるかもしれない」

 美咲が幼い頃、神がかりにかかったように突然出て行ってしまった両親を見つけ、我に返らせてくれた春夏秋冬館の主人あるじ姉母寧あねもねのことを思い出した。今は息子が継いでいると聞く。

「ご入用でしょうか?」

 小さく痩せた初老の男が式場に姿を現した。

「あ……姉母寧……さん?」

 美咲が驚いて声を発した。男の父親とよく似ている。間違いなく親子である。

「はい、そうです。今、あなたが私のことを思い浮かべてくれたのでしょうか? それで道が繋がったのですね」

「そ、そうです。孫の満男を助けていただきたいんです。急に気を失ってしまって……」

「分かりました」

 美咲は姉母寧を満男の元へ案内した。

「亡くなられた御仁は……?」

 満男のそばで立ち止まった姉母寧が美咲に尋ねた。

「夫の太郎です。この子の祖父です」

「どのような最期だったのでしょう?」

「熱中症です。本当に突然のことで……」

「そうですか……分かりました」

 皆が心配そうに見守る中、満男のかたわらに正座をした姉母寧は、目をつむり呼吸を整えた。会場全体の空気が張り詰めた。

「太郎さん、聞こえますか?」

 姉母寧が低く厳かな声を発した。

 ──ん? あ、はい、聞こえます。

 目をつむったままの満男が口だけ動かした。太郎の声だった。間近で見ていたミオと透悟は言葉を失った。

「あなたは今、孫の満男くんの口を借りてお話しています。それはお分かりですか?」

 ──いやいや、俺はここにいますよ。なぜ皆気づかないんだ?

「太郎さん……残念ですが、あなたは熱中症で亡くなったのです」

 ──さっきからそんなことを言っているが、デタラメもいいところだ。俺の体はここにあるんだぞ。

「では、その体をよく見てみてください」

 太郎が足元を見てみると、ほとんど透明になって薄紫色の床が透けていた。広げた手の平も同様だった。

 ──まさかこんな……どういうことだ!?

「今、あなたがご自分の体だと思っているものは、あなたの魂の記憶です。声を出す口もないので、最愛の満男くんの口を借りてしゃべっているのです」

 はっとした太郎は、満男が倒れていることに初めて気がついた。

 ──そんな……満男はなぜこんなことに?

「あなたと満男くんのお互いを思う気持ちが通じ合って、満男くんの魂が半分そちら側に行ってしまっているのです。そして、あなたのこの世への未練を皆に伝えるための媒介役を、計らずも買ってしまっているのです」

 ──ど、ど、どうすれば満男を助けられるんだ!?

「あなたがしっかりとご自分の死を受け入れて、残された家族たちの幸せを心から願うことができれば、あなたも満男くんもここにいらっしゃる皆さんも、ひいては子々孫々までもが救われます」

 太郎は男泣きに泣いた。近しい家族たちも、もらい泣きした。

 ──……分かりました……俺は死んだんだ……その事実は変わらないんですよね……満男を助けてください……満男が助かるならなんだってします。

「太郎さん、突然の死を受け入れるのは、ご自身にとってもご家族にとっても大変なことです。でもここでさまよっていては、誰も浮かばれない。ご存知でしたか? 肉体を失った魂は、何千何万年と続くということを……」

 ──え? そうなんですか?

「はい。その何千何万年を、こんなところで過ごしていてはもったいない! あなたの心がけ次第で天国のとても素晴らしいところに行けるのです。もちろん地獄にもですが……」

 ──て、天国へ行くにはどうすればいいんですか?

「肉体を失ったことを悔やまず、他人をうらやまず、ご家族の幸せを願い、自らを高めようとする向上心を常に持つことです」

 ──そんな聖人君子のようなことが可能なのでしょうか……?

「魂は何千何万年と続くということを言っても信じない方が五万といる中で、あなたのように飲み込みの早い方ができないという方が難しいと思いませんか?」

 ──そ、そうですかね……。

 太郎は照れ笑いした。

「先に天国へ行って、ご家族を呼び寄せるご準備をなすってください」

 ──え? 皆を呼び寄せられるのですか?

「はい。もしも今のあなたのように、死後迷っているご家族がいたら、あなたの力で天国に引き上げてください」

 ──そんなことまでできるんですね……。

「すべては心がけ次第です。思いが通じれば道が拓けるのです。そして、満男くんやご家族の方たちが平穏に過ごせるように、高いところから見守っていてあげてください」

 ──はい、そりゃあもちろん。

「最後に、皆さんに言い残すことはありますか?」

 ──ああ、そうですね、何も言えずにぽっくりと逝っちゃったんですもんね……。

 人だかりからくすくすと笑い声が漏れた。

 ──うん、これだ! みんな、天国で待ってるからな。安心して死にたまえ……って変か?

 会場がどっと湧いた。

 ──あと、満男の目が覚めたらこう言ってくれ……野球頑張れ! 継続は力なり! 真夏の練習にはくれぐれも気をつけてくれ! 以上!

 太郎が言い終わった直後に、姉母寧は目にも止まらぬ速さで幾通りもの手印を切り、最後に下腹部にふっと力を入れて、太郎の魂を天へ上げた。その数秒後、満男の目がぱちっと開いた。

「み、満男……!」

「あれ? 僕、どうしたの?」

 ミオと透悟に支えられて、満男が上半身を起こした。

「ここにいらっしゃる姉母寧さんがあなたを助けてくれたのよ」

 目に涙をためた美咲の語りかけに、太郎は姉母寧の顔をまじまじと見つめた。

「今、おじいちゃんが、野球頑張れよーって言って手を振ってくれる夢を見ていたんです、僕」

「おじいちゃんは君のことが本当に好きだったんだね。君もおじいちゃんの期待に応えられるように、野球を頑張るんだよ」

「はい! 頑張ります! ええっと……あとひとつ最後に言ってたような……そうだ!

真夏の練習には気をつけろ!

 満男、姉母寧、美咲、ミオ、透悟の5人の声が重なり、皆で笑い合った。

「患者さんはどこですか?」

 3人の救急隊員がズカズカと会場に入ってきた。

「あら、そうだった!」

 ミオが立ち上がって言った。

「あのう、実は……もう治ったんです、この通り」

 透悟は満男とともに立ち上がった。

「ああ、そうですか! 我々はお呼びでない、と」

 満男の笑顔を見た真ん中の年長の隊員が明るく言い放った。

「すいません、ご足労をおかけてしてしまって……」

 ミオが謝ると、

「いやいや、ご無事ならなによりです!」

とガハハと笑い、年長の隊員は続けた。

「40年間、1度も出動要請を受けたことのない消防隊員をご存知ですか? 平和なのはいいが、きたるべき日に備えて、来る日も来る日も訓練訓練……自分は何のために生きてきたのだろうと……仕事のやり甲斐とは何だろうかと、日々悶々としていたのです。先ほどの要請を受けまして、もう現場に出る立場にはないが、是非行かせてくれと若いモンを説得しまして……未遂、、でしたが、最後の最後に念願が叶いました!」

 男は感無量といったふうに天を仰いで、頬にひとすじの光を反射させた。両脇の若い隊員2人は、

「40年間お疲れさまでした!」

と言って、ポケットから出したクラッカーをパン! パン! と発射させた。

「ありがとう、ありがとう」

 皆に礼を言う年長隊員の濡れた頬にクラッカーから出た紙のヒモが数本付き、長い色つき涙のようになった。それに気づいた本人がヒモを集めて、鼻をすすりながらポケットにねじ込んだ。

「では皆さま、良い通夜を!」

 年長隊員が右手をあげながら声を張り上げた。

「40年間お疲れさまー!」

「40年間ありがとー!」

 会場から沸き起こった拍手と声援に送られて、3人の救急隊員はその場をあとにした。

「いろいろとハプニングはあったけど、パパは楽しいことが好きだったから、良い通夜になりそうね」

 ミオが美咲とリオに向かって言った。

「そうよね、本当、パパらしいお通夜よね」

 娘2人の言葉に美咲は涙した。太郎と出会ってからともに過ごしてきた日々が、ロウソクの柔らかな光の上にぼんやりと思い出された。それらはすべて太郎が笑っている映像だった。

「……あら、姉母寧さんは?」

 美咲はふと気がついて周りを見渡した。

「ねえ、満男、姉母寧さんを見なかった?」

「いいや、見てないよ」

 寿司を頬張る満男がもごもごしながら答えた。

「そう……変ねえ……」

 美咲はきょろきょろしながら娘たちの元へ戻った。満男の隣に座っている父親の透悟は、皆で救急隊員を送り出しているときに、姉母寧が微笑みながら半透明になってゆくのを見た。驚いて注視していると、そのまま跡形もなく消えた。満男の蘇生に続いてあり得ない現象を見て、果たしてこれが現実なのだろうかと自分の認識能力を疑った。マスオ的な立ち位置な上に、狂人と見なされさらに肩身が狭くなるのも面倒だったので、このことは己れひとりの心にしまっておくことにした。

(了)

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